|
|
『青の帰り道』
7人の同級生が織り成す青春群像劇
卒業後に知る現実と夢の落差
細かいカットで作品にリズム感 |
|
青春モノとし、楽しませ、考えさせ、過ぎ去りし日々を振り返させる1本が『青の帰り道』(藤井道人監督、120分)である。大々的に宣伝されている作品ではないが、同世代には共通の感情を抱かせ、上の世代には若い人たちの思いが何とはなしに分かる、そのような作品である。
舞台は群馬県前橋市と東京で、地方在住の高校同級生7人が織り成す、青春群像劇だ。
彼らは女子3人と男子4人のグループで、現在の高校生活、そして卒業後の生き方が描かれている。どこにでもいそうな普通の生徒たちが、それぞれの将来の夢に期待を持ちながら毎日を送る。
前橋市は東京との対比上、なかなか考えられた設定である。県庁所在地でありながら新幹線が通らず不便で、かっぺ(田舎っぺ)感は申し分ない。しかも、心の故郷になり得る美しい田園風景が広がる地方らしさを兼ね備える。
|
7人グループ (C)映画「青の帰り道」製作委員会 ※以下同様
|
|
|
カナ
|
キリ
|
|
|
リョウ
|
タツオ
|
|
|
ユウタ
|
マリコ
|
|
|
ユウキ
|
グループの呑み会
|
青春映画は時代と向き合う志向が概して弱いが、本作では、この時代性をきちんと述べている。
2008年のリーマンショック、09年の衆院選における民主党の大勝と鳩山政権の誕生、11年の東日本大震災、12年の東京スカイツリーの開業、衆院選における民主党の大敗、第2次安倍内閣発足、そして14年の消費税増税、近年の戦前へ時計の針を逆戻す動き(憲法改正、軍事力強化など)―と、どの時代の出来事かをきちんと提示している。
ただ、作中で具体的な言及はなく、この谷間の時代を生きる若い主人公たちの生き難さに焦点が当てられている。
本題に入る前に7人の関係を、分かりやすくするために整理する。
メイン格のカナ(真野恵里菜)は、グループの中では突出した存在であり、シンガー・ソング・ライターを目指している。
もう1人のメイン格が、仲間の中であおり役を演じるガキ大将のリョウ(横浜流星)。典型的な田舎の突っ張りタイプ(昔、不良学生が好んだボンタン〈変形学生ズボン〉が似合いそうな少年)の彼は、地元に残りヤクザの世界に入り込む。
芝居の作り方が、いかにも「田舎の粗野な高校生然」としたステレオタイプ(型にはまっている)でいささかクサイ。演出の方向性としては少し安易な感があり、見ていて気恥ずかしい。
カナの親友でいつも行動をともにするキリ(清水くるみ)は、母親(工藤夕貴)と折り合いが悪く、上京を決める。彼女は5年間の東京生活で辛酸を舐めることとなる。
カナの音楽の同志タツオ(森永悠希)は、音楽活動をするために、東京の大学受験をするが失敗し、地元で不本意な毎日を送る。父親(平田満)は医師で、キリの母は彼の患者。失意のタツオはカナと遠くなり、1人で自室にくすぶる自分にイラツク日々。
できちゃった婚のコウタ(戸塚純貴)とマリコ(秋月三佳)は、地元に残り1児をもうけ、堅実な生活を送る。
残る1人、東京の大学に現役合格のユウキ(冨田佳輔)は、大学を卒業、就職するが、上司のパワハラとノルマに苦しみ、心が折れる寸前である。
この7人グループ、高校卒業の3年後には夢の挫折、希望の喪失など、大人への階段の入口に立たされ苦渋を味わい、夢や希望と現実との落差を痛感する。作品自体は若者たちの青春群像である。
ちょうど、イタリアのフェデリコ・フェリーニ監督の初期の重要な作品である『青春群像』(1953年)の、地方にくすぶる若者たちの心情を描く作品を彷彿させる。
シンガー・ソング・ライターを目指し、東京の芸能プロに売り込みに行くカナ。キリは自分も家を出たく、カナと行動をともにする。応対に出て来た芸能プロの30代の社員は、彼女の才能を認めるが、歌手としてではなく、CM用のニンジンの着ぐるみを身にまとい、舞台を跳ね回るアイドルを勧められ、歌手への希望は封印されてしまう。
この段で興味深いのは、芸能プロ社員の描き方である。一見、世慣れし、浅薄で弁が立ち、小生意気な、よくある芸能プロ人種で、藤井監督の彼らに対する嫌悪感が見て取れる。
カナは、プロダクションが勝手に話を進めた、着ぐるみ路線の仕事を、別の自分として渋々受ける。この段階でカナの夢がついえ、その上、さらなる困難に立ち向かわざるを得なくなる。
失意のカナは、半ば付き添い役となるキリと同居生活を始める。しかし、失意のカナは、キリに向かい「あなたが周囲を不幸にする」と口走り、2人の間に溝ができる。そのキリは、街頭で芸能プロスカウトにナンパされそうになる。その時、見知らぬ中年男が「僕の彼女に何か用ですか」と彼を追い払う。
それ以来、その自称カメラマンに舞い上がるキリは、同棲生活をするが、男性は家でゴロゴロし、キリの貯金に手を付け、彼女を不審がらせる。案の定、彼はほかの女性への結婚詐欺で御用となり、2人の関係は終わる。
地元に残るリョウは、建設現場での力仕事しかない。職場でも「俺は何かでっかいことをやってみせる」と豪語し、周囲から浮いた存在となる。
ある日、リョウと同じブラブラ組から現場の銅線盗みの話を持ち掛けられる。最初は思い迷うものの、金につられ手引き役を引き受ける。やがて犯行が露見し、上司(嶋田久作、実に飄々〈ひょうひょう〉とした良い味を出している)から怒鳴られたり説教されたりすることもなく、解雇を申し渡される。
どこへも行く当てがない彼は、羽振りがいい高校の先輩に「筋が良さそう」とばかり、ヤクザの片棒を担がされる。最初の仕事はオレオレ詐欺で、うまくやり遂げ、正式にヤクザの世界に取り込まれる。
工員服からバリッと背広で極め、金もそれまでとはけた違いと、ヤクザ風を吹かすようになる。金回りが良くなったリョウは、カナの苦境を救うためにライブハウスを買うと宣言する。これが今や彼の生きる目標となる。
引きこもり状態のタツオは、父親の逆鱗に触れ、屈辱と自分の情けない状況にますます落ち込む。彼は音楽がすべてで、東京でカナと一緒に音楽活動をする心積りであった。しかし、受験に失敗、引きこもりと、彼にとって状況は悪くなる一方である。
ある時、タツオ急死の報が6人となったグループにもたらされ、舞台は葬儀場へと移る。式後の会食で、仲間たちは言葉を失い、ただただ沈黙するのみであった。
そこで気の短いリョウは、「皆、タツオのことを真剣に考えてやったのか」と一同を挑発し、殴り合い寸前の大立回りとなる。
タツオの訃報の後、東京へ戻ったカナは、悲しみを紛らわせるためにアルコールを痛飲し、のどを潰して歌えなくなる。友を失い、歌も歌えない彼女は手首を傷つけ自殺を図り入院。しかし、傷は深くなく大事に至らずに済む。
その彼女の事件を知り、リョウとキリが病院へ駆け付ける。あたかも高校時代の熱い友情が戻ったように。皆、友人のためなら一肌も二肌も脱ぐ心意気である。
大人への階段を上り始める若い7人の青春の夢と挫折、悩み、葛藤を経て、現実と夢の落差を思い知る。青春の夢、残滓(ざんし)、ほろ苦さと負の部分を背負いながら、生きねばならぬことの大切さが見る者に伝わる。
細かいカット割りでリズムを作り、物語を進める藤井監督の才能が光る作品である。
(文中敬称略)
《了》
12月7日から新宿バルト9ほか全国順次公開
映像新聞2018年12月3日掲載号より転載
中川洋吉・映画評論家
|
|
|
|