『海は燃えている〜イタリア最南端の小さな島〜』
テーマとは逆の表現手法で描写
島民の平和な日常生活に焦点 |
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今や欧州や中東で大きな問題となっている難民問題を直接扱う作品『海は燃えている〜イタリア最南端の小さな島〜』(以下『海は燃えている』、2016年/イタリア・フランス合作、ジャンフランコ・ロージ監督)が公開される。ニュースでは大々的に報じられる難民問題、なぜか映画化されてこなかった。問題のどの部分に焦点を絞るのか、ニュースフィルムとどのように一線を画すか―といった難しさがあると考えられる。
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主人公の少年
(C)21Unoproductions_Stemalentertainement_
LesFilmsdIci_ArteFranceCineml
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舞台となるのは、地中海のランペドゥーサ島である。耳慣れない名前であるが、イタリア・シチリア島から220Km、チュニジアから113Kmと、むしろ北アフリカに近い。面積はほぼ沖縄の与論島と同じ、約20.2K平方メートルの小島であり、人口は約5500人。
地理的に見ても、軍事的要衝に適し、19世紀以来イタリア王国領、第二次世界大戦の戦場、現在はNATO(北大西洋条約機構)の基地が設置された歴史がある。
軍事面を除き、同島を有名にしているのは「船が浮いて見える」ほど、透明度の高いターコイズブルーの美しい海で、世界の絶景の1つとされている。とにかく透明な海はスゴイらしい
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難民ボート
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難民が到着する同島は中央地中海ルートと呼ばれ、リビアからの難民が多い。2011年の「アラブの春」で独裁者カダフィ大佐率いる政権を打倒したことは、多くの人々の記憶に新しい。
独裁から解放までは良かったが、その後の進展ははかばかしくなく、民衆がつかむべき民主的な政治権力は、逆にイスラム過激派が握り、政情不安となる。内乱状態に陥り、エリトリアやソマリアなど周辺国から、警備が手薄なリビアを経由し、多くの難民が地中海へ向かう。
彼らが目指すのが、イタリアのランペドゥーサ島である。難民の弱みにつけ込む悪徳業者に高い運賃を払い、地中海をゴムボートで渡るが、定員オーバー。さらに粗悪なゴムボートであるため、地獄の苦しみを味わう。そのため、渡航中に亡くなる人々は多い。
その彼らはイタリア政府に保護され、EU諸国へ散っていく。多くの難民の中には、希望がかなわず本国へ送還される場合もある。
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料理中の祖母
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地中海の小島を舞台に難民問題に迫る
ランペドゥーサ島には、この20年間で約40万人が上陸し、溺死する難民は1万5000人と推定される。とにかく危険すぎる旅路である。
本作『海は燃えている』は、ドキュメンタリーであり、難民の苦境だけを映さず、島の人々の暮らしを併せて描いている。島には漁港があり、人口の大半が漁で生計を立て暮らす。その中の1人サムエレ少年は、パチンコ(ゴム銃)が大好きで、鳥撃ちを楽しみにしている。
漁港を中心に生きる人々は、島の反対側を知らずに生活している。知る必要性を感じていないのかもしれない。彼らの知らぬ反対側に難民たちが上陸する。この2つの集団は相交わらない。
ボートで漂流する難民は、イタリア沿岸警備隊のパトロールがボートを見つけ次第救助し、上陸させる。沿岸には保護施設があり、彼らはここに収容され、それぞれの目的地へ向かう。しかし、島民はこの上陸騒ぎに全く関知しない。このような事態を全く知らされていないようだ。
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ゴム銃を撃つ真似をする少年
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物語は難民の困窮を描くのではなく、むしろ島民の日常生活に焦点を置き、平和な暮らしを追う。その中心にサムエレ少年とその家族を据える。
ロージ監督は、難民をテーマとする作品を意図するが、表現方法は全く逆というユニークな手法を用いている。この構成の妙が『海は燃えている』の価値なのだ。
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難民たち
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島民の暮らしとは別に、夜の海がインサート風に随所に盛り込まれる。明るい漁港とは対照的だ。島には大きなレーダーがあり、艦船が行き交い、船のサーチライトが荒れた海を照らす。そして「助けてくれ」「神様」「現在地は?」「250人いる」と、無線の音が響く。
事実、2013年には難民ボートが島の沖で失火し、転覆事故が発生、360人が亡くなっている。その件もあって、同年にはフランチェスコ法王が初の外遊で島を訪れ、犠牲者を追悼し、地中海の一小島が一躍脚光を浴びる。
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医師と少年
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没交渉の島民と難民とを結ぶのが、島在住の1人の医師である。彼の最初の登場は、難民女性の出産である。難民ボートには男性だけでなく、女性も多く交り、何人かは妊娠している。医師は子供を取り上げ、「もう大丈夫」と声をかけるが、妊婦には全く通じない。それでも1つの生が無事誕生する。
サムエレ少年の家庭では、ともに暮らす祖母が昔話を聞かせる。第二次世界大戦中は、艦船同士の砲撃で夜の海が真っ赤になったと、当時を振り返る。
タイトルの『海は燃えている』は、この真っ赤な海から想を得ている。孫は宿題、祖母は編み物と静かな生活を送り、一方では、逆のことが戦時中、そして、現在起きている。
難民と関係のない話が展開され、見る側は「いったい、本筋とどのような関係があるのか」といぶかる一場面である。サムエレ少年は弱視で、メガネをかける話だ。左目の弱視が検眼で見つかる。
鳥をパチンコで撃つ彼は、左目を閉じるから今まで気づかず、現在に至る。眼鏡を作り、徐々に視力を回復するエピソードだが、両目で現状をしっかり見ることの意で、ここに監督の意図が垣間見える。
サムエレ少年は叔父のイカ漁にお供する。いずれは一人前の漁師を目指して。獲れたイカは、家で魚スープへと形を変える。濃い目のブイヤベース風のおいしそうな漁師料理である。ここでは平和な生活が前面に押し出される。
陸に上がった難民はまず身体検査され、それからバスで保護施設へと向う。上陸する折、多くの遺体が船倉に放置され、医者が一番辛い仕事という検分がされる。
収容所内では絶望して1人でわめく者、そして皆での歌、楽しみはミニサッカー。これだけの苦難を経ても希望通りに目的地へ行けるものは少ない。
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ロージ監督
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ロージ監督は意図的に島民一家の生活を取り上げ、難民の部分を減らしている。ここに彼の狙いがある。
ニュースフィルムのように難民の悲劇を強調するよりも、平和な生活の描写に重点を置いている。少年や祖母の一家の、何の特別なことのない、平穏で、普通の生活こそ尊いことを伝えようとしている。これは卓越した手法で、難民ものに新しい視点を与えている。
リズムが緩く、起伏の少ない作りであり、時に退屈するが、見るべき作品だ。
(文中敬称略)
《了》
2017年2月11日からBunkamuraル・シネマほか全国順次ロードショー
映像新聞2017年2月6日掲載号より転載
中川洋吉・映画評論家
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