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『マダム・ベー ある脱北ブローカーの告白』
韓国移住への逞しい行動力
壮絶な生き様を若手監督が追う

 壮絶な人生を写し取るドキュメンタリーだ。ある北朝鮮女性の脱北者の苦難、国と家族の分断、すべて自ら招く災難ではなく、国家により翻弄(ほんろう)される主人公マダム・ベーを描く『マダム・ベー ある脱北ブローカーの告白』(以下『マダム・ベー』)(ユン・ジェホ監督/韓国・フランス共同製作/2016年製作、72分)が公開される。

マダム・ベー

  マダム・ベーは北朝鮮人で、夫と年ごろの2人の息子がいる普通の主婦。その彼女の壮絶としか言いようのない生き様を、韓国人の若手監督が追う。金正恩(キム・ジョンウン)体制への直接的非難ではなく、体制が生み出す北朝鮮国民へ降りかかる貧困と別離がテーマである。
  彼女の場合も例外ではない。最初は家族のために1年の約束で中国へ渡るが、その後、韓国へ渡ることなど考えもしない。しかし、中国に着いた彼女は脱北ブローカーにより、中国の貧しい中年の農民の妻として売買される。


製作の発端

中国人の夫(左)とマダム・ベー

 ドキュメンタリー作家としては、短編で腕を磨いてきたユン・ジェホ監督は、劇映画のネタ探しのため、中国で脱北者を探し始めたのが2013年である。そして、ある1人の興味深い脱北者に辿り着く。この人物がマダム・ベーである。
彼女は出稼ぎのため脱北し中国に渡り、売買されながらも、生きるために自身が脱北ブローカーを始める、バイタリティーあふれる人物である。そして、買われた中国人家庭へユン監督を呼び、しばらく家族と共に生活することを提案。開けっ広げな彼女だが、彼にとり分からぬことばかり。
しばらくして彼女は、「私を記録しなさい」と言う。ここで劇映画のアイデアからドキュメンタリーへと舵を切る。体験談を聞く目的で接するマダム・ベーからの思いもよらぬひと言には、ユン監督も面を食らったに違いない。


家族

ソウルの北の家族、息子(右)


  北朝鮮と中国に2つの家族を持つ女性
ユン監督は、彼女が脱北者であることは知っているが、家族関係、その他の事情は全く分からない。中国と北朝鮮に残す2人の夫と、2つの家族のシチュエーションが興味深く、撮影者として彼女を追うことになる。
彼女は、国家の分断と別離の問題に絶えずまとわりつかれる、逆境に生きる普通の中年女性である。ユン監督にとっては、素材としてこれ以上面白いものはないくらいの気持であっただろう。
中国人に売られ、農民の妻となる彼女は、中国人の世帯と、北朝鮮に本来の家族が実在する重婚状態である。この窮地をいかに突破するか、ひとえに彼女の腕力の凄さが映画『マダム・ベー』の見どころである。
売り飛ばされる、かわいそうな中年の脱北女性であるはずの彼女は、女1人、自力で苦境と対峙することを決意する。ここに、彼女を含む朝鮮半島の人々の本気度、根性が見られる。



2度目の脱北

中国人義母

 最初の脱北は、北朝鮮から中国への出稼ぎだった。その後、脱北ブローカーとなり、中国と北朝鮮の2つの家族を養う、"肝っ玉おっかあ"として行動するたくましさを見せる。この後に彼女は、北朝鮮に残す夫と2人の息子の身の安全のために、韓国に脱北させる。そして、自らも中国に家族を残し、韓国へ脱北する。
この2度目の脱北の時にユン監督は同行するが、これが大変な難行苦行で、彼は音を上げる。特に、中国、ラオス、ミャンマーの国境が交わる「ゴールデン・トライアングル」(麻薬栽培で世界的に有名)の徒歩の苦しさは並ではない。
彼らの当面の目的地は、タイ・バンコクの難民支援センターである。そこで行きたい国の希望を出すが、脱北者の大半は同じ言語と食文化を持つ韓国を希望する。



マダム・ベーの韓国の生活

中国人の夫

 既に息子2人と夫を韓国に脱北させ、親子4人の家庭生活が再現する。この脱北に関し、中国人の夫の同意を得た彼女は恵まれた方だ。
ソウルの家庭では、画面からは夫の仕事ははっきりせず、息子2人は生意気盛りと、夢に見た親子水入らずの生活ではない。しかし、今や家長格の彼女は、浄水器の清掃を生業とし、バイクに道具を積み客の家庭を訪問する。唯一の稼ぎ手なのだ。



脱北者受け入れ制度

ソウルの北の家族

 韓国に定着する脱北者は大体3万人、その7割が女性である。北朝鮮では男性はお上に逆らわないが、女性が多いことは、朝鮮の女性たちは進取の気風があるのだろうか。
韓国政府は、定着者に700万ウォン(約67万円)、そのほかに住居支援金として1300万ウォン(約133万円)を支給する。韓国政府は北に対し優位を示すための絶好の材料、そして宣伝となるため、これらの支援をしている。政府としては、多大な負担であるに違いない。
しかし、脱北者にとって韓国は、楽園ではないことも事実である。彼らは2等国民で、仕事も少なく、定職に就ける人は5人に1人と厳しい数字がある。また、子供たちの高校進学率は10%と低く、貧しいが故に学校でのいじめ被害もある。韓国映画でも、ジャンルとして脱北者ものがあり、彼らの困窮ぶりを描いている。
さらに、両国民を悩ますのが、それぞれの国民に対するスパイ嫌疑である。マダム・ベーの息子の1人は、母国や韓国の諜報機関の人間を「殺してやりたい」と口走る場面は、国家権力の締め付けの強さを物語っている。


ユン監督について

カラオケのベー

 ドキュメンタリー作品も手掛けるユン監督は、1980年、韓国・釜山生れ、今年36歳の若手監督である。彼のフィルモグラフィーを見れば、テーマによりドキュメンタリーと劇映画を使い分けているようだ。
彼の映画人としてのキャリアは、主としてフランスで築かれた。2001年にフランスに渡り美術学校で学び、映画にも興味を持ち中編、短編映画を製作。16年には『マダム・ベー』が、カンヌ国際映画祭ACID(独立プロ映画連盟)賞対象作品となり、同映画祭監督週間で上映される。
もう1つ、ユン監督にとって大きいのは、カンヌ国際映画祭が主催する学生映画祭シネフォンダシオンの1部門「レジダンス」に通ったことである。このレジダンスとは、世界中の若手監督7人を集め、同映画祭所有のレジダンスに4カ月半、無料で1部屋与えられ、その間に脚本1本を仕上げる映画教室である。
ここに入れば多くの映画人と直接コンタクトができ、同映画祭「ある視点」部門に優先的に出品が許される若手の登竜門である。既に何人かの優秀若手監督を輩出するフランス映画助成制度の1つだ。彼は、このレジダンスのおかげで、本作でフランス資金の導入に成功している。
『マダム・ベー』は、1人の女性の強い生き方と、国家権力に翻弄される人間の弱さを描く、力感あふれる作品である。





(文中敬称略)

《了》

6月10日からシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開

映像新聞2017年6月5日掲載号より転載

 

 

中川洋吉・映画評論家