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『緑はよみがえる』
死と向き合う兵士たちを描く
戦争の悲劇や非人間性を再定義 エルマンノ・オルミ監督傑作の1本

 すべてにおいて一級品である。これだけの作品には、なかなかお目に掛れるものではない。それはエルマンノ・オルミ監督の新作『緑はよみがえる』(2014年)である。彼の名を世界的に一躍有名にしたのが『木靴の樹』(1978年/3月26日から岩波ホールで上映中)であり、彼の前半期の傑作。そして、後半期は本作であろう。
 
私事であるが、オルミ監督を知る上で、1つのエピソードをお伝えしよう。1978年のカンヌ国際映画祭は、筆者にとり2度目のであった。その折に『木靴の樹』がコンペ部門で上映され、見事にパルムドールを獲得した。映画祭開始3日目での上映の際に、早くも本作の最高賞を確信したが、これほど早い上映での受賞は、現在に至るまで他に例を知らない。
当時のオルミ監督は38歳。国際的知名度に乏しかったはずである。時の審査委員長はアラン・J・パクラ監督(『大統領の陰謀』76年)であった。


記念碑的作品

雪原の兵士とロバ

  2014年11月4日にイタリア大統領出席の下、ローマで第一次世界大戦(1914−18年)開戦100周年を記念し完成披露試写会が催され、同時に、世界100カ国で上映された。その後、15年の第65回ベルリン国際映画祭特別招待作品となる。
彼は地味でシリアスなテーマを手懸けるが、いかにオルミ監督作品が世界中から望まれているかがよく理解できる。


発想

塹壕のシーン

 今年で85歳を迎えるオルミ監督は、幼いころに第一次世界大戦に従軍した体験を語る父の涙に触発され、『緑はよみがえる』に取り掛かる。
第一次世界大戦から100年経った今、その歴史は既に色あせ、記憶は曖昧(あいまい)となる。しかし、戦争の事実を人々に思い起こさせ、悲劇や非人間性を再定義する必要がある。
それは、「皆に代り犠牲になった者たちの命のためである」と、オルミ監督は作品の意図を述べている。極めて明確な意思表示だ。



第一次世界大戦(1914−1918)末期

若い中尉

 本作はイタリア北東前線の雪深いアジアーゴ高原が舞台。時代は1917年で、当地、地図上ではミラノとベネチアの中間に位置する。イタリア軍とオーストリア軍が山岳地帯で尾根を挟み、互いの息使いが聞こえるくらいの近距離に対峙する。両軍とも雪の山中の塹壕(ざんごう)に立てこもり、戦局は手詰まり状態である。
物語はこの暗く凍てつく寒さの塹壕を舞台とする一晩の記録である。内部はイタリア軍兵士が常時戦争態勢で敵と向き合う男性だけの場で、物語に女性は1人も登場しない。



息を呑むほどの自然の美しさ

塹壕前

 自然風景の圧倒的な美しさに目を見張る。
雪山の白、山々の上にのぞく満月の白い月。初めと終わりに同じ構図で見せる山にかかった月の透き通るような色調。雪山を行く兵士たちの一列が線のように伸び、それをロングでとらえる行軍光景。いずれも厳しい自然環境をさえ渡る白で表現する。異界に誘い込むような白一色の世界。他には何もなく、白い色調が一層映える。
塹壕内は、カラーでありながらの、ぬめり感のあるモノクロ調で、この画調は、ちょうど岩波ホールで上映された『パーシャの黒い瞳』を思い起こさせる。例えるなら、艶(つや)を含むモノクロといえよう。
入口の塹壕の暗さと、自然の白を基調とする対比の鮮やかさ。オルミ監督の長男で撮影監督を務めるファビオの映像感覚がさえ、見事の一語に尽きる。



絶望の世界

美しい自然

 厳しい自然の中の塹壕で生きる兵士たちが死との向き合う姿を描き、諦め、生への執着、軍隊の命令と服従、無駄と思える死が写し出される。
冒頭は、雪原の兵士たちの行軍、塹壕前での厚く積もる雪かき作業。1人の兵士が歌うナポリ民謡が静寂を破り、響き渡る。彼の歌への称賛の声が両陣営から湧くが、誰も唱和しない。
悲惨な塹壕の中の日常、いつ見舞われるか分からぬ、姿を見せぬ敵オーストリア軍の砲撃、それにおびえる絶え間ない不安。兵士たちの楽しみは一杯のスープと一切れのパンの食事、そして家族からの手紙。インフルエンザのまん延と寒さで体調を崩す1人の兵士は高熱に浮かされ、気がふれる。周囲はなすすべもない。
戦争の悲惨さを伝える1枚の地獄絵図にも例えられる窮状。この地獄絵図の中での兵士たちのアップ。既に会話が失せ、ことの成り行きに任せざるを得ない絶望が支配する世界。その惨状を黙々と追うカメラ―。


理不尽の極致

死にゆく兵士

 交代の将校が新たな命令を携え登場する。通信不能状況で、中央の司令部は新たなケーブルの敷設を求める。塹壕の状況を全く無視し、上層部の軍人たちはベッドで毛布にくるまり寝るが、現場は寒さと敵弾におびえるなか、命令を伝える将校も、実行する兵士も、この理不尽さを百も承知のうえで受け入れる。
任務に指名された兵士が表に出た途端、オーストリア軍狙撃兵の一弾で命を落とす。最初から分かる結末である。戦争の残酷さと犠牲になった者たちの無念さが、見る側に直に伝わる辛いシーンだ。


敵の大攻撃

 兵士たちがクリスマス・ツリーと呼ぶ、雪の原に残るたった1本のカラ松が、敵の砲弾により燃え上がる。まるで最後の生の消滅のように。
この時点でようやく退却の指令が出され、雪の尾根伝いの兵士の列が続く。残酷な戦争だが、白い雪の中の退却行、美しい一幅の絵画を見ているようだ。この自然の中に、戦争の愚かさと人間の命の尊さが描き出される。
新任の将校は母宛に手紙をしたためる。恐らく若い彼の遺書かも知れない。


死地と向き合う兵士たち

  彼の手紙は「こよなく愛する母上へ」で始まり、着任したばかりでありながら、「戦場で一挙に老人になった気がする」と心情を吐露。「理想を失い、自分のような若者が死に、生存者は死を持ち帰る。難しいことは赫(ゆる)すこと」と戦争そのものの本質を鋭く突く。ここにオルミ監督の思考の深さが見える。
戦争とは対岸の火事ではなく、人間1人ひとりにかかわる問題であることが胸に迫る。退却行前、雪中への遺体埋葬、目に見える戦争の実態である。
ダメ押しとして、第一次世界大戦の実写フィルムが挿入される(モノクロのニュースフィルム)。
ラストのナレーションが印象深い。《戦争が終わり、緑はよみがえる。戦争、そのものは忘れ去られるであろう。》
自らの戦争体験を語り残す父親への献辞が最後を締める。
戦争には加害者と被害者は存在する。しかし勝者と敗者はいないことをオルミ監督は言外に伝える。彼の、一流の人間に対する慈しみの情があふれる。
本作『緑はよみがえる』は、あっという間に終わる。映像の緊張感、作品の密度の濃さが成せる技であり、思いを激しくぶつけながらの76分、これだけ見る人々を惹きつける作品を目にすることは稀有(けう)のことだ。大げさな表現が許されるならば、筆者は、『緑はよみがえる』を今世紀の傑作の1本に加えたい。

 



(文中敬称略)

《了》

4月23日(土)より、岩波ホールほか全国順次公開

映像新聞2016年4月18日掲載号より転載

 

 

中川洋吉・映画評論家