『バハールの涙』
ISISによる犠牲者の悲劇から着想
反抗する女性たちの戦い描く |
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2018年のノーベル平和賞受賞者ナディア・ムラドによって広く知られるようになった、ヤズディ教徒虐殺の実話をベースとする『バハールの涙』(2018年、エヴァ・ウッソン監督〈仏〉、フランス・ベルギー・ジョージア・スイス合作、111分/原題"Girls of the sun")が公開中である。14年8月3日から15年11月3日まで、ISIS(イスラム国)がイラク北西部のクルド人居住地区シンジャル山岳地帯の村々を侵攻した。そのISISによる犠牲者に起きた悲劇から着想を得ている。
イスラム教国として、主にイラン、イラク、サウジアラビアなどの存在は既知の事実である。しかし、クルド人、ヤズディ人についてはあまり知られていない。
時の政権に対し、対立関係にある反政府軍は離合集散、合従連衡を繰り返して戦闘を続ける。彼らの理念、行動は複雑であり、本稿では説明しきれない。
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バハール (C)2018 - Maneki Films - Wild Bunch - Arches Films - Gapbusters - 20 Steps Productions - RTBF (Television belge) ※以下同様
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戦場のバハール
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戦場ジャーナリスト マチルド
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戦場の女性軍団
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弁護士時代のバハール
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バハールの戦場での息子
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脱出するバハールたち
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戦場のバハールたち
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中東一帯を支配下に置くことを目的とするISISは、戦いの規模を拡大させ、シリア、イランの一部を自領とし、一時は強大な勢力となった。14年にはヤズディ人虐殺を引き起こし、男性は全員射殺、女性は性奴隷として連れ去られた。その女性たちが武器を取り、ISISへの抵抗を描いたのが本作である。
彼らの戦利品となったヤズディ人の女性たちは、男性たちに性奉仕をさせられ、飽きれば売り払らわれた。その上、奴隷市場が存在していた。
ヤズディ人は領土を持たぬ少数民族であり、シリア、トルコ、ジョージア、アルメニアに居住している。イラクには、20世紀初頭、北西部のクルド人自治区に移住させられて、その数は30万人とされ、クルド人と共存していた。
彼らの宗教は、純粋なイスラム教ではなく、古来のゾロアスター教、キリスト教、イスラム教が混合する一神教である。その生い立ちの特殊性から、異教徒として迫害の対象となってきた。14年8月3日の大虐殺も、その一連の行動だ。
イラク南部は、シーア派、スンニ派教徒からなるアラブ人地域である。
1人目の主人公は、バハール(ゴルシフテ・ファラハニ、イラン女優、近年ハリウッド進出の典型的アラブ美人)。本来はヤズディ人の女性弁護士である。
彼女はイラク北西部クルド人自治区で、夫と幼い息子と平和に暮らしていた。そこに、ISISの襲撃により夫は射殺され、息子は「小さき獅子たちの学校」(神学校で、ISIS戦闘員の養成校)に強制的に入れられる。
この襲撃で7000人の男性が殺される。大変な虐殺である。女性、子供は性奴隷として連れ去られ、その数は2000人とされている。襲撃後に、バハールは成人女子だけで銃を取り、小さな軍団を作り、ISISと戦うこととなる。男性絶対のイスラム圏で、女性が武器を取るのは大変に珍しい。
隻眼の戦場ジャーナリストも参加
もう1人の主人公の女性、マチルド(エマニュエル・ベルコ=フランス人、監督、女優)は、いわゆる戦場カメラマン。夫はリビアで地雷を踏み死亡。彼女はシリアのアサド政権下で虐殺を見てジャーナリストの使命感に駆られ、戦場に身を投ずる。
冒頭シーンで、朝起きたマチルドが異変に気付き立ち上がり、とっさに手にするのが武器ではなくカメラである。ジャーナリストとしてカメラを手にし、ISISによる虐殺を追う報道人なのだ。彼女はほかの戦場で砲弾の破片を受け、片目を負傷し隻眼(せきがん)となる。彼女も幼い娘を残しての行動である。
戦闘が始まり、ヤズディ人の男性は全員殺され、残る女性、子供は、それぞれが売られ先である男性の下での生活を余儀なくされる。要するに家事もやらされる性労働者となる。
4回転売されたバハールは、ある一軒家でテレビに映る、ヤズディ人で女性代議士ダリア・サイードのインタビューを目にする。ダリアは画面の向こう側の女性たちに、「必ず助け出すから、私に電話して」と訴える。この場面は作品のハイライトといえる。彼女は、危険を顧みず自らの電話番号を公表する。力強い激励で、女性が同性に見せる義侠(ぎきょう)心である。
イスラム社会には、貧しい人を救う無言の掟(おきて)がある。道行く人(金持ちとは限らぬ)が物乞いに喜捨することは珍しくない。そして、祭りの時のご馳走である羊の丸焼きの一部を、貧しい人々に必ず取っておく習慣がある。しかし、この義の世界は男性間のものであり、女性は決して前へ出ない。「女はすっ込んでろ」の世界である。
このダリアのひと言で、バハールの決心は固まる。捕らわれている家で、携帯のSIMカードを盗み、ダリアに救いを求めた。ISISの兵士で固めた家で、バハールの行為を見とがめたISISの若い兵士は「盗みは重罪」と言いながらも、彼女の行為を見逃す。地獄に仏である。
捕らわれの家には、ISIS兵士たちがお祈りする間に1台の車が着き、妊婦、子供を含む一団が乗り込む。変装用に女性は全員、上から下まで覆う黒い服のニカブを身に着ける。ヒヤヒヤの思いで、ISISの検問所を通過し、やっと自治領へと辿り着く。
そこで、女性武装グループの中の妊婦が耐え切れず、荒涼たる平原の中で出産し、無事に赤子を取り上げる。水も布もない、最悪の条件での出産、女性の強さを象徴している。
バハール率いるグループは、最終的には自治政府軍、クルド人武装グループとともに戦闘に参加する。しかし、それまで女性たちは正規軍の出動を何度も要請するが、司令官により無視され続ける。ISISの強力な軍隊を前に、援軍が到着するまでは動けぬと及び腰なのだ。肝心な時に、決断を先送りにする男性特有の悪癖である。
クルド人軍団(ヤズディ人女性グループを含めて)に隻眼の戦場ジャーナリスト、マチルドも加わる。軍団はISISの捕虜を案内役として、地下道を伝って司令部への攻撃を実行し、奇襲作戦を成功させる。
その上、子供たちが捕らえられている宗教学校を解放する。その中の1人の少年がバハールの愛息であった。
ISISとの戦いに勝利したが、マチルドは負傷しトラックで病院に搬送されることになる。ここで息子を抱くバハールと、同志であるマチルドの別れとなる。
トラックの荷台で、これまでのバハールとの日々を思い返すマチルド。「バハールは古国〈いにしえのくに〉から来たプリンセスではないか」と独り言をつぶやく。バハールは、固い決意で女性同士の連帯の必要性を説き導くプリンセスなのだ。マチルドはカメラを向ける対象を、立ち上がるイスラム圏の女性の姿に定めている。
本作『バハールの涙』は、イスラム圏の男性中心社会から、女性参加型を目指す新しい国造りが提言されるが、ここに作り手の隠されたメッセージが透けて見える。
(文中敬称略)
《了》
1月19日から新宿ピカデリー&シネスイッチ銀座ほか全国公開
映像新聞2019年1月21日掲載号より転載
中川洋吉・映画評論家
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