『アムール、愛の法廷』
熟年の淡い恋を描いた法廷劇 シンプルな作りながらも奥深さ |
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フランス映画の得意のジャンル、心地よい恋愛ドラマの1作が、13日から公開されている。『アムール、愛の法廷』(以下『愛の法廷』/クリスチャン・ヴァンサン監督/2015年製作、98分)であり、大人のカップルの愛の行方が楽しめる。
フランス映画興行で人気プログラムは、圧倒的に喜劇が強く『最強のふたり』(11年)、『最高の花婿』(14年)に代表されるコメディーの観客動員力は突出している。しかし、恋愛ドラマも根強い人気を保ち続けている。
本作『愛の法廷』は、中年の裁判官ミシェル(ファブリス・ルキーニ)と女性麻酔医ディットとの恋愛もので、進行は淡々とし、役者の力量が問われる1作だ。
背景は北フランスの地方都市、サントメールに設定される。この何でもない、フランスではどこにでもありそうな都市は、背景としては目立たず、コンパクトで落ち着いた佇(たたず)まいである。逆にパリが舞台では、物語自体に挟雑物(きょうざつぶつ)が入り過ぎ、散漫になるのを避ける狙いだろう。
そして、舞台は法廷とその近くのカフェがメインとなり、「法廷劇」と「熟年の淡い恋」が繰り広げられる。
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ミシェル(左)とディット
(C)2015 Gaumont/Albertine Productions/Cinefrance 1888/France 2 Cinema 「以下同じ」
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本作の原題は『Hermine』(エルミーヌ、英語ではアーミン)は、野生動物オコジョの毛皮のことであり、白い毛皮に黒点がある独特の模様が特徴だ。フランスは英国ほどではないが、伝統、形式にうるさく、裁判官は法服を義務付けられている。
裁判長のミシェルは赤の法服に「オコジョの毛皮」を肩からまとい、ほかの裁判官、弁護士は黒と決まっている。この法服により、裁判自体に重みをもたせる意味があり、中世以来の伝統である。
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裁判長ミシェル
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冒頭、1人の男が洗面所で顔を洗うシーン。男は主人公の裁判長ミシェルで、具合が悪い様子。風邪で熱っぽい彼は、体がきつく早退。向かった先は市内のホテル。彼はホテル住まいである。このコンパクトな地方都市で自宅も近いはずだが、ホテルでの1人暮し。ここが後の物語の展開の伏線となる。
彼は町はずれに立派な家を構えるが、妻とは離婚寸前で家庭は崩壊し、相手にするのは人懐っこい犬のみ。彼は、コートを取りに自宅へ戻り、妻と味気ない会話を交し、街中のホテルへ戻る。
ベージュのコートに赤いマフラー、そしてキャリーバッグを引っ張り裁判所へ向かう。風邪も手伝い、終始不機嫌。所内では「10年判事」と呼ばれるほど、厳しい判決を下すので有名な存在である。
10年以下の判決は下さない彼は、職場では尊敬されるが、気難しく打ち解けない謹言実直な仕事人間。この彼にも、心の中で熟年の恋の炎がともる。
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ディット
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熱っぽい風邪気味ではあるが、翌日は無理して出勤、機嫌がすこぶる悪い。その日の担当法廷は、7カ月の子供を蹴り殺した若い父親の事件である。ミシェルはアーミンを肩にかけ法廷に入る。この法廷そのものに実在感がある。裁判長を先頭に、陪席判事、書記などが一団となり入場する。法廷の様子がよく調べられている。
体力的にしんどいミシェルは、開廷後15分で休憩。この異例の休憩がハナシとしての含みである。
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法廷
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法廷でミシェルは陪審席の女性に気付く。裁判長は1人ひとりの陪審員には、注意を払わないのが普通であるが、今回は異なる。
今から6年前、彼はアパートの入口で強盗の襲撃に遭い、人事不省に陥り病院に運び込まれる。意識を回復し、彼の顔をのぞき込む麻酔医に気付く。中年の美人の女医で、執刀医とともに麻酔医として手術に立ち会うディット(シセ・バベット・クヌッセン)である。
美ぼうの女医に心を奪われるミシェル、医療人として手術を担当するディット。2人の思いは別々である。その憧れにも近い気持ちを抱えたまま、ミシェルは彼女と再会する。
全くの偶然の好機を逃すまいと、彼は休憩後に裁判所近くのカフェで会うことを彼女にメールで提案する。
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カフェの2人
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久しぶりの思わぬ対面、何かぎこちない。ミシェルの彼女に寄せる思い。入院時の感謝の気持ち、最初は訥弁(とつべん)だが、少しずつ熱を帯びる口調。この辺り、ミシェル役であるルキーニの芝居の上手さが光る。
フランスでは、うまい役者はもてはやされ、過去には、ミッシェル・ピコリ、フィリップ・ノワレ、ミッシェル・セローの名優を輩出し、現在は、ファブリス・ルキーニであろう。小柄で風采の上がらぬ男だが、口が達者な役柄を得意とし、本作『愛の法廷』は絶品である。この作品で、第72回ベネチア国際映画祭において最優秀男優賞を受けている。
個人的に、カンヌ国際映画祭のレセプションで、彼と話す機会があり、彼の口説の滑らかさに驚いたものだ。とにかく、日本人と見て日本の話題を熱弁し、すぐに消える彼の役者ぶりの凄さは印象に残る。日本で言えば、小柄な非二枚目で悪達者、そして脇をしっかり固め、場を取っていく橋爪功や中村梅雀といったところか。
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陪審員たち
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ディットは、久しぶりの対面で彼同様驚き、メールが来るとは夢にも考えられぬといった風情だが、優しく彼の話を聴く。大人の対応である。
彼女は、医者として当然の対応をしただけで、勘違いされては困ると内心は思いつつも、彼に問われ自身のことを話す。デンマーク出身の45歳、現在は娘と2人暮し、在仏歴は20年。そしてミシェルが一番気にする彼女の男性関係については、パートナーと一緒と質問に応じる。
フランス人は、離婚歴やパートナーの有無など、隠そうとする意識は少なく、平気で話すところがある。
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陪審席のディット
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子供殺しの若い容疑者は終始犯行を否認し、一時は、裁判進行が暗礁に乗り上げかかる。しかし、警察の調査に疑問を持ったミシェルは、最終的に無罪判決を下す。10年判事の汚名返上だ。
この法廷場面もよくできている。日本の場合、裁判所は検察調書の追認が実に多いが、論理の国である彼の地では、物言う判事が存在する。
彼は最終判決の前に迷う陪審員の控え室に顔を出し、「われわれには真実は決して分からない。陪審員の役割は法の本質を再確認し、何が罪かを人々に示すこと」と述べ、部屋を去る。
役者のうまさと脚本の良さが際立つ
カフェでの2人の会話の最後に、ミシェルはディットに「君を近くに感じるために、明日からの別の法廷に傍聴しに来てくれ」と懇願する。気持ちのこもる口説きだ。
翌日、傍聴席にディットが現われ、半ばあきらめ気味のミシェルを狂喜させる。ただし、相変わらずの厳格な表情を保ち続ける。最初はコートを着たままだった傍聴席の彼女は、コートを脱ぐ。じっくりと彼の法廷を「見ましょう」の意である。濡れ場は一切ない、熟年の恋の成就である。
2人の会話で物語を構成し、舞台は法廷とカフェというシンプルな作りであるものの奥深さがある。ルキーニの芝居は折り紙付きであり、受けのディットの存在が効いている。
シセ・バベット・クヌッセンは、デンマークではよく知られている。フェロモンを押し出すフランスの女優と比べ、北欧の女優はタイプが明らかに異なる。
彼女は意思の強さ、母性的な包容力、おおらかさを感じさせる。彼女の起用の理由の一つは、流ちょうなフランス語会話能力を買われてのことである。
役者のうまさと脚本の良さが際立つ1作であり、淡々とした大人の愛が描かれている。
(文中敬称略)
《了》
5月13日からシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開
映像新聞2017年5月15日掲載号より転載
中川洋吉・映画評論家
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