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『ジュリエッタ』
娘の失踪の理由に苦悩する母親
シンプルな構成から広がる人間模様

 ペドロ・アルモドバル監督(スペイン)の新作『ジュリエッタ』は、見事な作りとしか言いようがない。今年のカンヌ国際映画祭のコンペ作品で、もしも審査員の構成が変わっていればパルムドール(最高賞)に輝いてもおかしくない上質な作品だ。(今年のパルムドールは、ケン・ローチ監督の「ダニエル・ブレイク」が受賞)

 
物語は、母と十代の娘を主人公とし、この娘が失踪、母がその理由を解明しようと懸命の努力をする。脚本の基本的骨子が確立されれば、いかに人物造型を作り上げるかが焦点となる。『ジュリエッタ』ではアルモドバル監督が脚本も担当し、彼の多彩な映画センスが貫かれている。


主役は2人の女優

現在のジュリエッタ
(C)EL Deseo

  光る巨匠の多彩な映画センス
アルモドバル組の出演女優陣の厚みは、他に類を見ない。最大のスターはペネロペ・クルスであろうが、中年女優で芝居のうまい俳優を起用しており、彼女たちの存在には目を見張るものがある。一言でいえば、彼女たちには人生に立ち向かう覇気と、女性独特の優しさに裏打ちされる味わいがある。
今回の主役ジュリエッタは中年女性であり、現在の彼女を通して物語が進行する。その中年のジュリエッタには、今年52歳の美しいベテラン女優、エマ・スアレスが扮(ふん)する。一方、若い時代は、現在31歳で今や中堅の域に達するアドリアーナ・ウガルテで、2人の容姿には共通する点が全くない。何もソックリさんであることに、アルモドバル監督はこだわらなかったと考えられる。
12年前、一人娘のアンティアが理由を告げず失踪する、この失踪が物語をけん引する。なぜかを自問する母、その理由が次第にほどける推理小説張りの緊迫感。その展開に引き付けられる。大した脚本の力(りき)である。


スペイン独特の家族観

若い時のジュリエッタ
(C)EL Deseo

 興味深いのは人間関係で、英語圏民族と異なるスぺインの独自性が描かれている。英語圏では、子供は大きくなると独立し、互いの関係が希薄になるが、スペインは異なる。非常に濃い家族関係を、精神的にも地理的にも崩れぬ強じんさをもって、アルモドバル監督は指摘している。
彼の作品で採り上げられる女性同士の愛憎と和解は、典型的な例だ。広く考えればスペインの精神的風土であり、スペイン自身のアイデンティティにもなっている。この独自性がアルモドバル作品の艶(つや)でもある。



現在

ジュリエッタ(右)とベア
(C)EL Deseo

 ジュリエッタを演じる年配のエマ・スアレスは、知的な中年女性の美しさをたたえ、アルモドバル作品の今後のミューズになるかもしれない女優である。
彼女は古典文学の教師で、今の恋人で作家のロレンソ(ダリオ・グランディネッティ、アルモドバル作品『トーク・トゥ・ハー』で日本でも知られる中年男優)のポルトガル移住について行くことになる。
しかし偶然、街中で娘アンティアの幼友達ベア(ミッシェル・ジェネール)から、失踪した娘の消息を知らされる。あきらめ切った娘の存在に動揺するジュリエッタは、ポルトガル行きをやめ、マドリードにとどまることを決める。理由の説明もなく、ただただ驚くロレンソである。



若き日のジュリエッタ

失意のジュリエッタ
(C)EL Deseo

 物語は過去にさかのぼり、若き日のジュリエッタが登場する。女優はエマ・スアレスから若いアドリアーナ・ウガルテへと代わる。夜行列車内の若いジュリエッタは金髪のショートヘアで、現在の彼女とは別人のようだ。この短い金髪が若さと相まって極め付きの格好良さを醸し出している。
彼女はこの夜行列車内で、2つの体験をする。ここから物語は徐々に全開モードへ転調していく。車窓の外では鹿が列車を追いかけ、何かの予兆を感じさせる。
彼女1人のコンパートメントに中年男が入ってくる。明らかに異様な様子で、彼女は気持ち悪がり食堂車へと移る。そこで相席となるのが、後の彼女の夫となる漁師の若いショアンだ。
突然、列車がガッタンと停まる。人々は窓外の鹿が轢(ひ)かれたと思うが、実は彼女のコンパートメントに入ってきた中年男だった。旅行かばんは空の状態で、覚悟の上の自殺であった。この男は死ぬ前、ジュリエットに何かを話したがったようだが、彼女はそれを無視したことに強い自責の念を感じ、長い間、心の中に悔いが残る。
突然の出来事にショックを受ける彼女を若いショアンが慰め、2人は狭いコンパートメントの中で愛を交す。この薄暗い中での愛の行動、実に節度をもって描かれる。2人の最初の親密な出会いだが、性の生々しさが見られない。この抑制の効かせ方、アルモドバル一流の美意識であろう。
後日、ショアンから手紙を受け取る彼女は、直ちに彼の居る港町へと飛ぶ、2人はともに暮らし、娘のアンティアをもうける。
しかし、悲劇は一瞬にして起きる。夫のショアンの家庭で長く勤めるメイドのマリアン(アルモドバル作品常連の異形のロッシ・デ・パルマ、本年のカンヌ国際映画祭の審査員)を解雇する。さらに、彼と付き合いの長い地元の美貌の工芸作家アバとの関係を疑う。すべてはジュリエッタの嫉妬心から発している。アバの件で2人は口論となり、ショアンは嵐の中、漁に出て遭難する。
傷心のジュリエッタはアンティアとマドリードに戻るが、心の傷は癒えない。そして、娘は18歳の時に家を出て、そのまま消息不明となる。独りぼっちになったジュリエッタ(エマ・スアレスに戻る)はうつ状態に陥る。



1通の手紙

 すべてを失うジュリエッタは、あて名の分らぬまま、娘へ1通の手紙を書き記す。今までのすべて、自殺男のこと、ショアンの遭難のことなどを―。


ベアの証言

 娘のアティアの失踪は、ベアにより知らされ、彼女がアンティアの現在の住所をもたらすことが作品の諦(し)めとなる、脚本のアイデアの良さが光る。
仲良しの女高生のアンティアとベアは別れ、2人とも音信不通となる。姉妹のように仲の良かった2人の別れの原因は、暗に同性愛の清算を匂わせる。この辺りの描き方の節度にも品の良さがある。
アンティアは、ピレネーの山の中、ベアはアメリカ留学へと別々の道を歩む。このベアの説明で、娘の失踪の更なる原因が明らかとなる。ここには、皆が、それぞれの内面の苦しみを背負い、生きる様子が浮かび上がる。



シンプルさと複雑性

 娘の失踪と残された母親、大変シンプルな構成であるが、次々と伸ばされる枝が次第に大きくなり、一つの家族の物語をつむぎ出す。この流れがスムーズで、見る側にとり、入りやすい工夫が凝らされている。
そして、家族という本来のテーマが大木の幹のように据えられる。その家族とは、親子、母娘と他人の介在を許さない強固さを持つ。しかし、例外的に、この強固さを女同士の友情や感情のもつれを乗り越え、友達以上、家族同様の関係を構築する。この硬軟の家族関係が、作品のふくらみであり、人々の心にすんなりと入り込む要素となる。
語られるテーマと併せて、美術と衣装の見事なアンサンブルは特筆に値する。例えば傷心のジュリエッタが頻繁に引っ越すアパートの壁の色、彼女の心象風景と合致する。また、若いジュリエッタの金髪のショートヘア、街中を長いトレンチコートで歩む、現在のジュリエッタのファッション感覚が並外れて良く、ため息が出るほどだ。
また、作品自体が強烈な原色で包み込まれるが、この視覚的鮮やかさは、人間は本来、明るく、輝くもののメタファーであることを示すのであろう。
すべてにおいて一級品である。

 



(文中敬称略)

《了》

11月5日(土)より、新宿ピカデリーほか全国ロードショー

映像新聞2016年11月7日掲載号より転載

 

 

中川洋吉・映画評論家