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『午後8時の訪問者』
脚本の緻密な構成で作品に厚み

 ベルギーのダルデンヌ兄弟監督(以下、ダルデンヌ)作品『午後8時の訪問者』が公開中である。彼らは、カンヌ国際映画祭コンペ部門に7作品連続出品、2度のパルムドール(最高賞)受賞と、同映画祭では圧倒的な成績を残す、アート系作品の超大物監督である。本作でも、彼らの腕前、感性はいささかの衰えを見せていない。

ダルデンヌ兄弟監督
(C)Christine Plenus

  ダルデンヌ作品は決して派手ではなく、むしろ地味目で、小プロダクション独特の少額予算のため、ガンガン宣伝を打ち耳目を引き付ける米国系作品とは一線を画している。彼らにとりテーマ性こそ重要で、それを実現する緻密な脚本構成により描かれる内容に厚みがある。  描く対象が社会的弱者や庶民が中心で、ちょうど昨年度の第69回カンヌ国際映画祭で2度目のパルムドールを獲得した、英国のケン・ローチ監督のように一貫して労働者階級を描くスタイルと共通するものがある。ただし、ローチ監督は社会を斬(き)る先鋭性を特徴とするが、ダルデンヌ作品は人間の内面と社会とのかかわりを追求するところが、両者の違いといえよう。


緻密な作劇方法−冒頭の20分

ジェニー医師
(C) LES FILMS DU FLEUVE - ARCHIPEL 35 - SAVAGE FILM - FRANCE 2 CINEMA - VOO et Be tv - RTBF (Television belge)

 本作『夜8時の訪問者』の脚本は、隙(すき)を見せぬ緻密な構成を特徴としている。つまり、描かれる1人ひとりの人間の描き方の目が詰まり、逃げがない。
冒頭の20分の展開で、物語を明かしてしまう手法が極っている。その後は、1つ1つの出来事を積み重ね、このミステリー・タッチ作品をまとめている。彼らの作品はコケ脅し、ハッタリとは無縁で、手堅く駒を一歩一歩進める安定感がある。タイトル『午後8時の訪問者』の原題は『La fille inconnue(見知らぬ少女の意)』で、なかなかうまい邦題である。ある見知らぬ黒人少女が何者かに追われ、診療所の扉を夜8時に叩く、「午後8時の訪問者」である。
診療時間過ぎに監視カメラに写る少女の顔、医師の若き女医のジェニー(アデル・エネル)は、診療終了とばかり扉を開けない。これが物語全体の発端となる。これらの場面を最初の20分で見せる、演出力(脚本を含めて)のインパクトの強さが目を引く。


担ぎ込まれる少年

老医師とジェニー
(C) LES FILMS DU FLEUVE - ARCHIPEL 35 - SAVAGE FILM - FRANCE 2 CINEMA - VOO et Be tv - RTBF (Television belge)


 午後8時の診療所は、最後の患者の治療が済み、その時にドアベルが鳴る。室内には医師のジェニーと美青年である研修医のジュリアンがいる。
その少し前に1人の少年が激しい痙攣(けいれん)に襲われ駆け込む。ジェニーは鎮静剤を与え、応急手当を施すが、ジュリアンは黙り込み、何も手につかない様子で患者の少年を見ている。
ここに脚本構成上の2つの鍵がある。第1はベルであり、第2はジェニーのジュリアンに対するほのかな思いである。この2本柱を軸に物語は進行する。



ベルの主

診療中のジェニー
(C) LES FILMS DU FLEUVE - ARCHIPEL 35 - SAVAGE FILM - FRANCE 2 CINEMA - VOO et Be tv - RTBF (Television belge)

 ドアベルを押したのは、何者かに追われている黒人少女である。ジュリアンの忠告を無視し、その日の診療を終えるジェニー。診療時間は一応午後7時であり、閉めてもおかしくない時刻である。
翌朝、ジェニーは刑事の訪問を受け、少女殺人事件を知る。監視カメラにより少女の面(顔)が割れ、初動捜査が始まる。彼女は助けを求めるように診療所の扉のベルを押す。それが前の晩の午後8時のベルである。
寝耳に水のジェニーは驚き、もし、扉を開ければ一命を取り止めたのではないかと、自責の念にかられる。ジェニーの物語はこの段階から始まる。



研修医の放棄

少年の父(ジェレミー)とジェニー
(C) LES FILMS DU FLEUVE - ARCHIPEL 35 - SAVAGE FILM - FRANCE 2 CINEMA - VOO et Be tv - RTBF (Television belge)

  痙攣で担ぎ込まれた少年に対する応急処置の一部始終を見て、口も利けないジュリアンは、帰り際、ジェニーから「患者の感情に流され過ぎ」と非難される。
彼は彼女の診療所で、医学部最終学年の研修を受けている。ジュリアンは「医者を辞める」と、理由を告げることなく去る。少年の容態を見て彼はすぐに、父親のDVと見抜く。そして幼少時代、自分が親から受けた暴力を否応なく思い出し、突然の決意をする。
何が何だか分からぬジェニーは当惑する。ジェニーの私生活は演出上排除され、医師としての彼女だけを追うが、彼女のジュリアンへの好意が透けて見える。これが第2の柱。



ジェニーの責任感

チンピラに脅かされるジェニー
(C) LES FILMS DU FLEUVE - ARCHIPEL 35 - SAVAGE FILM - FRANCE 2 CINEMA - VOO et Be tv - RTBF (Television belge)

  責任感強い女医が真相に迫る
少女の死因の一端は自分にあると感じるジェニーは、なぜ少女が自分の所のベルを鳴らしたのかの疑問を持つ。
ダルデンヌ監督によるジェニーの人物設定は、若く、生真面目で、あまり笑わない、仕事熱心な医師像である。相手の目をしっかり見つめ話を聴き、言葉少なめに病状と治療法を説明する仕事一筋の女性で、彼女の責任感の強さと行動力を強調する。生意気な若い女医ではなく、自分が患者のために何をすべきかを第一義とする人間が描き出される。それ故に、彼女の私生活に触れない。


少女の行動を追って

 ジェニーに分かっていることは、少女がアフリカ出身ということで、名前すらわからない。ジェニーは「殺人事件に巻き込まれたことはお気の毒だが、同様に、故郷でいつまでも帰国しない娘を思う両親の姿を想像するのは悲しいこと」と考える。そして、少女のためにきちんと埋葬することが自身の務めと思うようになる。
責任感が強く、お節介と言えばそれまでだが、彼女の行動には、他人に対する奉仕の精神が感じられる。ダルデンヌ監督が狙いとして作り上げた女性像である。



ミステリーの帰結

 少女の名前は警察の調査で判明する。その後、ジェニーは仮埋葬のために奔走し、市民墓地の一角に場所を確保する。罪悪感から、彼女の顔写真を携帯に入れ、患者や心当たりの人に見せる行動へと移る。少しでも事実を集め、普通の埋葬をするために。



事件の進展

 ジェニーの担当する少年の患者にも少女の写真を見せると、脈の乱れが感じられ、事件の決め手の糸口が見え始める。少年が現場を目撃し、少女は娼婦であることがわかる。その直後、チンピラがジェニーを脅かし、警察も、クスリ関連の容疑者と少女の関係を洗い出し、「余計な手出しはするな」と釘をさす。
しかし、少年の父や、既にフランスに住む少女の姉たちから事情を聞き、ジェニーは事件の全体像を知る。
事件は売春絡みで、その1つの駒に使われる少女は、事故死であることが判明する。また、研修医のジュリアンが、医学の道へ復帰するエピソードが挟まれ、笑わぬジェリーをにっこりさせる。


信念を貫く

 これまでのダルデンヌ作品と異なり、ミステリー仕立てで、1人の医師の努力により真相が明かされる後半の展開にスピード感があり鮮やかだ。
また、社会のセーフティネットからこぼれる人々への目配りは、人道的であり、作り手の確固たる「人を大切にする」信念が貫かれている。
地味な作品で、娯楽性を求める観客には向かないが、映画的に見るべきものがある。




(文中敬称略)

《了》

4月8日(土)より、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国順次公開

映像新聞2017年4月10日掲載号より転載

 

 

中川洋吉・映画評論家