『セトウツミ』
他愛ない2人の高校生の無駄話を描く
川端の石段だけが舞台の8話構成 |
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久々に笑えるコメディーにお目にかかった。同名漫画を実写化した『セトウツミ』(大森立嗣監督)である。他愛ない2人の高校生による午後のひとときの無駄話を描き、この何げなさが笑いを誘う。笑えない、お笑いがはんらんする昨今、『セトウツミ』は、まれな作品だ。タイトルの『セトウツミ』は2人の名を組み合わせたもの。セトは瀬戸小吉(菅田将暉)、ウツミは内海想(池松壮亮)である。
眼鏡をかけたクールな秀才がウツミ、「天然」でお調子者のセト。セトはサッカー部を辞め、放課後することがない。ウツミは学校を終え、塾までの空き時間を川端の石段で過ごしていた。最初は、石段で独り読書をするウツミだったが、そこにブラブラするセトが加わり、放課後のひととき、無駄話をすることが日課となる。
ウツミは、世の中をシニカルに見ながらも、セトに対し上から目線で表情を変えずに、鋭いツッコミを入れる。セトは彼にコンプレックスを抱き、次から次へと珍妙な話を持ち出すが、ウツミはあきれ顔。セトは話の主導権を握ろうとするが、秀才のウツミに逆に差し込まれ、苦い敗北を噛みしめる。
しかし、午後の無駄話は続く。そして、セトはいつも「俺のことをばかにしていると違うんか」とカッカ頭にきている。
話している最中にセトが憧れる同級生、一期(中条あやみ)が絡む。このマドンナ、実はウツミにお熱だが、彼は相手にせず、つれない態度。セトは、苦心して憧れの一期のメールアドレスを手に入れるが、何を書いていいか分からず、ウツミに文面を考えてもらう。ウツミの親切ともオチョクリともつかぬ接し方だ
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無駄話中のセト(右)とウツミ(左)
(C)2016 「セトウツミ」製作委員会
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冒頭から波乱含みだ。午後の無駄話にふける2人。セトはフライドポテトを1人でムシャムシャ食べ始める。袋の中から異常に長いフライドポテトが出てきて、セトは「こんな大きなジャガイモがあるのか」と不思議がる。出だしから、何かおかしなことが起こりそうな予感がある。
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背比べする2人
(C)2016 「セトウツミ」製作委員会
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マドンナに入れ込むセトは、彼女が寺の娘(父親は長女に一期、次女に一会と名付けた)であることで、仏教の勉強を始めることをうれしそうにウツミに話す。
セトが「煩悩」といえば、ウツミは「涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)」と、セトを上回る知識を持ち出す。焦るセトは次に「輪廻」と口にすれば、ウツミはシレッと「一切皆空(いっさいかいくう)」と切り返す。
無表情を装いながらも内心「お前が知ることくらい俺はとうに知っているのだ」とばかり、セトをばかにし切る。ウツミの切り返しに、いら立つセト。2人の会話はいつもこの調子だ。
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夏の花火
(C)2016 「セトウツミ」製作委員会
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別の午後、いつもの無駄話中、セトのオカン(母)が遠くから息子を見つけ、両手一杯の荷物を持ちながら駆け寄る。絵に描いたようなコテコテの浪花のオカンの登場。セトは恥かしがり顔を伏せる。
しかし、彼女は構わず「今夜はカレーの初日だで」と声を掛け、ウツミには「息子に勉強を教えてやってくれ」と頼み、消える。オカンの姿が見えなくなるとセトは、「これから毎日カレーや」とぼやく。
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ウツミとマドンナ
(C)2016 「セトウツミ」製作委員会
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何かの話のネタを作り出そうとするセト、ある午後の無駄話の折、「フシがある選手権」の話を持ち出す。あっけにとられるウツミ。話の趣旨は、例えば「面倒くさがるフシがある」というように、フシを使った話し方を2人で始める。
最初はフシづくしでのやりとりがスムーズに流れるが、途中から調子が変わる。いつも一年上のヤンキー(成田瑛基)に脅かされ、彼の前ではヘコヘコするセトに向い「長いモノに巻かれるフシがある」とやり、セトは思わずムッとする。
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セトの誕生日を祝う
(C)2016 「セトウツミ」製作委員会
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セトは父親の競馬狂いについて話し出す。自身も競馬の面白さにはまり、盛んに、「馬一匹」という。となりのウツミは、馬を匹というセトに堪り兼ねて「馬は頭(とう)と呼ぶ」と半畳を入れる。
セトも負けずに「匹と頭の使い分けはどうなのか」と反撃する。もの知りのウツミは、「それはサイズ感の違い」と博識ぶりを見せる。「じゃあ、匹と頭の境目は」とセトは食い下がる。そこでウツミは、「匹は狼までで、それ以上は頭」と定義する。いつもばかにされ、コンプレックスを持つセトは「それが一匹狼や」と、してやったりと得意になる。
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死んだはずの愛猫ミーニャを抱くセト
(C)2016 「セトウツミ」製作委員会
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いつも笑いを提供するのはセトだ。夏休み中の夜、いつもの川端の石段に陣取る2人は、花火遊びを楽しむ。パラシュート花火は不発で、線香花火に点火する。そこへ、浴衣の前をはだけた老人(牧口元美)が暗闇から突然現れる。幽霊と勘違いした2人は思わずのけぞる。
その時、不発の花火が突然発火し、お化けの出現だとばかり、セトは恐怖で後ずさりし大騒ぎする。お化けの正体は、認知症で3日前から行方不明であったセトの祖父だ。
この花火のシーンが、『セトウツミ』の笑いのハイライト。セトの恐怖のシーンは抱腹絶倒ものだ。
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石段の2人
(C)2016 「セトウツミ」製作委員会
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監督の大森立嗣(『まほろ駅前多田便利軒』[11年]、『さよなら渓谷』[13年])は、非常にアクの強い人物造形を描き出すことにたけ、作品に力感がみなぎる。
この彼の『セトウツミ』の演出方針は「漫才ではなく、ガチの芝居」で、これが作品に成功をもたらせる。笑わそうとすれば、逆に笑いがとれないことを大森監督は熟知している。
そして、セトをボケ役とし、芝居を回す狙いも極まっている。大森は、前衛舞踏家「大駱駝艦(だいらくだかん)」の麿赤児の長男だそうで、父親譲りの個性の強さを前面に出せる監督だ。
菅田将暉と池内壮亮が好演
芝居を回すセト役の菅田将暉は23歳の青年だが、演じる役の幅が広い。黙って受ける芝居より「前へ前へ」出るときに彼の持ち味がさえる。売れっ子で、これまで映画出演本数は20本以上と多いが、印象に残る1本は呉美保監督の『そこのみにて光輝く』(13年)である。池脇千鶴の弟に扮(ふん)する菅田将暉は、主人公の綾野剛とパチンコ屋で出会い、彼に「飯を食わすから家へ来い」と誘う場面は、彼の面白いキャラクターが発揮され、そこが非常に印象深い。
熱いセトに対しクールなウツミは、吉田大八監督の『紙の月』(14年)などを代表作とする池内壮亮が演じる。彼の演技と思わせない芝居は、本作の魅力である。セトが持ち出す珍妙な無駄話を、さも関心がなさそうな表情で切り返す芝居は、演出の狙いであろう。お笑い芝居にさせない大森演出は、言葉の間(ま)で見る者の勘を狂わすマジックがある
安藤モモ子の傑作『0.5ミリ』(14年)の中で一番光ったのが、自転車のパンク常習犯、坂田利夫である。本作でも、彼に匹敵するアクの強い個性を持つ役者の、アクドイほどの芝居が楽しめる。
ヤンキーの父親役は鈴木卓爾。ぼう然と川面を見つめる中年男であり、セトの母親役の笠久美も、コテコテのオカン振りの極まり方が並ではない。
ラストの花火シーンで、幽霊と間違われる認知症の祖父役は牧口元美で、今年81歳を迎える大ベテラン。絶妙な役者起用である。
原作は此元和津也の同名マンガ(秋田書店「別冊少年チャンピオン」連載中)である。
映画は8話構成。舞台は大阪・堺市の川端の石段だけが舞台と何とも超低額予算作品であり、1話完結で進行する。1話ごとに無駄話の内容が違うところが原作漫画の知恵の絞りどころ。
この1話と次の1話をつなぐのがタンゴ音楽であり、ゆるくメリハリの効いたリズムは、見る者を乗せる心地よさがある。
ヒネリを効かす『セトウツミ』の笑いは、会話の間から生まれ、人を笑わすには頭を使わねばならぬことを教えてくれる。
(文中敬称略)
《了》
7月2日(土)より、新宿ピカデリーほか全国ロードショー
映像新聞2016年7月4日掲載号より転載
中川洋吉・映画評論家
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