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『いつまた、君と 〜何日君再来〜』
戦後の庶民の姿を丁寧に描く
俳優・向井理の祖母の生き様を映画化

 戦前から戦後にかけての日本人引揚者一家の苦難を描く『いつまた、君と』、副題『何日君再来』(ホーリー ジュン ザイライ)は、戦後70年を経た現在も記憶にとどめねばならぬ、歴史の1nでもある。俳優、向井理の祖母自身の半世紀をつづった『何日君再来』が原作で、映画化を目指して7年がかりでその孫が実現した。老いた祖母には、先ごろ亡くなった野際陽子が扮(ふん)している。底の浅い役者のファミリーものとは違い、戦後の庶民の姿が描かれ歯応えがある。

 
若き日の祖母、朋子に尾野真千子、そして祖父の吾郎には、この企画の推進役で、好感度抜群の美男俳優、向井理が扮する。祖父の吾郎は、曲がったことが大嫌いな、実直な性格のため、不運続きの一生を送る。朋子と吾郎は貧乏の中、2男1女をもうけ、物資が不自由な終戦直後の苦しい時代に子供たちを育て上げる。
尾野真千子が、明るく聡明(そうめい)で、プラス思考の母親役を演じる。彼女は美人でありながら気さくで、一途な役柄もこなせる、若手世代のエース格である。このカップル、いささか美男美女すぎ、特に中年以降、もっと老けた感じが欲しい。しかし、このコンビの明るさは作品のメイントーンとなっている。


戦中

家族
(C)2017「いつまた、君と 〜何日君再来〜」製作委員会

 2人の最初の出会いは、ある喫茶店。吾郎は白の夏のスーツ、朋子は着物姿。この衣装でも分かるとおり、本作は時代考証がきちんとされている。こういう点が作品自体の質に大きくかかわってくる。
2人は3年間の文通の後に初めて対面。吾郎は中国で軍務に就き、除隊後も和平のため南京にとどまることを希望する。彼の人柄に引かれた朋子は、彼の南京行きを承諾し、晴れて2人は結婚する。
ここで、引っ掛かるのは南京の存在である。1937年に日本軍は南京大虐殺を引き起こし、1940年の時点で、そこへ戻る箇所だ。当時の日本人は「鬼畜米英」を叫び、愛国ムード一色であり、一般の人々は、南京大虐殺は知らなかったのであろうか。作中、吾郎は反体制運動(戦前の共産党、いわゆるアカ)に首を突っ込み、大学は中退と説明されており、彼の南京行きは、ちょっと不思議に思える。


引き揚げ

引き揚げ時の先輩(左)との別れ
(C)2017「いつまた、君と 〜何日君再来〜」製作委員会


 敗戦とともに、海外の邦人たちは敗戦国民として引き上げを強いられる。国民を守るはずの軍隊は早々と去るが、実は、その後兵士の大半はシベリアで抑留される。残された邦人は丸裸にされたような状況で、スーツケース1つ、そして幼子を引き連れ港を目指す。
延々と続く列が、引揚者の実態を見せている。この旅は厳しく、子供を口減らしのため殺したり、中国人に預けたりしたエピソードは有名で、中国の残留孤児は、その負の遺産だ。



帰国

愛媛の実家、朋子の父
(C)2017「いつまた、君と 〜何日君再来〜」製作委員会

 吾郎一家は、朋子の父(イッセイ尾形)の勧めもあり、ひとまず愛媛の彼女の実家に逗留する。無一文の引揚者に対し、父は田畑を用意する約束を翻し、彼らを労働力要員としか見ず辛く当たる。食糧難の時代、1人でも食いぶちを減らしたいところに、一家は飛び込んだのだ。父、イッセイ尾形の憎々しさは珍品。



運送業

吾郎と朋子
(C)2017「いつまた、君と 〜何日君再来〜」製作委員会

 朋子の実家では農家の下働きに近い状態で、しかも父からは嫌味三昧と、散々な目に遭い、新天地を求め茨城へと引っ越す。
その後も各地を転々とするが、脚本構成は、一家の行く先々の不運な物語を順に追う形をとり、ハナシをシンプルで分かりやすく仕上げている。起死回生、一発逆転を狙い、吾郎は中古のトラックを求め運送業開業を試みる。だが、トラックはひどいポンコツで故障続き。運送業を諦めざるを得ず、吾郎は失業の身となる。



打ち続く失業

祖母と娘
(C)2017「いつまた、君と 〜何日君再来〜」製作委員会

 失業続きの一家にとり、良いこともある。吾郎の中国時代の先輩から大量の寒天が送られ、急きょトコロテン屋を開業し大当たり。これとて長続きはせず、次に吾郎は、福島のタイル販売会社に入り、仕入れを任される。しかし、東京出張で車にはねられ、骨盤を砕く大けが。どこまでもついていない彼。
この時期に長女(岸本加世子)が生まれるが、この幼女は口減らしのため、朋子の愛媛の実家に預けられる。これが因で、母娘は長い間確執を抱えることとなる。好き好んで子供を手放す母親がいるはずはなく、愁嘆場の大芝居となる。
次いで、タイルの訪問販売を始めるが、これもはかばかしく運ばない。


吾郎の爆発

トラックの母子
(C)2017「いつまた、君と 〜何日君再来〜」製作委員会

 タイルの訪問販売の帰り、息子の1人がいじめられている現場に出会う。帰宅した父、吾郎は「仕返してこい」と息子を促すものの、直情経行気味の彼には我慢できぬことで、自ら怒りを爆発させ河原へと飛び出す。夫の鬱積(うっせき)した思いに気付き、妻は後を追う。黄色い花で埋もれる河原の、2人の後ろ向きのロングショットが効いている。そして、妻は「一緒にいたい…。父ちゃんの側にいたい」とつぶやく。
不運続きの夫、それを支える明るい妻と子供たちの一家は、貧乏にめげることなく、いつも一緒と、仲が良い。妻のお陰である。



時代考証の確かさ

  精緻な時代考証により作品に厚み
終戦直後の一家族が生きる様を描く本作、時代の再現が求められる。前述の2人の最初の出会いの服装以外にも、畑仕事をする明子のモンペ姿、子供たちの小学校入学の制服、全部お古(ふる)で何とかそろえるあたり、時代をよく写し、まさに「感じ」なのである。
また、木造住宅、今は古民家ともてはやされるが、当時の木と紙の日本家屋の粗末さそのままなのだ。この考証には、作り手の人々は大いに心を砕いたであろう。緻密な時代考証が作品に1本の芯(しん)を通している。


演出の手腕

 本作を見て思うことは、中堅の商業映画監督といわれる人たちが映画を良く知っている点であり、ハナシの運びがうまい。終戦直後の貧乏な一家が肩を寄せ合い、貧しさに負けず生きる様が、本作のメインテーマの家族愛であることに間違いはない。
それに、精緻な時代考証を丁寧に施し、臨場感、時代相を盛り込み、作品に厚みをもたらせている。また、映像的にも、冒頭の喫茶店での会話シーンのアップの連続、若い男女の思いが伝わる。
吾郎が河原に飛び出し、朋子が後を追い、2人で語り合うシーンのロングショット、しかも、後姿のみという映像からは夫婦愛がにじみ、監督のセンスの良さがうかがわれる。
『ちょっと今から仕事やめてくる』の成島出監督や、本作の深川栄洋監督の中堅は、ケレンのない、オーソドックスな手法を得意とし、安心して見られる。さらに愚直な感動があり、その上、時代相をきっちりと写し込んでいる。
映画にはいろいろなスタイルがあり、それぞれの味わいがあることを承知で言えば、この種のオーソドックスな作りの作品は、間口が広く、多くの人が持つ相通じる感情や気分をすくい上げている。
主題歌の『何日君再来』は、1937年に上海で製作された『三星併月』の挿入歌で、戦前の大ヒット作。日本名は「いつの日君帰る」である。日本語バージョンでは、テレサ・テン、都はるみ、石川さゆりなどが歌っている。




(文中敬称略)

《了》

6月24日より、TOHOシネマズ 新宿ほか全国ロードショー

映像新聞2017年6月26日掲載号より転載

 

 

中川洋吉・映画評論家