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『まなぶ 通信制中学 60年の空白を越えて』
教育現場から見る「学ぶ」ことの重要性感
初めて勉強する楽しさを味わう

 教育現場から見る「学ぶ」ことの重要性を教える作品、ドキュメンタリー『まなぶ 通信制中学 60年の空白を越えて』(以下『まなぶ』/太田直子監督)が単館ロードショーされている。教育現場と言っても、われわれの考える学校とは大きく異なる通信制中学であり、幼少の時にさまざまな理由で義務教育を受けられず、60過ぎから学び始める生徒にスポットを当てている。


通信制中学とは

宮城(左)と峯永
(C)グループ現代

 まず、耳慣れない通信制中学について触れる。通信教育は知られているが、通信制中学について知識を持つ人々は皆無に近いだろう。
舞台となるのは、千代田区立神田一橋中学校通信課程である。年20回の授業とレポートによる自宅学習で成り立つ。生徒は都内在住、在勤者で、戦争中、学校へ通えなかった老齢者である。
義務教育は戦後の1947年(昭和22年)に始まり、翌年の48年に通信教育課程が設けられる。当時は、全国に81校が設置されたが、60年代後半から70年代にかけての高度成長期に減少経過を見せる。
高度成長期からの減少傾向は、東京オリンピック開催の64年あたりからと、日本が豊かになる実感が得られる時期と合致する。この豊かさが義務教育就学率を引き上げたようだ。
現在は、全国で神田一橋と大阪市の天王子の2校が通信制を併設する中学校として存在する。


熱心な先生たち

理科の授業の宮城
(C)グループ現代


 教える先生は、おそらく神田一橋中学や天王子中学の先生たちであろう。老齢の生徒たちに対し、忍耐強く、熱心に教える先生方の献身的努力には頭が下がる。わずか数人の生徒のために休日を返上し、嫌な顔1つ見せず付き合う姿勢を目にすると、この格差社会のお国も悪くないと思うようになる。



生徒の人生をすくいあげる

授業風景
(C)グループ現代

 本作『まなぶ』のキャッチコピーと言える文言は、ある生徒が述べる「学ぶことは楽しいですよ。知らないことだらけですもの」に尽きる。
2009年から14年までの5年間、この生徒たちをカメラで追うのが、監督・撮影・編集・語りの4役を担う太田直子である。既に、前作のドキュメンタリー『月明かりの下で ある定時制高校の記憶』(10年)で高い評価を得ている。
現場では、彼女は1人でカメラを片手に生徒たちと向き合ったのであろう。息の長い、根気のいる作業であるが、彼女自身、大いに得るものがあったに違いない。そのことは作品を見る側からも容易に感じ取れる。
教育の在り方の根元を問うことは、言うまでもないが、それ以上に高齢の生徒たちの人生をすくい上げている、そこが『まなぶ』の価値である。



制度からこぼれ落ちる人々

神田一橋中学校
(C)グループ現代

  学校へ通えなかった老齢者
通信制中学と並び、義務教育を受けられなかった高齢者のために夜間中学がある。働きながら、そこに通う生徒たちを取り上げ、教育の使命を探求する映画人に、今や日本映画の大巨匠である山田洋次監督がいる。彼は徹底的に庶民の生き様を描き、普通に教育を受けられぬ少年、少女に注目する作家であり、その彼の働く者への共感を示す作品群がある。それらが、『学校』(1993年)、『学校U』(93年)、『学校V』(98年)、『十五歳 学校W』(2000年)であり、夜間中学を扱う作品として映画史に残る傑作だ。
山田作品では年少の十代が主人公であった。しかし年少者以外に、戦争中に中国や朝鮮から強制徴用され、その後、日本に定住した老世代が、読み書きを習う学校の存在もある。
この様に、一般社会制度から抜け落ちる人々に手を差し伸べるのが、通信制中学、夜間中学である。



卒業式

卒業式
(C)グループ現代

 『まなぶ』は、卒業式から始まる。この学校、今は3人だけの寂しい卒業式だが、昭和30年代がピークで200人以上の生徒が通ったが、今や、社会の変化で学校数がどんどん減る現実がある。おそらく、一橋中学の生徒数減で廃校となる危険性がある。しかし、若い時に学校へ行けない人々が減少しているとは到底思えないが。この通信制一橋中学の卒業式で見る限り、あまりの数の少なさに驚かされる。


生徒たち

再会を喜ぶ峯永と友人
(C)グループ現代

 70歳前後の生徒たち、彼らが教育を受けられなかった理由として、戦後の貧しさが挙げられる。彼らにとって学校は新たな発展の場であり、交流の場でもある。彼らは、ここで初めて勉強をする楽しさを味わう。
「学校へ行くと、青春になっちゃうの」と峯永、「制服姿の同級生を見て、さっと隠れた…」、「学ぶと心が豊かになる」、「憧れだったんだ、学生…」、漢和辞典を手にし、「今はこれで字が探せるようになった」、「あの、教科書の手触り…」と、それぞれ喜びを語る。
大した自覚もなく、漫然と学校へ通っていた身としては、勉強の貴重さを教えられる思いだ。



それぞれの人生

 生徒たちは、過去の人生で辛酸をなめ尽し、今がある。その中の1人の男性、宮城が語る半生には胸をつかれる。1941年(昭和16年)生まれ、今年で76歳の後期老齢者である。すこぶる元気が良いが、今までの無学のため数学がまるで駄目。計算で80割る10に四苦八苦、84割る10に至るともう迷宮入り。数字と無関係な半生、頭の中の応用作用が効かない。教育を受けない弊害を目の当たりにする思いだ。
東京生まれの彼は、戦中の疎開、帰京すれば米軍の焼夷(しょうい)弾での空襲で家を焼失する。その後、親戚を転々とする少年時代、とても学校へ通う境遇ではない。
小学校を出ると、勤労奉仕。そこでは年長の指導者による殴打の連続。年端のいかぬ少年を殴る若い指導者の傲慢(ごうまん)な態度。休みは月1回、その時は金がなく、公園で1日中過ごす惨めな青春時代。相談する相手もなく、人付き合いもせず、考え方に多様性をもたらす訓練もせず、人の話を聞かない。それが50代まで続く。
家庭では病妻を抱え家事一切を引受ける、気の良い人だが、知識がないため他人の話についていけず、独りよがりな生き方を通す。
その彼は、卒業式での答辞の時、「もし、学校を出ていれば、もっと頑張れ、劣等感に悩まされずに生きてこれた」と述べる。しかし、「今まで知らないと思っていたことに説明がつくこと、学友との交流の有難さは、学校で学んだお陰」と締めくくる。



学校の存在理由

 お米と引き換えに奉公に出される9歳の少女、先天的難聴で学校へ行けず、60歳を過ぎ入学、今まで読めない漢字を辞書で3時間かけて調べ、読めるようになる喜び。別の女性は、「家が貧しく奉公に出されるが、夫が戦死後、ミシン1つで子供を育て上げ、学校は神様がピカッとするものを与えてくれた」と語る。
皆、自発的に学ぶ意味を感じ取っている。「学校で学べることは、世の中では一切役立たないが、無形のものを学ぶ。そこが学校の価値」と彼らは考える。教育の本質を言い当てている。
普通に教育を受け、一生を送る人々にとり『まなぶ』は自分たちの問題と受け取るきっかけをつかむ、目に見えるもの(映像)である。
是非とも多くの人々に見てもらいたい。




(文中敬称略)

《了》

3月25日から新宿K's cinemaにて連日午前10時30分からモーニングロードショー中

映像新聞2017年4月3日掲載号より転載

 

中川洋吉・映画評論家