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『家族にサルーテ!イスキア島は大騒動』
宴に集まった一族19人による群像劇
登場人物の輪郭きっちり描く
イタリアを代表する豪華な俳優陣

 イタリア製喜劇・家族ドラマ『家族にサルーテ!イスキア島は大騒動』(2018年/ガブリエレ・ムッチーノ監督、イタリア、107分)が登場する。私見だが、同じヨーロッパの映画大国、フランスと比べ、現在はイタリア作品に勢いがある。生身の人間の騒々しい生き様が人々を引きつける。

 いわゆる群像劇スタイルで、登場人物は19人。これだけの人数をナポリ湾で一番大きな島イスキア島に閉じ込め、各人の個性的動き(悪く言えば、いい加減な生き方)を描くものである。アラン・ドロン主演の『太陽がいっぱい』(1960年)、エリザベス・テイラー主演『クレオパトラ』(63年)のロケ地であり、映画監督、ルキノ・ヴィスコンティが愛した土地である。
近年、風光明美な自然、さらにヨーロッパでは珍しい天然温泉もある、人気リゾート地だ。燦燦(さんさん)たる太陽、青い海、そして海鮮物の宝庫として評判が高い。
この島に、19人の1家族を勢ぞろいさせ、いろいろなドラマを仕掛けるムッチーノ監督の変幻自在(本当は一家言をもつ大俳優に手こずったのかもしれない)な話の運びが際立っている。多彩な登場人物の大半は、現在のイタリアを代表する俳優により演じられている。
特筆すべきは、往年の超ド級の美女サンドラ・ミーロ(フェデリコ・フェリーニ監督作品『8 1/2』〈63年〉などに出演)や、母親役アルバに扮(ふん)するステファニア・サンドレッリ(エットレ・スコラ監督作品『あんなに愛し合ったのに』〈74年〉)と懐かしいスターの今の姿を見ることができる。
主演のカルロには『修道士は沈黙する』(2016年)のピエルフランチェスコ・ファヴィーノが扮し、役者王国イタリアの演技陣の力量の高さを見せつけている。それぞれの世代の観客が、ごひいきにするような俳優が配され、豪華この上ない。

家族 
(C)2018 Lotus Production e 3 Marys Entertainment ※以下同様

ピエトロ(左)、アルバ夫妻

イザベッラ(左)、パオロ(右)

カルロ(右)とパオロ(左)

サラ(右)とディエゴ(左)

カルロ(右)とエレットラ(左)

サンドロ(右)とベアトリーチェ(左) 

アルバ(右)とリッカルド夫妻 

エレットラの娘ルナと友人 

家族揃っての合唱 

左からマリア、カルロ、ジネーヴラ、ベアトリーチェ 

物語の構成

 この家族の長で、島でレストラン経営に成功したピエトロ、アルバ夫妻の結婚50周年のお祝いが事の発端である。
日帰りのパーティのため、ナポリからの船で参加者が島に降り立つ。父母のレストランを継いだ共同オーナーである長男カルロと長女サラが港に出迎える。招待客の中にはピエトロの姉マリア(サンドラ・ミーロ)と、成人した息子、伴侶、孫たちが姿を見せる。これで一族郎党、総勢19人の大世帯となる。
まずは教会で金婚式、次いで両親の広大な屋敷に集まり、海の見える大広間での会食、そして卓上の海の幸、山の幸、至極ご機嫌な当主のピエトロ。パーティはつつがなく進む。
いざ帰路の時、天候が急変し嵐模様。ナポリへの船は欠航を余儀なくされる。ここまでが陽の部分たる前半であり、お祭りムードでお祝いがお開きの段となるはずであった。  
  


第2段

 順風満帆であったお祝いは、嵐の到来で人々の気持ちの中に少しずつ、ひび割れをもたらす。
長男カルロは離婚し、新しい妻と一緒になっている。しかし、1つ爆弾が紛れ込む。ピエトロ、アルバ夫妻のたっての要望で、カルロの前妻エレットラが家族以外の人間として招かれ、彼女は高校生の娘と来島。カルロの現在の妻ジネーヴラは嫉妬深く、夫にエレットラとの会話を禁じる。
この2人の冷戦は、前妻の娘の恋愛沙汰まで続き、最後は相手を罵(ののし)る大げんか、罵詈(ばり)雑言、「まぬけ」、「バカ女」の応酬となる。この相手を罵る語彙(ごい)の多さは、日本語からは到底考えられない。エレットラとジネーヴラの間に入る夫のカルロはきりもみ状態で、手の打ちようがない。



新しい恋

 
ピエトロ一家の次男、パオロはやはり一族の問題児である。離婚し、40歳過ぎの彼は、小説家として一度は世に出たものの、3作目以降が書けず、失意の日々。
そこに、幼なじみのイザベッラがピエトロ一家の遠い親戚として招かれる。彼女は小学生の娘を伴い宴(うたげ)に参加。夫は月に一度の帰宅。家庭内は女世帯に等しい。そして、パオロとイザベッラは急速に親しくなる。
既婚ではあるものの、特に参加者の中で快活で若く美しいイザベッラの恋愛願望に火がつき、彼女のテンションは上がる一方。案の定、パオロと"合体"。2度目の時は危うく幼い娘に現場を見られそうになり、大あわて。この様に色恋の周辺での見聞で、娘までも成長するに従い、恋愛体質を身に着ける様子。イタリア式である。



アルツハイマーの夫

 マリアの息子のサンドロは認知症で、妻のベアトリーチェは介護疲れ。それを察して、夫のサンドロは自らの施設行きを望むが、彼女は「困難は一緒に乗り越えよう」と、自分が夫を守ると考えを変える。
ベアトリーチェは仲裁に入ったピエトロに向い「夫を愛していない、と皆言うけれど、誰が私を愛してくれるの」と、大声でピエトロに迫り、彼を困惑させる。
亭主持ちの3人の女性の1人、ピエトロの長女サラの夫は女癖が悪く、宴の翌日にはパリでの愛人とのあい引きがあり、船の欠航でイラつく。彼の浮気癖を妻のサラはとっくにご承知。2人目のカルロの後妻も、前妻の出現で仏頂面、3人目のアルツハイマーの夫を持つベアトリーチェも現状の夫婦生活にうんざり。
皆、富裕な家庭の奥様で、何ひとつ不足はしていないが、彼女たちの望みはただ1つ、夫にもっと愛されたいのだ。そして、そのことをはっきり声にする自我の強さがある。
彼女たちの論理は、毛沢東の「女性は天の半分を支える」の諺(ことわざ)の実現なのだ。恋愛体質と言われようと、自分の欲望をはっきりと述べ、愛を求めることに躊躇(ちゅうちょ)しない、自我の激しさなのだ。



一族の厄介者

 アルツハイマー持ちのサンドロの兄弟であるリッカルドは、明らかに住むクラスが違う。低収入で、もうすぐ子供が生まれる彼は定職がない。一族の人々に何とか、もう一度レストランで働くことを懇願するが、誰も相手にしない。
レストランで働いていたリッカルドは、何らかの事情で追い出された過去があり、その彼を皆は厄介者扱いしている。叔父や従弟(いとこ)に泣きつく彼の姿は情けなく、周囲の無関心には、彼の当時の行動に問題があったことが暗に示される。
そんな夫の様子に見かねた、庶民出身である身重の妻が、皆に向い啖呵(たんか)を切る場面は見ものだ。
彼女は「私たちは貧乏だが、皆がそんなに無関心なら、もう結構、これから出て行く」と女だてらにケツをまくる勢いで大演説。いろいろと事情があるにせよ、きっぱりと彼らとの縁切り宣言。見ていて潔い。
陽の前半、陰の後半と、脚本の構成がしっかりしており、19人の大勢の登場人物の輪郭がきっちり描かれている。



お別れ

 翌朝、嵐も収まり、各人帰途につく。長女サラは、パリの愛人に会いに行く浮気亭主に、家族そろってのパリ行きを強引にのます。カルロは妻のジネーヴラから三下り半を突き付けられる。パオロと恋人のイザベッラは次の再会を楽しみに別れる。カルロの前妻エレットラは、自分は恋愛不向き体質とし、シングルマザーを続ける。
騒ぎの多い宴であったが、帰り際、マリアは「世界は女がつくる」と、毛沢東ばりの名言を口にする。
本作では、イタリア人の気質を、呆れさせたり、驚かせたりしながら見せる作りである。恋愛体質、徹底した議論、衝突を繰り返しながらの家族の絆(きずな)。すべてがイタリア風で、1つひとつの騒ぎの描き込みの密度が高い。ユーモアあふれる一編で、その言わんとする内容は深く、「人生は楽しむべきもの」とするイタリア人の信念にあふれている。





(文中敬称略)

《了》

6月21日、Bunkamuraル・シネマほか全国順次ロードショー

映像新聞2019年6月10日掲載号より転載

 

中川洋吉・映画評論家