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『The NET 網に囚われた男』
圧倒されるキム・ギドクの作風
朝鮮の南北問題を独自の視点で描く

 昨年の東京フィルメックス(11月19−27日開催)のオープニング作品は、韓国のキム・ギドク監督『The NET 網に囚われた男』(以下『The NET 』)であった。あまりのインパクトの強さに見る者は圧倒され、その力業にただただ感嘆するのみである。『The NET』は、朝鮮半島の南北問題をキム監督の独自の視点で描き、今までの南北ものや、脱北ものとは一味も二味も違う発想が際立つ。南北問題を扱いながら、同時に韓国の現在を撃つ姿勢が強くにじみ出ている。

 
本作の上映後に登壇したキム・ギドク監督の発言が興味深い。その論点をまとめれば、彼の持論は、強烈なバイオレンスの後に安寧(あんねい)があるとしていることである。この安寧を求める意志が彼の映画作りの信条である。それ故にキム・ギドク監督作品には、常に現実を見つめる姿勢が底流として存在する。
さらに彼は、現実に触れる重要性を認識している。例えば、今回の来日で福島へも足を運んでいる。彼の作品や言動から、彼自身、行動の人であると考えてよい。



事件の発端

 リュ・スンポムが演じる主人公ナム・チョル(以下、チョル)は北朝鮮の寒村に住む漁師で、妻と幼い娘がいる、ごくごく普通の家族である。ある朝、いつものように妻に起こされ、床で朝食を取る。その彼を頼もし気に見る妻。チョルは妻の視線に気づき、彼女を引き寄せ合体。このシーンから、チョル一家の仲の良さを感じさせる。
はなはだ無骨な愛情表現ではあるが、チョルの不器用さと妻の優しさが見て取れる。そして、モーターボートを駆って沖へ出る。しかし網がエンジンに絡まり、舟は韓国へ漂着。ここからチョルの悲劇が始まる。


公安の取調べ

北の海岸警備
(C)2016 KIM Ki-duk Film. All Rights Reserved

 韓国に漂着した漁師の苦難
到着したチョルは、別に逃げ隠れしないが、警察により公安警察へ引き渡される。単なる事故で、すぐに故郷の家族の元へ帰れるものと信じるチョルにとり、予想外の展開となる。
公安は、北のスパイの到来とばかり、手ぐすねを引き、彼からスパイとする供述を取ろうとする。



脱北者もの

南での拷問 主人公(右)
(C)2016 KIM Ki-duk Film. All Rights Reserved

 政府の政策として、国内世論の引き締めを狙い、北のスパイを宣伝材料にしたい意図がある。国としては、脱北者を一応受け入れるが、その前に、まぎれ込むスパイを選別せねばならない。そこで公安の登場となる。
一般的に、韓国映画では脱北者ものと呼ぶジャンルの作品群が登場し始めて久しい。脱北者は、最初は英雄として迎え入れられ、政府から金銭が支給される。しかし、彼らにとり政府の保護が切れた後が問題で、ここから生活難にあえぎ、二等国民扱いの差別の中で生きる状況が生まれる。脱北者の困窮である。このジャンルの映画では、彼らの悲惨な状況を描いている。



躍起の公安

若い取調べ官
(C)2016 KIM Ki-duk Film. All Rights Reserved

 北のスパイを捕えたとばかり、公安はスパイ作りに乗り出す。彼らにとって、スパイを摘発すればそれだけ点数が稼げる仕組みである。。
反共に燃える中堅の取調官は、一介の漂流漁民を、何としてもスパイに仕立てることに血道をあげる。まず供述書を何度も書かせることから始まり、次いで暴力、そして亡命の提案と、ひと通りのルーティーンがある。
あまりの執拗(しつよう)さに音を上げるチョルは、鉄拳を振るい「俺は手前らに負けやしない」と反抗する。ここで、彼の所属した軍隊の部隊名を口走る。それが特殊部隊であることから、勢いづく取調官は、ますます彼を締め上げる。屈強なチョルでさえ、精神状態がおかしくなり始めるが、あくまで一漁民でありスパイでないと頑張る。
反共に凝り固まる取調官は、さらにボルテージを上げる。上層部は、このチョルの拒否の態度を見て、彼はスパイでないとの心証を固め、次の手段として亡命の説得を指示する。これもチョルの早く帰国して、家族と共に暮らしたい意志にはねつけられる。
その間、同じ脱北容疑者とトイレで顔を合わせ、不思議な言付けを頼まれる。そして、その彼は舌を噛んで絶命。慌てふためく上司たち。彼らが一番恐れることは、マスコミに漏れることによる処分や左遷で、いわゆる官僚の保身が首をもたげる。このあたり、隣国、韓国と日本の類似性を感じさせる。



ソウル見物

夜のソウル
(C)2016 KIM Ki-duk Film. All Rights Reserved

 取調官の行き過ぎとチョルの否認に困り果てた上司は、彼をソウルの町へ連れ出し、発展韓国を見せることにする。もちろん尾行付きだが。
車内からは、にぎやかな街の様子が見えるが、彼は目をつむり見ないようにする。北へ帰国の折、南かぶれと当局から絞られるのを警戒してのことだ。
そこで、公安は彼を置き去りにし、どのような行動を取るか監視することにする。1人になったチョルは困り果て、しばらく座っているが、意を決し、目を開き歩き始める。

ソウルの町
(C)2016 KIM Ki-duk Film. All Rights Reserved

  ソウルの繁栄振りに驚きながら、1歩路地に入ると、1人の女性が2人の男に暴力を振るわれる光景に遭遇。腕っ節の強い彼は、男どもを退散させる。女性は薄い衣装をまとった若い風俗嬢で、店から逃げ出したとのこと。チョルは自分のオーバーコートを女性に掛けてやり、お礼に一杯ご馳走になる。
彼女は地方出身で、田舎に弟を残し、母親へは毎月送金している。そのためにソウルの風俗で働いている。そして彼女は、「一体、自由とは何」と口にする。この一言、見る側は思わず胸を突かれる。繁栄の裏側に、本当の自由が存在するのであろうかとの疑問がわき上がる。気を取り直し、女性はそのオーバーを着て立ち去る。
次に、自殺した容疑者との約束のため腸詰めスープ屋へ行き、彼の娘と思しき若い女性に不思議な言付けを直接伝えると、彼女は慌てて外へ出る。彼にとって、何が何だか分からないことだらけであり、仕方なく自主的に公安の許へ戻る。
チョルの頑強な拒否に手を焼く公安の上司は、今一度亡命を持ち掛けるが、最終的に折れ、彼を北へ戻す。その時のチョルは支給服を脱ぎ棄て、下着1枚となり北へ向かう。ここで彼の「俺はただの漁師だ」の強い意志が見る者に伝わる。


帰国

帰国した主人公
(C)2016 KIM Ki-duk Film. All Rights Reserved

 北朝鮮に戻ると、歓迎の横断幕が掲げられているが、すぐに北の公安に連行され、スパイとして南と同様な取り調べが始まる。公安の上司は、上へのおもねりから、南からのスパイを捕え、点数を稼ごうとする。
北も南も、公安のやることは変わらない。南北問題で苦しむのは常に弱者であることが、本作でも繰り返し述べられるが、これこそ、彼の言わんとすることである。



おわりに

 キム・ギドク監督の脚本の構成が実に良く練られている。主演のチョルの鍛え抜かれた体、精悍(せいかん)で強い意志を感じさせる容ぼう、そして内面の優しさと、権力に翻ろうされる弱者の悲しみが胸をつく。
人物造型も巧みだ。韓国公安のゴリゴリ反共の武闘派、チョルに優しく接し、正論を吐く若い取調官ジヌ(イ・ウォングン)、そして、上ばかり見ているヒラメ型人間だが良識も持つ上司と、まるで権力の内部構造を写し取っているようだ。
そして、随所に妻、風俗嬢、死んだ脱北者の娘と、女性の登場も作品に乙張(めりはり)を効かせている。何よりの特徴は、キム・ギドク作品お得意のバイオレンスが抑制され、作品自体に奥行きをもたらせているところだ。
さらに述べるなら、彼の作品として、間違いなく一級品だ。弱者に寄り添わんとする姿勢が最大の見どころである。

 



(文中敬称略)

《了》

2017年1月7日よりシネマカリテほか全国順次ロードショー

映像新聞2017年1月2日掲載号より転載

 

中川洋吉・映画評論家