『オーバー・フェンス』
小説家・佐藤泰志の函館3部作最終章
原作生かす若手世代監督の力業 |
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函館の生んだ小説家、佐藤泰志の函館3部作の最終章『オーバー・フェンス』(山下敦弘監督)が映画化された。特異な才能の持ち主である、佐藤泰志の描く青春そのものが魅力であり、そこが多くの人々の関心を集めている。
一見、地味な地方在住作家が、ここまで有名になるとは想像外であるが、地元函館の彼の資質を評価し、本作の企画者である菅原和博の尽力が佐藤泰志、再発見へとつながる。
菅原は製作実行委員会代表を務め、『海炭市叙景』(熊切和嘉監督/2010年)、『そこのみにて光輝く』(呉美保監督/14年)、そして本作と、函館発信映画3部作製作にかかわる。
地方からの発信作品は全国的に知られるものの、一般に浸透しないのが現状であり、あえてそれに挑む菅原和博のリーダーシップは注目すべきで、彼のような推進役なしでは長続きしない。
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山下敦弘監督
(C)2016「オーバー・フェンス」製作委員会
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3部作とも監督が大阪芸大の同窓であることが興味深い。『海炭市叙景』は熊切和嘉監督、『そこのみにて光輝く』は呉美保監督、そして『オーバー・フェンス』は山下敦弘監督と40代前後の若手である。
この大阪芸大出身者の特徴は、人間の生きる実感を映像にぶつけられるところにあり、観念的思考性の強い横浜の芸大大学院出身者と異なる。
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オダギリ・ジョー
(C)2016「オーバー・フェンス」製作委員会
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本作の主演は函館に戻る男、オダギリ・ジョーの白岩義男、地元の奔放な女、蒼井優の田村聡(さとし)と、静と動の性格付けが作品全体にめりはりをもたらす。いつ爆発するかわからない普通の男の持つ焦燥感、自己のすべてを賭けて、別の存在を得ようとする女、2人のせめぎ合いの緊張感は、観客を最後まで離さない強いインパクトがある。
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蒼井優
(C)2016「オーバー・フェンス」製作委員会
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蒼井優演じる「聡」は、女性の名としては奇妙だが、彼女の言うことが振るっている。「名前で苦労したけど、親のこと、悪く言わないで。頭、悪いだけだから」。
前作『そこのみにて光輝く』も、2人の男女の思いにまかせぬ日常が綾野剛、池端千鶴、そして脇で光る池脇の弟役の菅田将暉、1作目の『海炭市叙景』の竹原ピストルと谷村美月の若い兄妹の構造的貧困に呑まれそうな、実在感のある俳優をそろえている。実際、最近の若手俳優がここまでうまいかと感心させられる。
本作では主演2人の強弱のアクセントを狙いとする演出に監督の手腕が光る。
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松田翔太
(C)2016「オーバー・フェンス」製作委員会
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10人ぐらいの男たちが、そろいの帽子にジャンパーと作業ズボンのいで立ちで働く姿が、冒頭に現れる。そろいの作業衣姿から、てっきり刑務所の作業所と勘違いする。ここは、職業訓練木工所で、それぞれ訳ありらしき人々が働く。
60歳過ぎの男、元営業マンの青年、人付き合いのうまくできない引きこもり予備軍の青年、元ヤクザと多士済々であるが、誰ひとり、半年の研修で本物の大工になろうとは思わない。人生の中休みである。ただし、看守を先生と呼ばす刑務所の画一的集団行動がないところは救いである。
昼休みのシーンで、訓練生のソフトボールの練習シーンが数回出てくるが、このソフトボールがラストの伏線となる。
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オダギリ・ジョー(右)と蒼井優
(C)2016「オーバー・フェンス」製作委員会
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主人公たる中年男白岩は東京の建築会社で働くが、仕事が忙しくまともな家庭生活を送れない。妻は子育てウツ症状に陥り、ある晩、娘の口に枕を当て窒息させる現場を目にし、その後、離婚する。
帰郷してからは、実家に戻らず1人暮し、夕食はコンビニ弁当と2本の缶ビール。職場とアパートを往復する味も素っ気もない毎日。彼も同僚たちと距離を置き、ほとんど自身について語らない。自ら、退屈な男になりきっている。
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オダギリ・ジョーと優香
(C)2016「オーバー・フェンス」製作委員会
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蒼井優、若手女優の中では何でもこなせる、できるタイプであり、しかも感情の表し方に特別な技能がある。山下敦弘監督曰く「この2人には人を信じ込ませる力がある」と。言い得て妙である。
2人とも、演じる芝居が作りものとは思えない自然さがある。今は亡き大女優、杉村春子の芝居は、100歳で亡くなった故新藤兼人監督に言わせれば「杉村さんの芝居は、自然に見えるが、あれは彼女が考え抜き作ったもの」と喝破する。2人は、まだまだ杉村春子の域には達しないが、そこまで行ける可能性を秘めている。
元々、原作にはない鳥のダンスのシーンを本作は加えているが、これを聡が鳥の求愛シーンとして踊る数シーンが本作の見どころである。ただし、ここではもう少しシーン数を減らす方がより知的に、より官能的に見えるのではなかろうか。
だが、ラストのキャバクラで、彼女が手いっぱい広げ鳥の求愛ダンスを踊り出し、白岩がそれを受け踊り出すあたり、最高のラヴシーンとなる。
この踊りには蒼井優の持つエネルギーが、コントロールが効かなくなるほどの愛情表現となっている。彼女には、生まれながらのエネルギーが体内に充満しており、これを引き出す演出が極まっている。
原作、特に3部作は、事件の連続で作品を盛り上げるよりは、静かな日常性の積み重ねで物語を展開させている。率直に言えば、佐藤泰志文学は暗く、本作『オーバー・フェンス』では、特段の起伏はない。
木工所での男の集い、キャバクラでの聡との出会い、遊園地での議論、そして前妻の存在と彼女の杞憂(きゆう)と続き、彼女が持ち前のエネルギーで平坦な地面にギザギザを入れるスタイルで押している。いわば、小さな起伏で1つのうねりを作り上げているのだ。
このあたりは、『そこのみにて光輝く』の脚本家でもある高田亮のセンスの良さであろう。ほかに高田亮は『さようなら渓谷』(大森立嗣監督/13年)や『きみはいい子』(呉美保監督/14年)などでも見られるとおり、腕前は実証済みである。
鳥のインサートが何度か登場する。その意味するところは2つあると考えられる。聡の鳥の求愛ダンス、モダンバレエの趣がある。この踊りには爆発する彼女のエネルギーがあふれ、鳥には大空を舞う力があるとする暗喩があるのではないか。
もう1つの解釈として、北の薄い灰色の空を舞う鳥は、作品全体を象徴しているようだ。北国の夏は素晴らしく快適そのものである。しかし、晴天の合間に顔をのぞかせる曇天は、薄灰色の澱(よど)んだ色となる。この夏の澱む函館の空は、佐藤文学そのものであり、それを狙ったものではなかろうかと筆者は勝手に想像している。
魅力は出口なき青春の彷徨
佐藤文学、特に函館3部作の魅力は、一言でいえば「出口なき青春の彷徨(ほうこう)」であり、誰しも一度は体験する思いがある。それ故に、一度は忘れられかけた佐藤泰志文学が蘇ったといえる。作家佐藤泰志(1949−90年)は41歳で夭折する。芥川賞候補に5度なるが、賞の獲得ならず一生を地方在住作家として通す。
暗い佐藤文学でも、本作では少しばかりの光明が当てられる。それは前半登場し、伏線となるソフトボールである。主人公白岩は、聡と前妻の件で大げんかし、一時的に疎遠となる。しかし、最終的にソフトボールの応援に姿を現す。そこで、にわかに張り切る白岩はフェンス越えのホームランを放ち、2人で大喜びするシーンである。
確かに原作には青春があり、それを生かす山下敦弘監督は、力感をもって描き上げている。足が地につく、若手世代監督の堂々たる力業(ちからわざ)がさえる。
(文中敬称略)
《了》
9月17日(土)、テアトル新宿ほか全国ロードショー
映像新聞2016年9月12日掲載号より転載
中川洋吉・映画評論家
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