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『ヒトラーへの285枚の葉書』
抑圧される弱者の魂の叫び
訴える志の高さで見る側を圧倒

 新しいナチスへのレジスタンス映画『ヒトラーへの285枚の葉書』(ヴァンサン・ペレーズ監督/独仏英、2016年製作)は、一介の工場労働者夫妻による個人的抵抗を描いている。大掛かりな組織的なレジスタンスと異なり、地味な抵抗ではあるが、その訴える志の高さで見る側を惹き付ける。

 
ナチスに対するレジスタンス活動として有名な「白いバラ」がある。1942年、ミュンヘンの学生と先生によるレジスタンスで、映画化されている。もう1つ、有名な抵抗運動は、1944年(ほとんど敗戦間近)の「ヒトラー暗殺事件」で、国防軍上層部の手による暗殺行動であり、ヒトラーは奇跡的に助かり、実行者たちへの報復は凄惨を極めた。
このような組織的抵抗運動と全く異なり、軍の上層部や知識人主体ではない市井の人々の戦いを取りあげるのが、『ヒトラーへの285枚の葉書』である。
事件はハンベル事件と呼ばれ、1940年からベルリンで始まる。主演の夫婦、夫オットーにはアイルランド人のブレンダン・グリーソン、妻アンナには英国の大女優エマ・トンプソンが扮(ふん)している。工場労働者に扮する2人の、実直で善良だが強い意志を秘める役作りは、作り手の狙いに鮮やかにはまり、2人の演技は見ものである。


胸騒ぎのする光景

オットー夫妻
(C)Filme Creative Pool GmbH / Master Movies / Alone in Berlin Ltd / Pathe Production / Buffalo Films 2016
(以下同)

 家宅捜査で、ゲシュタポがアパートの中で尋問や取り調べをする冒頭シーン。何の説明もないが、何か起こりそうな気配が伝わる。そこには老判事、ユダヤ人の老婦人たちが集められている。
別のアパートの階段の所では、夫のオットーが辺りに誰も居ないことを見定めて、手書きの葉書(はがき)を置く。外では妻のアンナが不安げに見張っている。
ナチス支配下の1940年のベルリン、そして暴力団まがいのナチス親衛隊の跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)、生々しい占領時代の光景が再現される。


息子の戦死と葉書

アンナ


 平凡な夫婦のナチス政権への抵抗
この夫婦には出征中の1人息子がおり、2人は息子の戦死広報を受け取る。彼の死を契機に、温厚なオットーはヒトラー批判の葉書を書くことを決意する。「総統は私の息子を殺した。あなたの息子も殺されるだろう」と認(したた)める。その葉書を市内の目立つところ、しかも秘かに置き始める。アンナも協力し、2人の復讐が始まる。



魂の解放

オットー

 オットーの葉書は、筆跡が稚拙なブロック体で書かれているため、ゲシュタポの目をくらますのに成功する。
この2人の行為は、捕まれば死刑確実である。一般ドイツ市民は、ゲシュタポの暴力と張り巡らせた密告網により、がんじがらめの状態である。だからこそ、ヒトラー暗殺計画は軍上層部や「白いバラ」の知識人中心で、とても一般市民が入り込む余地はない。



批判の数々

上司に殴打されるエッシャリヒ

 葉書に記される批判の数々は、夫妻の息子を思う気持ちと相まって、激烈極める。

* ヒトラー政権で平和は訪れない。
* 戦争で労働者は死ぬ。
* この自由な報道を広めよう。
* 人殺しヒトラーを止める。
* 自分を信じ、ヒトラーを信じるな。
* ヒトラー政権では暴力が正義に勝る。
* 平和をもたらさないヒトラーを殺せ。
* このカードを次に回せ。ドイツ国民目覚めよ。
― などであり、抑圧される者の魂の叫びだ。


ゲシュタポ出陣

ゲシュタポ本部から連れ出されるエッシャリヒ

 市民からの通報を受け、葉書の出所の捜査にゲシュタポのエッシャリヒ警部(ダニエル・ブリュール)が乗り出す。『グッバイ、レーニン』(03年)で認められた彼は、好感度の高いドイツ人役者だが、今回のゲシュタポでは正反対の役柄、ちょっと意表をつかれた感がある。
彼のオフィスの壁にはベルリンの地図が張られ、葉書の発見箇所に赤いピンが刺してある。発見者がゲシュタポに届け出たものだ。100枚以上の葉書の発見場所、いまだに後から後から出てくる。上司に毎日叱責され、エッシャリヒは八方手を尽すが、出所、犯人はようとして知れない。
このように巨悪をゲシュタポ、その中間にエッシャリヒのような中間管理職、そして正義の善玉としてオットー夫妻という構図が出来上がり、その上に地味なストーリーが繰り広げられる。この地味さが、作品の緊張感の盛り上げに寄与し、脚本の練りを感じさせる。


行く末を覚悟する夫婦

街内の2人

 ゲシュタポに追われ、一般市民の無関心の中、息子の復讐、そして、正義のため、オットーとアンナは行く末を覚悟する。
ある晩、2人は昔の出会い時の話をする。夫は妻に「僕が君に好意を持っているのを知りながら、君はほかの男と踊った」と愚痴ると、妻は「2年後に結婚したではないか」と応じる。
このくだりで、2人は若き良き日を思い出し、青春の思いを抱き旅立ちの覚悟を固める。そして、アンナは夫を寝室に誘う。2人の最後の"生"の確認である。今や中年の太ったオットーの塊があたかも若返ったように―。



忍び寄る追及の手

ゲシュタポの上司

 アンナが家に戻ると、入口でゲシュタポに連行される男をオットーと思い、動揺する。実はアパートの住人の1人であるが、追及の手が2人の直ぐそばまで伸びていることを改めて思い知る。
一方、エッシャリヒも容疑者の1人を逮捕するが、彼はどう見ても無実であり釈放する。この一件で上司はすぐにでも解決を迫り、そのためエッシャリヒは容疑者を射殺し、自身の生き残りを図る。人間、生きるためには平気で人を踏み台にする行為だ。多くのドイツ人がこのような死を迎えたことは容易に想像がつく。

逮捕の夫婦

葉書を置くオットー

 用心に用心を重ね葉書を置いて歩く2人だが、ふとしたことから足が付き、逮捕される。
ナチス支配下のドイツでは、最高刑は斬首であり、2人はギロチンにかけられ一生を終える。ドイツでもフランス同様ギロチンが存在することを初めて知った。



285枚の葉書

最後の誕生祝い

 オットー夫妻が市内に置いた葉書は全部で285枚、そのうち267枚がゲシュタポに届けられ、未回収はわずか18枚、90%近い回収率だ。
ここで、強く感じることは、ナチス支配はドイツ国民が支えていた側面が確認できる点である。
近年、ドイツ映画においてナチスものの中に、一般のドイツ国民の加害者責任を問う作品が増えており、本作もその1本だ。

負け戦覚悟

 1人息子を失い、もはや失うものは何もないオットー夫妻の個人の抵抗は、やらねばならぬ意思と闘う気持ちの表れである。もちろん負け戦覚悟に違いないが、本人たちにとっては納得であり、この点が本作の救いである。




(文中敬称略)

《了》

7月8日からヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館他全国順次公開

映像新聞2017年7月10日掲載号より転載

 

 

中川洋吉・映画評論家