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『ブルックリン』
アイルランド移民が米国で夢を手に
1人の若い女性の成長描く

 アイルランド移民が米国へ渡り、夢と仕事を手に入れる物語が『ブルックリン』(ジョン・クローリー監督)である。移民たちが最初に足を踏み入れる「ブルックリン」、アイルランドの人々にとり思い入れの深い地名となっている。主人公のアイルランドの若い女性エイリッシュ・レイシー(シアーシャ・ローナン)は、母と姉との女性だけの世帯。アイルランド移民の背景に存在する雇用不足が、このレイシー一家にも影響を及ぼす。姉のローズは賢明で優しい女性、会計士として働き、病弱な母の介護もする一家の大黒柱。彼女たちの食卓は慎ましく、絵に描いたようなワーキングクラス(家父長不在の)の家庭である。
 
エイリッシュは、小さな田舎町の食品店で働くが、店主たる中年婦人は口うるさく、客の選り好みをし、金持ちや親しい人には愛想よく振舞う、底意地の悪い女性。その嫌な店主の元、イライラを抑え働く彼女。この食料品店を通して、アイルランドの田舎で職を得ることの難しさと産業の少ないアイルランド固有の問題が、冒頭シーンで如実に示される。
姉は妹のうっ積する心情を察し、親しい神父に頼み込みアメリカ行きを斡旋してもらう。彼女は仕事と母親の介護で故郷にとどまらなければならず、せめて妹だけには新天地で暮らす算段をする。
実は姉には秘密があり、後半にその事実が明かされる。心優しく自己犠牲をいとわない彼女の温かい配慮により、エイリッシュは移民として米国へ渡る。港での別れ、母親は愛娘を手放す悲しみに耐えられず早めに帰る。エイリッシュがつえとも柱とも頼る姉がいつまでも送る光景は、希望よりも不安で胸ふさがる思いにさせる。港での別れには数々の名場面があるが、『ブルックリン』では、よりリアリスティックに描かれている。


田舎娘の旅立ち

ブルックリン到着のエイリッシュ
(C)2015 Twentieth Century Fox. All Rights Reserved.

  嫌な店主のもと、我慢に我慢を重ねた食料品店の勤めを辞める、片田舎の世間知らずのエイリッシュにとり、新天地は胸を躍らせるはずだが、実際はすべてが不安の種となる。乗船後、ほかの客は船酔いを防ぐために最初の夕食には手を付けないが、何も知らず誰からの忠告もない彼女は口にする。
案の定、結果は地獄の苦しみの船酔いと、隣部屋と共有のトイレを先に入られ往生するあたり、苦難の人生の始まりだ。堂々と通関すること、結核と間違われ強制送還されないため咳は禁物などの、実用的なイロハを同室の女性がエイリッシュにアドバイスする。


新天地

アメリカ入国の不安げなエイリッシュ
(C)2015 Twentieth Century Fox. All Rights Reserved.

 アイルランド人にとり新天地ブルックリンは米国の代名詞であり、晴れて入国を許される彼女は、神父の紹介の寮に落ち着く。ここは老婦人が寮長役で、男性に興味津々の若い女性が4人住んでいる。およそ寮の雰囲気ではなく、各人言いたいことを言い合い、笑い合う女性たちを、カトリック信者の堅物の寮長がたしなめる光景もしばしば。この自由な寮の雰囲気、結婚してもよさそうな女性たちをエイリッシュは全く理解できない。
とにかく異国の地で居場所を確保した彼女はデパートの販売員の職を得る。しかし、故郷からの姉の手紙に涙し、何も手につかぬ状態を見かねた神父は、彼女に夜間大学で会計学の授業に出ることを勧める。



最初の恋人

洗練されたエイリッシュ
(C)2015 Twentieth Century Fox. All Rights Reserved.

 厳格な寮長もアイルランド人のパーティへの参加は認める。マンハント目的の他の寮生に、気の進まないまま連れていかれる彼女、そこでイタリア系の配管工青年と知り合う。実直ですこし退屈な青年トニーは、毎晩、授業の後「君と少しでも多く話をしたい」と寮まで送る。彼女は、彼の気遣いに次第に心を開く。
デパートで働きながら夜学に通い、一人前の社会人として自覚を持ち始める。エイリッシュ。その上、ワーキングクラスに属する善良な恋人を得て、彼女は次第にアイルランド時代のオズオズした田舎娘から、立ち居振舞いも自信にあふれ、持ち前の若さと相まって、次第に魅力的なブルックリンの女性へと変貌する。ここが作品の大きな見どころの1つである。



突然の訃報

ニューヨークでトニーと
(C)2015 Twentieth Century Fox. All Rights Reserved.

 ブルックリンでの毎日を、胸を張って生きる彼女に突然、故郷から訃報が飛び込む。最愛の姉の死である。彼女はエイリッシュの前途を思い、快く米国へ送り出すが、実は持病があり、それによる突然死だった。知らせを受けた彼女は急いで帰郷し、独り暮らしの母親を慰める。
エイリッシュは、ブルックリンでの恋人のことを誰にも話さず、周囲は独身者と思い、昔の女友達が1人の青年ジムを紹介する。
ジムは、そろいのブレザーに頭にはポマードと、当時の上流階級のハンサムボーイ。彼女よりもワンランク上の階級の子弟である。この違いもあり、この種の人間を毛嫌いするが、周囲は似合いのカップルとうわさし合い、母親も大喜び。彼も好青年で次第に2人は仲を深め、彼の両親宅へ招待される。
一方、ブルックリンの恋人からは定期的に便りが届くが、彼女の気持ちはブルックリンから次第に遠のく。



人生の選択

アイルランドのジム
(C)2015 Twentieth Century Fox. All Rights Reserved.

 2つの地で人生の選択に迷い
ブルックリンのトニー、アイルランドのジムと、人柄の良い2人の男性から愛され、結婚を望まれるエイリッシュ。両手に花ではあるが、内面では大いに悩み決断がつきかねない。ましてや、独り暮らしの母を残すこともためらわれる。しかし、彼女はブルックリンへ戻ることを決心する。
年老いた母親、心優しいジムを残し、再び米国に戻り、1人の人間として自立する。人生の選択である。たとえ後悔しようと、自身のことは自身で決めることで、「やらずに後悔するより、やって後悔する」道を選ぶ。この潔(いさぎ)よさがなんとも心地よい。彼女の決断が作品に力をもたらせる。


作品について

寮生と
(C)2015 Twentieth Century Fox. All Rights Reserved.

 原作はアイルランド人作家、コルム・トビーンの同名小説(2009年)で、脚本はニック・ホーンヴィ、彼は「わたしに会うまでの1600キロ」(14年)の脚本で知られる。この作品は、1人の若い女性が母の死により、自暴自棄になり、砂漠と山道の1600キロを1人で旅をし、自分を取り戻す話で『ブルックリン』と共通する「普通の女性が自分がなりたいと思う女性になる」というテーマである。
『ブルックリン』では、アイルランドとブルックリンの2つの地を生きる女性に、人生の選択を語らせている。緑濃い、ゆったりと時間が流れるアイルランドと、自分を輝かせるブルックリンを対比させ、最終的にブルックリンを取るが、アイルランドの良さも十分織り込まれている。
米国人口の4分の1がアイルランド系とする説があるが、異境でのアイルランド人の連帯感は強い。パーティでは、カントリー音楽の基であるアイルランド民謡の演奏と、故郷の特色を浮き出させている。
また、エイリッシュが渡るブルックリンの1950年代の時代考証は往時を偲ばせるものがある。
製作は米国の20世紀フォックス映画だが、それ以外に英国公共テレビのBBCやカナダのテレフィルムカナダが製作に参加、作品の質を保証している。これらに加え、英国のフィルム4が手掛ける作品は、クオリティの高さで評価されている。


 



(文中敬称略)

《了》

『ブルックリン』は7月1日公開、TOHOシネマズ シャンテほか全国ロードショー

映像新聞2016年6月27日掲載号より転載

 

 

中川洋吉・映画評論家