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『田園の守り人たち』
戦時中における銃後の女性たちに焦点
過酷な状況を農園舞台に描く

 第一次世界大戦(1914−18年)を背景とする、戦争と銃後の女性たちをテーマとする『田園の守り人たち』(2017年/グザヴィエ・ボーヴォワ監督、フランス、135分)が、7月6日から東京・神田神保町の岩波ホールで上映されている。戦争によって男性は前線で敵と殺し合い、女性は祖国の土地を守る物語ではありながら、その女性たちを前面に押し出している。力感あふれ、日々の人間の営みを考えさせる力作で、演出的にも見るべき点の多い作品である。

 現代フランス映画界において、見るべき中堅監督として、本作のグザヴィエ・ボーヴォワ監督とジャック・オディアール監督(近作は7月5日から公開の『ゴールデン・リバー』〈「フランス映画祭横浜2019」出品作品〉、『ティーバンの闘い』〈2015年〉カンヌ国際映画祭でパルムドール獲得)の2人の名が挙げられる。
ボーヴォワ監督は52歳、オディアール監督は67歳と、年齢の差はあるものの、作風は構成ががっしりし、密度の高さで詰めるタイプで、この2人の作品なら間違いない。覚えておいてよい作家だ。
ボーヴォワ監督の代表作『神々と男たち』(10年)は、カンヌ国際映画祭で審査員グランプリ(第2席)を受賞している。アルジェリアのフランス人の修道院がイスラム過激派に襲われ多くの死者を出した、国際的事件を素材とする、宗教と人間がまつわる傑作である。

畑のオルタンスとソランジュ 
(C)2017 - Les films du Worso - Rita Productions - KNM - Pathe Production - Orange Studio - France 3 Cinema - Versus production - RTS Radio Television Suisse ※以下同様

ボーヴォワ監督とオルタンス

フランシーヌ

ソランジュ

オルタンス

オルタンス(左)とソランジュ(右)

フランシーヌ(左)とジョルジュ(右)

農作業

刈り入れ

登場人物

 冒頭シーン、死屍累々たるありさま。戦場での男性たちの無残な最期。ここで戦争の悲惨さが強調される。
メインは、銃後の女性たち。男性優位社会において、常に脇に追いやられる女性たちの戦時中の過酷な状況が、彼女たちの居場所である農園を舞台に描かれる。
彼女たちを束ねるのが農園の未亡人オルタンス(ナタリー・バイ)。長男コンスタン、次男ジョルジュの2人は召集され危険な前線勤務。娘のソランジュ(ローラ・スメット/ナタリー・バイと歌手ジョニー・アリデーの娘で初の母娘共演)は、夫が召集され、義理の娘マルグリットと主人不在の家を守っている。
この3人の女性に加わるのが20歳のフランシーヌで、地元出身だが生まれて間もなく母を失い、孤児として育てられた。4人の女性だけで、畑仕事、牛追い、刈り入れ、そして家事を分担し合う。手伝いのフランシーヌは気立てが良い働き者で、家族と一緒に農作業に励む。
家長のオルタンスもフランシーヌに満足し、新たに契約の延長を提案する。がっちりとした体格で、聡明(そうめい)なフランシーヌは、一家の重要な働き手である。戦争中、男性が戦場に駆り出され、女手だけの農作業は重労働であり、ましてや、家族の半分が不在の戦中は一層大変な様子が見て取れる。
オルタンスは、男性が決めた仕来りや約束を守ろうとする過去に生き、娘のソランジュが現在を、そしてフランシーヌは自立を欲する未来を代表している。  
  


美しい農園と重労働

 対照的な美しく輝く自然を強調
農園を取り囲む森の木々は季節により変化し、戦争とは関係なく美しく輝く。刈り入れの黄金色の麦、森の大木の下に沈む太陽、そして満月の美しさ。のどかな牛追い風景、霧のかかる幻想的な大地のたたずまいの森の遠景、すべてが狙いに狙ったカメラの効果である。名手、女性撮影監督キャロリーヌ・シャンプテイエのなせる技だ。
厳しい農作業と対照的な田園の美しさを強調している。フランス自体農業国で、その緑の美しさには定評があり、そこに照準を合わせる演出手法、見事の一言である。まるで、ミレーの「落穂拾い」や「種まく人」の世界を再現しているかのようだ。
グザヴィエ・ボーヴォワ監督の狙いに応えるシャンプチエのカメラも並ではない。これらの映像により、逆に農作業の厳しさが伝わる。時代設定の1915年ごろはまだ機械化されておらず、本来は男性の出番が女性の双肩にのしかかる。



男性の一群

 
フランスの軍隊(第一次世界大戦時)は、前線の兵士には、戦時休暇が与えられ、数日間、家族の元に帰ることが許されていた。戦時中の日本では、このような戦時休暇があったのだろうか。負傷兵の帰省はあったようだが。
劇中、母親オルタンスの2人の息子、そして、ソランジュの夫クロヴィスが応召している。時折の息子たちの帰省に母や妻は大歓迎、しかし、喜んでいいはずの男性群は何か浮かない面持ち。戦場での死と過酷な体験で、金縛りにあっているように見える。
教師であった長男コンスタンは、1階級特進でのお国入り。昔の小学校を訪れるが、生徒の「ドイツ野郎」と敵を非難する詩の朗読にも関心を示さない。感覚が麻痺(まひ)してしまったのか。
時を置いて、ソランジュの夫クロヴィスは、コンスタンと幾分異なり、「ドイツ人も人間」とつぶやく。戦場の実態を見た彼は、戦争とは殺し合いで、一方が良く、他方が悪いとは言い切れない一面を受け入れる。しかし、心の痛みは彼の酒量の増加に表れる。農作業中も、水代りにワインで一息入れたりする。
次いで、次男ジョルジュが帰省。ソランジュの義理の娘マルグリット(クロヴィスの連れ子か)と親しいが、彼と手伝いのフランシーヌは互いにひかれ合い、手紙の交換を約束する。



和の崩壊

 ジョルジュとマルグリットは長年の顔見知りで、彼女は彼を自分の許嫁(いいなずけ)と思っている。ここから嫉妬が巻き起こす愛憎劇となる。ドラマの手法でも、異物の侵入で和が崩れ、悲劇が起きることはよく使われる手である。
それまで仲の良かったフランシーヌとマルグリットの関係は険悪となる。そして再度、休暇で帰省したジョルジュは、フランシーヌと一層仲を深め、彼女は妊娠する。



米兵の駐留

 戦争も末期を迎え、米兵が村にも駐留し、何かと遊びたい暇な兵士は、若いフランス女性を追いかけ恋愛騒ぎが起きる。
ソランジュも若い米兵と恋愛ごっこをし、オルタンスからおとがめを受ける。それに対し彼女は猛然と反発、「胸をさわらせて何が悪いのよ。女にだって性の欲望はあるのよ」と開き直る。しかも「性関係などないのだから、何を言われても構わない」と昔気質のオルタンスを驚かす。
最近の研究によれば、フランスでは米兵との性的トラブルは、第二次世界大戦後発生していたことが分かっている。ちょうど沖縄の、米兵と日本人女性との間の子供「アメラジアン」問題と同項である。こちらは公にはならず、現在に至っている。



フランシーヌの不運と自立

 当時の農家は、農産物を米兵に売り、現金収入としており、彼らとフランス女性とが一緒にいることは珍しくなかった。
たまたま外出したオルタンスは、フランシーヌが米兵と一緒のところを見てしまう。オルタンスは「家族の恥」とばかりに、働き者のフランシーヌを解雇。帰省中のジョルジュも面倒は御免とばかり、それに賛成。彼の子を宿したフランシーヌは、風呂敷1つで追い出されるが、身元保証人の好意で新しい仕事先を見付け、奉公先で出産する。
孤児のフランシーヌは、オルタンスの仕打ちを憎むが、彼女なりの選択をして出産を決意する。「子供は私が育てる。働いて息子に人生を捧げる。私の名を継ぎ、私のために闘う」と身元保証人の前で宣言。自立の道を選ぶフランシーヌの心意気である。このラストが劇中、唯一明るい場面であり、爽快(そうかい)である。
戦時中の一家族の物語の形をとり、本作は、女性の力がいかに世の中を動かしているかを明らかにしている。
女性の献身的努力なしで、世の中は回らないということである。





(文中敬称略)

《了》

7月6日(土)から岩波ホールほか全国順次公開

映像新聞2019年7月8日掲載号より転載

 

中川洋吉・映画評論家