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『生きうつしのプリマ』
母娘の過去をめぐる感動ミステリー
複雑な人間関係を丁寧に描く

 『ハンナ・アーレント』(2012年)で健在ぶりを見せたドイツのマルガレーテ・フォン・トロッタ監督による新作『生きうつしのプリマ』は、政治に真正面から向き合う彼女の異なる一面、家族、姉妹を取り上げている。ニュージャーマン・シネマの旗手として登場し、今年74歳を迎えた彼女は、「枯れる」という言葉を蹴飛ばすほどのパワーを本作でも見せている。

舞台と登場人物

オペラ座のカタリーナ
(C)2015 Concorde Filmverleih / Jan Betke

 本作の舞台は、緑の田園風景が美しいドイツの地方都市とニューヨーク。この対象が作品自体に光彩を与えている。
登場人物は、ドイツ在住のゾフィ(カッチャ・リーマン)、父親パウルとその兄ラルフ。ニューヨークでオペラのプリマドンナとして活躍するカタリーナは、ドイツを代表する大女優バルバラ・スコヴァが母親役エヴェリンの2役を演じている。
物語は、この2人の女優を中心に展開されるが、カッチャ・リーマンはジャズ、バルバラ・スコヴァは現代音楽シェーンベルグの『月に憑かれたピエロ』の独唱者としても知られる。


冒頭の伏線

2人姉妹カタリーナ(右)とゾフィ
(C)2015 Concorde Filmverleih / Jan Betke

 冒頭は、ドイツの地方都市の色鮮やかな黄色の菜の花畑を疾走する1台の車、ハンドルを握るのは初老の男性。このシーンがラストの伏線となる。所変わり、地方都市のクラブで歌うゾフィ。客の受けが悪く、演奏中に支配人からクビを言い渡される。ドイツの地方都市ではジャズなど不向きなのであろう。
一方、彼女は結婚のプロデュースをサイドビジネスとし、カフェで若いカップルの助言役を務めている。彼女が売れないジャズ歌手で、生活のためアルバイトをしている様子がうかがえる。そして、恋も仕事も上手くいかない、もう決して若くない、いわば普通のドイツ女性である。



父親からの電話

最初の出会い、ディナーの席で。カタリーナ(左)
(C)2015 Concorde Filmverleih / Jan Betke

 ゾフィに降りかかる出来事の発端は、同じ町に住む父親からの「すぐに来い」という呼び出し電話から始まる。それほど頻繁に行き来がある2人ではないが、執拗(しつよう)な父親の頼みで渋々出かける。
そこで見せられたのが、ネットのニュースサイトに写し出された、彼女の母親エヴェリンにそっくりの女性像である。母親は前年に亡くなり、このソックリさんに2人とも驚く。
その女性は、ニューヨークのメトロポリタン劇場で活躍する現役のオペラ歌手カタリーナであった。しかし何も事情がわからない2人。父親はカタリーナに会うことをゾフィに命じる。突然の話にゾフィは混乱し、一緒に暮らすパートナーにも去られる。
父親の強引な依頼に譲歩せざるを得ない彼女は、やむなくニューヨーク行きをのむ。
早速、メトロポリタン劇場に駆けつけ、カタリーナの舞台を見る。その後、楽屋へ行き、カタリーナと話すことを試みる。だが、舞台をはねた後の楽屋では、大プリマドンナは称賛の人々に取り巻かれ、個人的な話を切り出せず仕舞いに終わりそうになる。
そこで、エージェントの男性フィリップ(ロバート・ジーリゲル)が彼女たちとの夕食にゾフィを誘い、食卓を囲むが、なかなか2人で話ができず、あきらめて中途退座する。このフィリップとゾフィは後に恋に陥る。
公演後の夕食シーン、オペラが身近にある欧米社会だけあり、手馴れたものだ。この華やかさは日本人には描けないところだ。



亡母の写真

カタリーナの育ての母と
(C)2015 Concorde Filmverleih / Jan Betke

 硬質な印象の強いトロッタ監督だが、作風がずいぶん丸くなった。1人旅のゾフィは、ニューヨークのレストランでエージェントのフィリップと顔を合わす。そこで彼女は思い切って亡母の写真を彼に見せ、写真の人物のことを知りたいと伝える。
彼女の熱心な頼みで、翌日、女性2人で会う段取りをフィリップはつけてくれる。ただし、会食後、彼と一晩付き合う約束で。男も抜け目ないが、1人の男性と2年以上続かない彼女も、美男のフィリップの誘いにまんざらでもない様子がシャレている。



2人の顔合わせ

父の兄ラルフ(右)とゾフィ
(C)2015 Concorde Filmverleih / Jan Betke

 約束の場で、2人は話すが、カタリーナはひどく不機嫌。父親のパウルは彼女がドイツに来ることを希望するが、余計なお世話とばかりに拒否。パウルにとって亡き妻エヴェリンは熱愛の対象で、彼は妻の死の打撃から立ち直れない。
一方、カタリーナは、母親はドイツ人、父親はイタリア人で、幼い時に母親に捨てられた事実だけを口にする。


老婦人との面会

ジャズ演奏のゾフィ
(C)2015 Concorde Filmverleih / Jan Betke

 どうやら、エヴェリンは新生児の処遇について思いあぐね、女友達のローザ(カリン・ドール、ヒッチコックの『トパーズ』に出た往年の大女優)に預け、パウルとの結婚生活をつづけた事実が見え始める。
そこで、ゾフィはフィリップの助力を得て、カタリーナが母と呼ぶ女性ローザを老人ホームに訪ねる。しかし、老婦人は認知症で過去を思い出せない。ゾフィの調べもこの段階で頓挫(とんざ)する。
親探しが行き詰まり、次の展開の一手が待たれるところだ。


幼児期の写真

結婚式をプロデュースするゾフィ
(C)2015 Concorde Filmverleih / Jan Betke

 カタリーナは、今まで関心を示さない幼児期の写真を見るうちに、実の母は亡きエヴェリンであることを確信する。「では父親は」との疑問を抱き始める。
ドイツに来たカタリーナは、実父についてパウルに問いただす。ここで、筋が新たな方向性を見せる。
パウルは意外な事実を打ち明ける。エヴェリンは結婚時すでに妊娠しており、当時堕胎が認められていたオランダまで行ったことに触れ、結婚生活中に、頻繁に声楽の勉強のため1人でローマを訪れていたことを語る。
パウルは、カタリーナの父親は犬猿の仲の兄ラルフだと主張する。そこで、ゾフィ、パウル、ラルフの3人の話し合いの場が持たれる。温厚な性格の兄ラルフに対し、パウルは粗暴で、すべてを自身の意のままに動かしたいタイプ。その場で兄を不倫相手と決めつけるパウルに、ラルフはエヴェリンの昔の手紙を見せる。
エヴェリンはパウルの粗暴な性格を嫌い、その兄ラルフに思いを寄せていた。しかし、2人は家庭をおもんばかり、不倫関係を避ける。
ラルフへの思いを断ち切れぬエヴェリンだが、度々訪れるローマで不倫の果てイタリア人との間に一児をもうける。ここで、カタリーナとゾフィはエヴェリンの娘であることを確認する。
最後に、冒頭の菜の花畑を、ハンドルを握り疾走する初老の男性がラルフで、彼は心の恋人、亡きエヴェリンの墓に花を手向けていた。この見事な菜の花畑が、人の動きを見せる美しい背景となっている。
『鉛の時代』(1981年)を思わす姉妹の物語で、複雑にからんだ糸を丁寧にほぐし、父の兄ラルフや育ての親ローザのように、血のつながらなくとも家族であることを伝えている。
物語の展開と糸のほぐし方は、オーソドックスだが工夫がこらされている。


トロッタ監督について

トロッタ監督(左)とゾフィ
(C)2015 Concorde Filmverleih / Jan Betke

 トロッタ監督の強さと優しさ
筆者の私見だが、世界の映画界を見渡せば、トロッタ監督は力量、感性、そして人間のとらえ方からみて、おそらくナンバー・ワンの位置を占める監督である。
古くは、極左で世界中の若者の反乱の中で生まれた時代の産物、ドイツ赤軍派の青年との関わりでマスコミのバッシングに会う女性を描く、第1作『カテリーナ・ブルームの失われた名誉』(1975年/フォルカー・シュレンドルフと共同監督)、ドイツ赤軍派の闘士で、捕われの身である姉と彼女を支える妹を描く『鉛の時代』、そして、日本でもヒットした、ナチスの大量殺人の実行者アイヒマン裁判を通しての人間の悪に対する考察、『ハンナ・アーレント』(2012年)など、力作、問題作がある。
トロッタ監督は、常に主人公を女性に据え、その彼女たちに強い性格を与える、一貫する手法が持ち味で、作品には常に強じんさが貫かれている。
彼女の女性像は、明らかに男性が描くそれと異なる。自己思想を貫く女性、本作のような自分で運命を切り拓く勇気を持つ女性が多く描かれる。そして、彼女たちが極めて真っ当であることが、トロッタ作品の強さと優しさである。

 



(文中敬称略)

《了》

7月16日(土)EBISU GARDEN CINEMA 他全国順次ロードショー

映像新聞2016年7月11日掲載号より転載

 

 

中川洋吉・映画評論家