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『64−ロクヨン』
横山秀夫のミステリー小説を映画化
警務部広報官を主人公に展開

 久々に内容が濃く、見せる警察もの『64−ロクヨン』(以下『64』)は暗闇で映画を見る醍醐味(だいごみ)を味わわせてくれる。前後2部構成の巨編で、前編は既に公開中、後編は6月11日(土)から公開される。原作である横山秀夫の同名小説は2012年に刊行され、発表当時、ミステリー界で高く評価された。非常に密度が高い大部のエンターテインメント小説のため、映画は2部構成となった。映画化の成功の因は、一にも二にも原作の良さに帰する。長編と呼べる作品で大事なのは、人を引きつけ離さぬ話の良さである。

佐藤浩市
(C)2016 映画「64」製作委員会

 『64』の話の展開は突出している。実は、NHKでも全5回のドラマシリーズとして昨年4−5月に放映され、欧州最大の国際テレビ映像フェスティバル(FIPA/フランス・ビアリッツ市)にシリーズ部門で選考された。結果は残念ながら逸賞であった。シリーズ部門では、5−6話のうちの2話が上映される規定がある。『64』は話が膨大すぎ、人間関係のつかみ難さが審査員のお眼鏡にかなわなかったようだ。
しかし、警察ものの面白さを十分堪能させる内容だ。案外、ハリウッドでもリメイクを狙っているのではなかろうか。例えば、主演の佐藤浩市役をジョージ・クルーニーに振るとか。これは、あくまでも筆者の勝手な想像であるが―。


複雑な人間関係

佐藤浩市(右)
(C)2016 映画「64」製作委員会

  警察内部の対立と過去の事件
横山原作が描く世界は人間関係が重層的であるため、初めに少し整理しておく。
物語の底流に、伝統的な警察内部の刑事部と警務部の対立がある。単純に言えば、現場の刑事部と事務屋の警務部である。人事、経理の実権は警務部が握り、刑事部は「俺が汗かいているのに、あいつらは空調の効く屋内で事情も知らずに指令だけ飛ばしている」となる。
両者のもう1つの根深い対立は、刑事部のトップは地元のノンキャリア、警務部のそれは本庁からのキャリア組で占められ、中央と地方の確執が存在する。
中央官庁の40歳前後の若いキャリア組は大体が小生意気で、課長補佐として課内を切り盛りし、中には名刺に灘高出身と書くキャリアもおり、ただただ驚かされた体験がある。組織とはどこでも似た構造があるものだ。
横山原作もこの風潮を丁寧にすくいあげ、底辺の実情を巧みに取り込んでいる。


主人公とその周辺

榮倉奈々(部下)(右)と佐藤浩市
(C)2016 映画「64」製作委員会

 主人公の三上(佐藤浩市)は、わずか3人の部下を従える警務部の広報官で、本流とはほど遠い。仕事は、警察内の記者クラブとの対応である。彼は元々刑事部出身で、何らかの事情で事務方に回された、正義感の強い男だ。周囲は彼が刑事部に戻りたがっていると見ているが、彼の脳裡には復帰の意志はない。
最初の事件として、ある女性によるひき逃げ事件が起きるが、警察上層部は容疑者の実名発表を拒否する。理由が分からず、三上は記者クラブの幹事(瑛太)などから突き上げを食らうが、上層部は「うまく対応しろ」の一点張り。そこで記者クラブは対抗上、近々予定される警察庁長官訪問時の記者会見ボイコットを宣言、キャリアの上司と三上は大弱りとなる。
この記者クラブとの対応が広報官の第1の仕事で、上司の沈黙は、容疑の女性が警察関係者であることを知るところとなる。この警察内部の身内に甘い体質を、原作は的確に突いている。



本筋

佐藤浩市(右)と三浦友和
(C)2016 映画「64」製作委員会

 長官来訪予定の中に、昭和64年(1989年)に起きた幼女誘拐殺人事件の被害者訪問が日程に組まれている。三上は被害者宅にあいさつに行くが、心を閉ざした被害者の父、雨宮(永瀬正敏)から拒否される。警察の内情、そして主人公の仕事内容をまず説明し、最後に事件の本質を伝えるのが『64』の前編となる。実にうまい筆さばきだ。
「64」とは、「平成」に元号が移る前、昭和64年1月1−7日の短い日数を指す。いまさらながら天皇崩御の昭和最後の年が7日間であったことを思い知る。そこから幼女誘拐殺人事件を「64」と呼ぶようになる。その「64」の担当者の1人が三上だ。



隠された秘密

盗聴現場
(C)2016 映画「64」製作委員会

 事件の時効まで残り1年と迫り、担当刑事であった三上は、広報官でありながら独自の捜査を隠密裏に進める。まずは、当時の警察関係者に当たり始める。有力な証言がなかなか得られず、その中に、今は警察を辞め農業を営む元同僚望月(赤井英和)の口から秘密ノートの存在を聞き出す。当時、下っ端刑事の望月は「内容は分からないが、ノートの存在だけを知っている」と述べる。
ここを突破口として、三上は1つずつ事実を積み重ね、核心へと迫る。かつての「64」の上司、松岡(三浦友和)やキャリアの上司に当たるが、彼らの口は堅い。隠された何かがあることに気づき、保身を図る上司が絡む事実の存在を確信するに至る。



実務班との接触

被害者(永瀬正敏)と佐藤浩市
(C)2016 映画「64」製作委員会

 秘密のノートの存在が気になる三上は、かつての「64」事件の詳細を調べ始め、全容の解明に一歩近づく。「64」発生当時、警察は、犯人からの指示待ちで、被害者宅で盗聴体制を敷き手ぐすねを引く。そこへ待ちに待った犯人からの連絡が入り、捜査陣は色めき立つ。
盗聴専門班はイヤホンに耳を当て、犯人の声の録音準備をする。しかし、肝心な時に機器が故障。その横でジリジリする被害者の父親の雨宮は、モタモタする捜査班の制止を振り切り自身で受話器を取る。それにより、犯人の声を知る唯一の証人となる。
この警察のミスと、1人だけの証言者の設定の知恵の絞り方は、よくできている。
一方、三上と雨宮は警察庁長官訪問の件で、次第に親密な間柄となる。三上も年ごろの娘の反抗に手を焼き、追い打ちをかけるような娘の家出が重なり、公私ともに八方ふさがり状態に陥る。しかし、熱い血の持主の三上は、家庭の事情をひと言も漏らさず、ひたすら仕事に打ち込む。


絶妙な物語構成

記者クラブ 瑛太(前列左)
(C)2016 映画「64」製作委員会

 「64」の幼女誘拐事件から口火を切り、その後、記者クラブの圧倒的攻勢に頭を悩ます。そして、ある交通事故の被疑者女性が警察関係者であるため、それをひたすら隠すキャリア組の若い上司。その上司の人を見下す態度に、三上は心身ともに疲れ切るが、事件は何ひとつ解決しない喪失感が前編の骨子となる。
後編では、かつての捜査班の1人が14年間引きこもりとなり、録音ミスをした部下の幸田(吉岡秀隆)は警察を離れ、スーパーのガードマンとなっている現状に心を痛めながら、三上は必死の捜査を続ける。
そのうちに、警察のミスによる「64」事件は、保身を図る中央からのキャリア組の秘密保持の申し送り事項であることが判明。そして、時効1年前に「64」が再び動き出し、お約束の警察ミステリーの犯人捕獲ゲームがきっちり織り込まれる。
冒頭の「64」がラストで具体化し、すべての霧が晴れる運びの妙、原作の圧倒的力量にうならされる。
監督はピンク映画出身で、今月56歳を迎えた京大卒の瀬々敬久(ぜぜ・たかひさ)で、彼の語り口の巧みさは超絶技巧の一語に尽きる。共同脚本の久松真一の力もあずかっている。
主演の佐藤浩市は、初期の『魚影の群れ』(1983年)、『犬死にせしもの』(86年)あたりの力みと臭さがとれ、4歳年長の役所広司と並び、わが国の代表俳優と呼ぶに相応しい芝居で、『64』自身を引き締めている。


 



(文中敬称略)

《了》

『64−ロクヨン』は、前編が5月7日から公開中、
後編は6月11から全国東宝系でロードショー

映像新聞2016年5月30日掲載号より転載

 

 

 

中川洋吉・映画評論家