『東京国際映画祭2016』(前)
粒ぞろいだったコンペティション部門
最高賞は独・クラウス監督の新作 バラエティーに富んだ編成に |
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第29回「東京国際映画祭(TIFF2016)」は10月25日−11月3日の10日間、東京・六本木を中心に開催された。今年は、「この程度の作品が何故選ばれたのか」と思わせる映画が少なく、特にコンペティション部門は粒ぞろいだった。選考側の努力であろうが、世界的に豊作の年に当たったとも言える。いずれにせよ結構なことだ。
2016年度のコンペティション部門には、世界各国からの応募作品から16本が選考されたが、米国、フランスなどの映画王国作品は、ほかの国際映画祭に流れ、地味めな作品中心であった。
特筆すべきは、映画中堅国の、イラン、トルコ、北欧、中国、ブラジル、そしてバルカン半島諸国と、バラエティーに富む編成となり、選考担当者の目配りを感じさせた。それらの作品がそれなりの出来を見せ、最近では一番充実した編成であろう。
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「浮き草たち」
(C)2016 Over the Barn,LLC
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米国のアダム・レオン監督作品『浮き草たち』は、若者たちの怪しげな日常を追い、現在を感じさせる生きのよさがある。クライムドラマからラヴストーリーへと展開する、サンダンス映画祭風の味付けが施され、楽しめる1作だ。
音楽もカントリーミュージックを多用し、作品を弾(はじ)けさせている。若手俳優が走り回り、とにかく元気が良い。登場するニューヨークのユルいギャングたちが徘徊し、同じニューヨーク派のウディ・アレンものと比べわい雑であり、そこが面白い。
『浮き草たち』は、アダム・レオン監督にとって2作目であるが、これから伸びそうな才能を感じさせる。現在のニューヨークを伝える快作だ。プレス試写も数分で満席となるほど、米国の若手作品は人気がある。
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「パリ、ピガール広場」
(C)LA RUMEUR FILME − HAUT ET COURT DISTRIBUTION
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『パリ、ピガール広場』は、タイトル通りフランス作品である。ピガール広場はパリのモンマルトル広場のふもとにあり、フレンチ・カンカンでおなじみの「ムーラン・ルージュ」が赤い風車の威容を誇る、パリ隋一の歓楽街で、そのいかがわしさでも有名である。
本作の特徴は、登場人物たちがすべて有色人種であり、あるカフェを根城に、男たちが一攫千金を夢見てたむろしている。
移民たちはアラブ系とアフリカ系に分かれ、大概は別々のグループを組む。本作はアフリカ系が主体だ。余談だが、現在フランス映画界で最も勢いを持つのがアラブ系移民であり、今後、アフリカ系が第一線に進出する可能性は十分ある。
作品は、フランス社会の底辺に生きる移民たちのパワーを表に出し、ぐいぐい押し出す様子は、移民たちに必死な日常と、彼らの存在を否応なく眺めざるを得ない、フランス人の二面性が感じられる。力作である。
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「7分間」
(C)Goldenart Production S.r.l.−Manny Films−Ventura Film−2016
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イタリアからも、近ごろ数が少ない労働争議をテーマとする作品が選考された。タイトルは『7分間』である。7分間の意味は、工場労働者の休憩時間を指す。
イタリアの地方の繊維工場が、フランス資本に買収される。村で唯一の雇用先が、もしかすれば消えてなくなる心配があり、従業員たちは落ち着かない。そこへ、フランスから女社長が乗り込む。親会社の意図は奈辺にあるのかと、労働者たちの間でうわさが飛び交い、大騒ぎとなる。
会社の首脳陣の会議は長時間にわたり、労働者たちは、回答を今や遅しと待ちわびる。その会議には労働者代表も出席するが、情報は漏れてこない。待ちに待った会社の回答は、7分間の休憩時間短縮である。拍子抜けする人々、リストラは免れたと喜ぶ人々、そして、11人の女性労働者たちの態度決定が作品の焦点となる。
組合執行委員のベテランは口を酸っぱくし、「これは最初のわなで、一度引き下がったら、労働条件は少しずつ悪くなる」とし、会社側の提案に異を唱える。
しかし3度目の議論で、休憩時間削減を一度認めたら、休憩時間はおろか休暇もままならぬことを全員が理解し、会社側提案を拒否する。
クラシックな労働争議の描き方だが、女性工員たちの議論を積み重ね合意に至る、会話の力強さを感じさせる。欲しいものは、お仕着せでなく自分の手で勝ち取るべきとする教訓であり、他人任せでは駄目なのだ。
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「ミスター・ノー・プロブレム」
(C)Youth Film Studio
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戦前の中国の著名な作家で劇作家、老舎の短編を原作とする『ミスター・ノー・プロブレム』は、味わい深い作品である。
日中戦争中の重慶で戦争と無縁の生活を送る農園主一家と、管理を任される番頭「ミスター・ノー・プロブレム」の物語。番頭は大変気の付く人物で、一家にとり大事な存在。しかし彼は、どうも農園のあがりをくすねている様子。この彼の評価が作品の見どころで、ただの悪い奴、仕方がないが役に立つ奴と2つに分かれる。
戦争の影が全く見えない平穏な毎日。戦前の中国の富裕層の懐(ふところ)の深さが描かれる。モノクロを生かす、豊かな中国の風景が浮かび上る。地味ながら味わい深い作品である。
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「ブルーム・オヴ・イエスタディ」
(C)2016 Edith Held DOR FILM−WEST, Four Minutes Filmproduktion
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最高賞「東京グランプリ」は、ドイツのクリス・クラウス監督作品『ブルーム・オヴ・イエスタディ』に与えられた。過去に『4分間のピアニスト』(2006年)の大ヒットで知られるクラウス監督の新作。物語の発想の良さが際立つ。
ホロコーストのイベントを企画する男は頑固で人間嫌いの変人。その彼のアシスタントは、ちょっと変わったユダヤ系の若いフランス人女性。2人で衝突しながらも調査、アンケートを続ける。
2人はホロコーストの犠牲者の孫であり、徐々にホロコースト糾弾だけでなく、為政者と犠牲者との和解の可能性について思いを巡らすようになる。そこに新しいホロコーストへのアプローチが示される。
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「私に構わないで」
(C)Kinorama,Beofilm and Croatian
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審査委員特別賞の『私に構わないで』(ハナ・ユシッイ監督/クロアチア・デンマーク)と、最優秀監督賞の『サーミ・ブラッド』(アマンダ・ケンネル監督/スウェーデン・デンマーク・ノルウェー)は、いずれも若い女性の自立の意志を描いている。
『私に構わないで』の女主人公は、研究所務めであるが、大家族で家庭内に自らの居場所が見つからない。そして父親の死で、彼女に重い負担がのしかかる。しかし、彼女は家にとどまる。
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「サーミ・ブラッド」
(C)Nordisk Film Production Sverige AB
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一方の『サーミ・ブラッド』の主人公は、北欧最北端ラップランドに居住する先住民族のサーミ人であり、1930年ごろまでは被差別民であった。1人のサーミ女性は、すべてを捨て自らの社会と絶縁する。
対照的な生き方の2人である。この異なる問題提起、古くて新しい問題であり、自立という意味を今一度考えさせる。
最近の映画は、世界的に家族が一番の大きなテーマであり、この概念は人間と人間の絆(きずな)を今一度確認する作業である。この傾向は一過性のものではなく、普遍的な問題であり、奥が深い。
そのほかに、現在の世界を大きく揺るがす難民問題は、大げさに言えば、民族大移動の様相を呈し、触れねばならぬが議論の行き先が定まらず、もう少し時間をかける必要があり、映画界は少しばかり腰をため、行先を観察しているフシがある。現在は、難民問題を直接的に描かないというより、描けない状況といえる。
(文中敬称略)
《つづく》
後編は12月12日号に掲載予定です。
映像新聞2016年11月28日掲載号より転載
中川洋吉・映画評論家
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