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『将軍様、あなたのために映画を撮ります』
北朝鮮に拉致された韓国監督と女優
資料的価値のドキュメンタリー

 今や国際政治における悪役と目される北朝鮮の"将軍様"と、彼をめぐる韓国・映画人夫妻との不可思議な遭遇を描くドキュメンタリー『将軍様、あなたのために映画を撮ります』(2016年、英国/ロス・アダム、ロバート・カンナン共同監督/以下、『将軍様』)がお目見えする。映画を通し、現代史の一面をうかがう意味で資料的価値がある。

 
将軍様とは、金正日党総書記(以下、キム・ジョンイル)のことで、現在の金正恩党総書記の父に当たる。タイトルの「あなたのために映画を撮ります」とは、韓国から北朝鮮へ拉致されたとされる韓国映画監督、申相玉(1926年−2006年)(以下、シン・サンオク)のキム・ジョンイル(1941年−2010年)への忠誠を誓う言葉とされている。 この2人が本作の主人公であり、キム・ジョンイルが君臨し、シン・サンオクは命がけでひたすらへつらう態度に終始する。 本作では、映像、録音、そして、関係者の証言でまとめられ、北朝鮮研究の第一級資料と呼べる。特に、録音でのキム・ジョンイルと、日本語を流ちょうに話すシン・サンオク(彼は東京芸大美術学科に留学)の肉声は驚きである。 このシン・サンオク事件は闇の中で、現在まで実相がはっきりしない。本作で細部が明らかにされるが、拉致の真相はシン・サンオクの発言の筋書きをなぞるもので、判然としない部分があり、果たして拉致か、自主亡命かは本作では明解に答は出していない


事の次第

キム・ジョンイル(中央)、シン・サンオク監督、チェ・ウニ
(C)2016 Hellflower Film Ltd/the British Film Institute

 シン・サンオクの妻、崔銀姫(以下、チェ・ウニ)は1928年生れの、今見ても凄いと思わせる若いときの美ぼうと演技で、1960年代の国民的スターとうたわれる大女優である。大変な才人で、監督、演技学校の校長兼理事長などを務め、韓国の芸術振興の発展に寄与する大物文化人でもある。
53年にシン・サンオクと結婚し、その後、シン作品には必ず主演と、文字通り大物2人は韓国映画のけん引車的役割を果す。しかし、76年に1度離婚している。
その彼女は78年に姿を消し、何らの消息が得られぬ時期が続く。北朝鮮の拉致も取り沙汰されたが、確たる証拠もなく、不可解な印象を残す。当時は、北朝鮮拉致についての詳細が知らされず、何らかの事情による行方不明と考えられたフシがある。


シン・サンオク

亡命記者会見の二人
(C)2016 Hellflower Film Ltd/the British Film Institute

 監督のシン・サンオクは、60年代−70年代(特に60年代)の韓国を代表する巨匠。作風はメロドラマやホームコメディを得意とし、いわゆる何でもこなす万能型のヒットメーカーでもある。
現存する彼の作品は少なく、筆者は彼の作品の1本『離れの客とお母さん』(61年、本邦未公開)を目にする機会を得たが、こなれた腕の持主であることは確かだ。彼は、時のパク政権でも文化人として遇されていたようだ。
しかし、自作の検閲を巡り当局の心証を害し、側近グループから降ろされる。この件は、別の資料からの引用であり、確証はないが、後ろ楯を失ったことがシン・サンオクの映画界での影響力を失わせた可能性があり、この説に賛同する韓国ジャーナリストからも、彼の行動を疑う発言をカンヌ国際映画祭で耳にしたことを覚えている。



2人の行方

海外映画祭でのチェ・ウニ(左)とマリリン・モンロー
(C)2016 Hellflower Film Ltd/the British Film Institute

 チェ・ウニは多額の借金があり、融資の話である実業家の招きにより香港に渡り、実業家と名乗る北朝鮮工作員に1978年1月拉致されたことが明らかにされている。彼女は、無駄に反抗せず従順な態度を選ぶ。これも1つの生き方の選択で、チャンスを待つ処し方である。



シン・サンオクの拉致

チェ・ウニ
(C)2016 Hellflower Film Ltd/the British Film Institute

 チェ・ウニの消息はようとして知れず、同年7月にシン・サンオクは彼女の行方を捜す矢先に北朝鮮に拉致される。
この失踪は疑問に満ちている。彼は、元妻が北朝鮮に拉致されたことをほぼ確信していたと推測できる。彼は1953年に申相玉プロダクションを設立し、大女優チェ・ウニを擁し、60年代−70年代を通し、自他ともに認める巨匠となる。
しかし、自身のスタジオを維持するためにパク軍事独裁政権に迎合せねばならず、政権の意図に逆らえないのが当時の状況である。具体的には、75年の『バラと野良犬』で韓国当局との摩擦に端を発する、いわゆる登録取り消しである。
軍事政権下の韓国の映画法では、映画会社は登録の義務を負わされる、いわゆる許可制であり、後のキム・デジュン大統領下でこの映画法は改正される。
このような事情で、彼の韓国での映画人生命が危くなり、自主的な北朝鮮への亡命説が流布される。これは拉致を否定する北朝鮮当局の発言と合致する。
シン、チェ元夫妻は、その後北朝鮮にとどまる。チェは監視付きながらも好待遇、シンは収容所入り、2度脱走したカドで拷問を受ける。折しもキム・ジョンイルの誕生パーティに2人は招かれ、初めて2人とも北朝鮮にいたことを知る。



3年間で17本の作品製作

撮影現場
(C)2016 Hellflower Film Ltd/the British Film Institute

 1983年に2人は再婚、キム・ジョンイルの指示で、申フィルム映画撮影所総長となり、彼は映画人として遇される。まさに、キム・ジョンイルのアメとムチである。
北朝鮮の狙いは、韓国の大物映画人でヒットメーカーであるシン・サンオク、そして、当時の元妻で国民的スター、チェ・ウニの2人を拉致し、自国映画を撮らせる算段である。キム・ジョンイルの要請に応えるように、84年から米国亡命までの3カ年に17本の作品を製作している。3年間で17本製作とは、シン・サンオクの職人的手腕を感じさせる。
1作目が『帰らざる密使』(84年/チェコ映画祭監督賞受賞)、そして『塩』(85年/モスクワ映画祭主演女優賞)によって海外で知られる、ほかに『ゴジラ』に触発されたのか、怪獣映画『プルガサリ 伝説の大怪獣』(85年/98年に日本公開)を製作。この作品では日本の東宝特撮チームが参加するが、クレジットには日本人名は載っていない。


シネフィルの党総書記

将軍様キム・ジョンイル
(C)2016 Hellflower Film Ltd/the British Film Institute

 キム・ジョンイルは、公衆の面前にはほとんど姿を見せないことで有名である。非常に孤独な境遇と言われ、趣味の映画はシネフィル級であり、約2万本のフィルムやビデオを所有し、日本映画では『ゴジラ』や『寅さん』がお気に入りであった。
この彼、自国映画での国威発揚を狙い、目を付けたのがシン=チェの黄金コンビである。彼は、自国の作品が国際賞を得ることに執着し、シン夫妻をチェコ、モスクワ、そして、オーストリアのウィーンへ派遣する。
しかし、1986年には夫妻揃ってウィーンの米国大使館に駆け込み、米国への亡命を果す。海外映画祭へ参加する2人は(勿論監視付き)、その気になればいつでも亡命できるはずであり、この辺りが、シン・サンオクの自主亡命説がくすぶる由縁だ。
筆者は、94年のカンヌ国際映画祭で審査員を務める彼を見たが、温厚そうな老紳士の印象を受けた。この時に審査委員長はクリント・イーストウッド、最高賞のパルムドールはクエンティン・タランティーノ監督の『パルプ・フィクション』であった。



将軍様キム・ジョンイル

将軍様とチェ・ウニ
(C)2016 Hellflower Film Ltd/the British Film Institute

 キム・ジョンイル時代、現在のように核問題はないが、南北の緊張関係は続き、彼は2010年まで最高指導者としての地位にとどまり、北朝鮮を支配する。彼には、ナチスのように映画の政治的利用の野心があり、自身のシネフィルぶりと相まって、映画の重要性を認識していたはずである。
その彼の懐に飛び込んだのがシン・サンオクで、彼は北朝鮮国家戦略の1つのコマの役割を担う。このシン=チェコンビは韓国映画界で1つの時代を築いただけに、北朝鮮における活動は、彼らのキャリアにとって惜しい。

 



(文中敬称略)

《了》

9月24日(土)よりユーロスペースほか全国順次公開

映像新聞2016年9月19日掲載号より転載

 

 

中川洋吉・映画評論家