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『12か月の未来図』
教育改善に挑むエリート教師
移民や貧困層の子供たちが抱える問題

 一時社会現象となった「荒れる教室」に代表される教育問題を描く『12か月の未来図』(2017年/オリヴィエ・アヤシュ=ヴィダル脚本・監督、フランス、107分/原題「Les Grands Esprits」、英題「The Teacher」)が公開される。フランスの中等教育は、戦前の旧植民地マグレブ諸国(アルジェリア、チュニジア、モロッコ)からの移民の現状と表裏一体の社会問題でもある。

 大筋は、パリのエリート高校の国語教師フランソワ・フーコーが、郊外の「荒れる教室」へ異動となり、悪ガキ相手にキリモミに遭いながら生徒の学習意欲を引き出す、現在のパリ郊外の教育現場が写し取られている。深刻な問題を取り上げながらも、ユーモアと感動に満ちた作品である。

フランソワ先生(中央) 
(C)ATELIER DE PRODUCTION - SOMBRERO FILMS -FRANCE 3 CINEMA - 2017 ※以下同様

フランソワ先生(右)とセドゥ(左)

ヴェルサイユ宮殿での自撮り

同僚の先生(右)と

妹と

アンリ4世高校でのフランソワ先生

荒涼たるパリ郊外

教育もの

 教育問題を扱う作品は、フランス映画が力を出すカテゴリーである。ちょうど、男女の恋愛の機微を穿(うが)つ作品を得意とするように。
2008年の第61回カンヌ国際映画祭で最高賞を獲得した『パリ20区、僕らの教室』(08年、ロラン・カンテ監督)は、21年ぶりにフランスに栄冠をもたらしたことで大きなニュースとなった。それと同様に、当時のフランスにおける教育問題の現状を伝える作品としても評価された。
両作品ともフランスの中等教育の荒廃を描き、その事態に対し、何とかせねばならぬとする教員の努力に焦点を当てる、極めて今日的なアプローチである。  
  


フランスの中等教育

 フランスの中等教育は、小学校6年、中学校4年、高校3年と、日本に比べ1年長い。文化を重く見るフランスにとり、教育は重要であり、非常に力を入れてきたことはよく知られている。
上意下達の学校教育が1968年の「五月革命」により、横の関係が重要視され始め、同時に、今までは目立たなかった(無かった訳ではない)問題が噴出し始める。これらの諸問題は、一般的に70年代のオイルショック以降に発生し、主としてパリ郊外を中心とする移民の貧困、学力低下が目立った。つまり、教育というセーフティーネットから落ちこぼれた若者が増大した。
大きな原因の1つとして、移民問題がある。60年から70年代にかけて、貧富の格差が顕著となり、それが貧困層を直撃した。その犠牲者が前述のマグレブ移民である。
その負の連鎖は現代まで続き、一方ではテロの温床とされている。一部の過激な政治志向を持つ若者の行動で、数百万人の一般移民が非常に迷惑している事実も併せて知る必要がある。



初めての環境

 
主人公のフランソワ・フーコー(ドゥニ・ポダリデス)は著名なフランスの哲学者、ミッシェル・フーコーの息子で、多くの大学教授を輩出する超一流のグラン・ゼコール、高等師範学校出身のエリートである。現在は、優秀な生徒が集まるアンリ4世高校で国語教師を務めている。
パリのカルチエ・ラタンにあるエリート高校から、郊外の中学校へ転任の彼には、野原の中のHLM(低賃金住宅)と荒涼とした街並みに思わずため息をつく。ブルジョア知識人の家庭育ちの彼には、全く想像もつかない別世界である。住人たちも、黒人、マグレブ系が多く彼を面食らわす。



悪いクジ

 なぜ彼が郊外の貧困層地区に来たかには、理由がある。
あるパーティーで彼は教育相の美人官僚と会い、パリ郊外の教育格差を是正するためには、問題校にベテラン教師の派遣の必要性を説いた。
翌日、例の美人からランチの誘いの電話が入り、彼はいそいそと出かける。待っていたのは官房長を始めとするお歴々で、レストランでの会食ではなく、省内でのランチ。おまけに、派遣教師として彼に白羽の矢が立った。相手方のあまりの手際の良さに、ただただ呆然とするばかりのフランソワは、悪いクジを引いたのだ。



初日

 体罰なし、対話重視の精神を貫く
授業の初日、半数が黒人と思えるほどの一団が、ガヤガヤおしゃべりをしながら教室に入る。授業の終わりのベルが鳴れば、先生の制止を無視し、一斉に教室を出る生徒たちの様子を見て、驚くばかりである。
職員室では、生徒のやる気のなさの話で持ち切り。授業中は、隣の教室の教師の怒鳴り声が聞こえる最悪の環境である。
この郊外の中学校では、先生の権威がまるで通じない現実と直面せざるを得ない。生徒の不躾(ぶしつけ)、態度の悪さに、育ちの良いフランソワは、いら立ちながら悪戦苦闘の日々であった。生徒との言葉のやり取りは厳しく、特に黒人生徒の口の達者ぶりが、ますます彼に怒りと無力感を募らせる。
体罰は法律で禁止され、殴るような行為は見られない。しかし、悪態をつく生徒のひどい態度に、一度だけ思わず手をあげたと、筆者の長年の友人であるパリ在のベテラン女性教師から体験談を聞いたことがある。



水槽の魚の教訓

 思いあぐねたフランソワは、金属彫刻家の妹キャロリーヌ(レア・ドリュッケール)の工房を訪れ、今の学校の状態を訴える。それに応えて、彼女は1つの教訓を語る。
水槽の中を2つに仕切り、大小の魚を入れると大きい魚は小さい魚を食べようと攻撃するが、仕切りがあるため不首尾に終わる。そして大きな魚は不可能と諦める。次に仕切りを取り払う。しかし、大きな魚はもう攻撃せず、大小の魚は何事もなく水槽を泳ぎ回る。
ここで示される教訓は失敗を繰り返すことの大切さである。




生徒の意識改革

 やる気がなく、希望も持てない生徒たち。フランソワは、クラス一番のワルの黒人少年セドゥと1対1で話し合い、まず彼の胸の内を聞く。そして、生徒たちの意識改革のため、ヴィクトル・ユーゴー作の『レ・ミゼラブル』を読ませることを考えつく。
最初は難しすぎると嫌がる生徒たちも少しずつ興味を持ち始め、授業はやっと軌道に乗る。やる前はほとんど全員がユーゴーの名すら知らなかったものの、フランソワの意図は大当たりとなる。




ヴェルサイユ宮殿事件

 生徒のやる気を引き出したフランソワは、校外実習として、ヴェルサイユ宮殿へ遠足に出掛ける。ここでもヴェルサイユ宮殿の名を知らない生徒がいる。
庭園、宮殿を見て、いざ帰る段になり、2人の生徒が行方不明。あわてたフランソワは、監視カメラのモニターで2人を発見。そのセドゥと女子生徒は、王の寝室で自撮り撮影を楽しんでいた。
カンカンのフランソワは懲罰委員会に2人を託す。それにより、主犯格のセドゥは退学処分となる。そこで、この処分を望まない、金箔付きインテリのフランソワは、法律書とにらめっこで法の抜け穴を見出し、校長と談判、退学猶予を引き出す。大逆転である。




対話重視の精神

 悪ガキ並みでやる気のない生徒たちに自信を持たせることに、フランソワは成功する。生徒に興味をもたせ、コンプレックスを払拭させるクラスの実現である。
本作は、一国語教師の悶絶寸前の苦闘の物語である。そこには、体罰なし、対話重視の精神が貫かれている。1人の教師の苦心惨憺(さんたん)の体験は、フランスにとどまらず、わが国でも理解されるであろう。
主演フランソワを演じる、演劇畑出身のドゥニ・ポダリデスは、フランス人好みのうまい役者で、実に感じが出ている。







(文中敬称略)

《了》

4月6日より岩波ホールほか全国順次ロードショー

映像新聞2019年3月18日掲載号より転載

 

中川洋吉・映画評論家