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『ナディアの誓い』
ISISによる侵攻を受けた女性の証言
被った惨状を世界に伝える

 中東イラク北西部のクルド人居住区に住む、ヤズディ人へのISIS(イスラム国)による大虐殺については、拙稿『バハールの涙』(本紙1月21日号)で既に触れている。今回は、やはり同じ状況に置かれた1人であるヤズディ人の若い女性、ナディアのドキュメンタリーを取り上げる。その作品が『ナディアの誓い』(2018年、アレキサンドリア・ボンバッハ監督、米国、95分/原題『On Her Shoulders』)である。

 
『バハールの涙』と『ナディアの誓い』は、フィクションとドキュメンタリーの違いがあるが、全く同じ状況を体験した女性のそれぞれの生き方を描いている。『バハールの涙』では、女性がISISに対し銃を手に戦う。『ナディアの誓い』では、主人公のナディアが惨状を世界各地に訴える。

ナディア   (C)RYOT Films※以下同様

国連総会のナディア(右)、アマル・クルーニー弁護士(左)

聴衆に囲まれるナディア

ナディアの同志ムラド

国連総会

ヤズディ人と一緒のナディア

デモの中心のナディア

インタビューでのナディア

安保理事会のナディア

ヤズディ人慰問のナディア

怒る、家族を失ったヤズディ人

ナディア・ムラド

 ナディアの苗字はムラド。2014年8月までは、イラク北西部シンジャル山岳地帯の小さく静かなコチョ村で、母と兄弟姉妹たちと暮らす、細見で小柄な21歳の女性であった。
その村は、少数民族ヤズディ人の住居地域。ヤズディ教徒である村人は『バハールの涙』と同様、ISISの侵攻を受け、男性は虐殺、女性は戦利品として兵士たちの慰み者となる。ナディアも性奴隷として連れ去られるが、3カ月後、脱出に成功しドイツに逃げる。
そして、15年12月に国連の安全保障理事会でISISの虐殺や性暴力について証言し、ヤズディ人の希望の星となる。18年にはノーベル平和賞を受賞、国連親善大使に任命される。
彼女は、23歳にしてヤズディ人のスポークスマンとなり、女性たちが被った惨状を世界に向けて語り伝える使命を担う。  
  


最年少ノーベル平和賞受賞者

 ナディアは、23歳の若さでノーベル平和賞を受賞したが、最年少ではない。似たような状況でイスラム教徒から迫害され、九死に一生を得た少女、マララ・ユフザイがいる。パキスタン人の彼女は、地域を支配する武装集団タリバン(TTP)の恐怖支配の犠牲となり、頭に銃弾を受け、死んでもおかしくない重体に陥る。
一命を取りとめた彼女は、かつて女性の学ぶ権利をBBC(英国放送協会)に投稿し、タリバンから命を狙われることになる。この時、マララは11歳の少女であった。そして、世界的に知られるようになり、17歳でノーベル平和賞受賞に至る。



作品の構成

 
各地を取材して時系列に実態追う
 本作『ナディアの誓い』は、ナディアを中心に据えるドキュメンタリーであることは既述した。アレキサンドリアの名からボンバッハ監督は女性と思われるが、彼女の手法は時系列に出来事を追うスタイルで、ナディアを作品のド真ん中に置き、虐殺後の行動の密着取材を敢行している。
ちょっと脱線するが、近年ドキュメンタリーの世界では女性監督の進出が著しい。もちろんカメラ自体の軽量化は、大いに彼女たちの負担を軽減するが、肝心なのは、女性の社会的意識の向上と考えられる。
ボンバッハ監督は、各地を旅し、惨状の実態をカメラで追う。それに加え、黒バックを前にしてナディアが更に詳細を語り、ナレーション同様の効果が演出されている。この構成は、極めてオーソドックスだが、シンプルなだけに迫真性が増す強みがある。
語るナディアは、いつも黒い服をまとい、時に涙ぐむ、決して強い女性ではない。優しく、誰とでも打ち解けるタイプの女性像が浮かび上がる。ボンバッハ監督は優しいが芯(しん)の強いナディアの性格を写し出すことに成功している。



ナディアの旅

 ナディアは、中東のヤズディ人が難民として散り散りに暮らす近隣諸国へ足を延ばす。そして、惨劇の様子を皆に話す。故郷を離れた同じヤズディ人たちは熱心に耳を傾ける。
例えば、ギリシャの海辺の街の一角では、マイクなしで聴衆に語り掛ける。彼女は、希望なき移民となったヤズディ人にとり、まるで生き神のようだ。1人の老婆は涙をため、彼女にすがるように抱きつく。彼女もその老婆を涙して優しく受け止める。
別の場面では、ナディアたちの共同生活で、全員(たった3人だが)が自ら食材を用意し、和気あいあいと料理にいそしむ。そして、ナディアは「決して1人では食べない」(言外に、食事は皆で分かち合うもの意図がある)と話す。
これらの場面で感じるのは、彼女たち(男性は虐殺され皆無)の濃いスキンシップなのだ。手を差し伸べ、肩を抱き、全身を覆い込むようなハグをする。心のコミュニケーションである。彼女たちの日常のささいな行動を見るにつけ、皆の気持ちがつながっている様子が痛いほどよく分かる。



もう1人のムラド

 ナディアに付き添うのがムラド・イスマエルである。彼は、講演はもちろんのこと、インタビューも一緒で、英語が話せない彼女の通訳も務める。
初めはご亭主と思うが違うそうで、同じヤズディ人であり、今は海外で暮らさざるを得ない同胞の支援団体の一員とのことだ。それは、米国、シリア、イラクの同胞の支援を目的とした団体である。
ナディアは、彼について「結婚適齢期にもかかわらず、彼は決して結婚を口にしない人間」と語る。彼女は彼の献身ぶりに対し敬意を払っている。例えば、講演が済み、苦しむ同胞を思い泣き崩れ、ムラドの胸に頭を埋める一幕を目にすれば、彼女の彼に対する信頼がよく分かる。人々の前でヤズディ人の悲劇を、我慢強く語る彼女の心優しさに触れる思いだ。
彼女は「本心では悲劇について話したくない。また、ジャーナリストの質問で『レイプ』について答えたくない。本当に話したいのは、亡くなった母のこと、ヤズディ人の家族のこと」ともらす。彼女の本音であろう。



国連総会でのスピーチ

 ナディアの最終目的は、国連総会でヤズディ人の窮状を訴えることである。まず、カナダへ飛び、各政党の人々に話をし、メディアのインタビューを受け、広く現況を知ってもらう。反応は上々で、特に女性政治家が熱心に話を聴いている姿が印象的であった。
次いで、国連の安全保障理事会でも発言の機会を得て、家族の男性たちは連れ去られ、殺される様子を語る。
この演説の際の弁護士はアマル・クルーニーで、ハリウッドスター、ジョージ・クルーニーの妻である。オックスフォード大学卒の人権派弁護士として聞こえている。小柄なナディアとは正反対の長身美人で、まるで法廷の華のような存在だ。
そして、目の前で12歳の少女が殴られ、レイプされるのを「ただただ見ているだけの自分は死にたいと思う」と悲痛な体験も語る。聞いている方も辛い。
いよいよ国連総会、米国のオバマ大統領、韓国のパン・ギムン国連事務総長も出席し、国際的にヤズディ人問題を提起するまたとない機会である。



ナディアのメッセージ

 「ヤズディ人は歴史に残る迫害を受けてきました。特に女性の被害は現在も続いています。私たちヤズディ人は、再建に力を注がねばなりません。生存者は危険を避けるために、どこか違う地に移動せねばなりません。そして、私たちは人道的支援を続けねばなりません」と発言する。
最後に「国境はなく人道のみが正しい道です」と付け加え、「皆さんはいつ動くのですか」と世界へ向かって語り掛けるのであった。
本作の訴えは「弱い人、困っている人、命の危険にさらされている人々を、われわれが手を差し伸べ助ける」というメッセージである。聴き、知り、声をあげ、行動することの大切さが本作から伝わる。
アジア地域でも、ミャンマーでロヒンギャの虐殺事件が現在進行している。同じ有色人種、アジア人の命の危険である。こちらも知る必要性を痛感した。





(文中敬称略)

《了》

2019年2月1日からアップリンク吉祥寺ほか順次ロードショー

映像新聞2019年2月4日掲載号より転載

 

中川洋吉・映画評論家