『シークレット・スーパースター』
歌手を夢見る少女の成功物語
インドで史上第3位の興行成績を記録 |
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これぞインド映画と言える作品の公開が近づいている。マサラ音楽はもちろんのこと、歌、踊り、そして人情で味付けされた『シークレット・スーパースター』(2017年/アドヴェイト・チャンダン監督、インド、150分、ヒンディー語)である。1人の少女歌手のサクセス・ストーリーの形をとっているが、インド大衆の好みが反映される、これぞ大衆娯楽映画で、興行成績がインド映画史上第3位というヒット作だ。思い切り笑って、泣いて、難しいことは抜きの楽しさが満載である。
ロングで山間の鉄道が写し出される。インドの神秘を見せてくれると思いきや、画面は突然、歌声が響く列車内の女子高校生たちに変わる。学校帰りの少女たちの一団である。彼女たちは振りを付けながら(今時、振りのない音楽は存在しない)楽しそうに、にぎやかに合唱している。
その中心が14歳のインシア(ザイラー・ワシーム)である。このマサラ風音楽、日本で言えばJ−POPのようなもので、それをさらにノリを良くした楽しい音楽による導入部となっている。
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シャクティ(左)とインシア(右)
(C)AAMIR KHAN PRODUCTIONS PRIVATE LIMITED 2017 ※以下同様
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ブルカ姿のインシア
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母親(左)とインシア
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仲睦まじいインシア(左)と男友達のチンタン
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必死に訴えるインシア
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シャクティ
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シャクティ(左)とインシア
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スタジオでの録音撮り
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ラストのおまけ画面のシャクティ
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彼女は得意の歌でスターになることを夢見る。本作『シークレット・スーパースター』の隠されたテーマは「夢見る自由」であり、物語はその夢の実現を追う展開となる。筋書き的には実にシンプルであり、分かりやすく、庶民の夢、憧れを強調している。
クラシックな作りで、狙いは辛気臭くない娯楽であり、この辺り、いかに大衆にアピールするかが考え抜かれている。
家庭内で権威的な父親との対立
インシアの父親は石油採掘技師で、生活水準は中の上と見て取れる。その彼に従順な妻と、有名歌手になる夢を持つ長女インシア、そして、幼い弟と祖母の5人家族である。
インシアの母親(メヘル・ヴィジュ)は、男尊女卑のインド社会を当然と受け止める、優しい女性で、気の強いインシアとはまるで姉妹のような関係だ。父親は典型的インドの男社会に安住し、すべてを仕切る家庭内独裁者である。
インシアは、この父親から一刻も早く離れたく、ギターで自作の曲作りに励む。父親は、彼女が口答えをすれば、彼女のギターの弦をズタズタに切ってしまう、男の沽券(こけん)にこだわる男性である。物語はDV夫と母娘のせめぎ合いで進行する。
娘の音楽の才能を買う母親は、インシアにPCをプレゼントし、娘を狂喜させる。その喜びはマサラ流の音楽に合わせ弟まで加わり、3人で踊り出す。何ともインド的なのだ。
そして母親は、PCを駆使し、YouTubeに投稿する案を考え付く。しかし、父親はインシアの音楽活動に絶対反対。顔を出せばどんな折檻(せっかん)が待っているかを思い、彼女はブルカ(女性用ベールの一種)で顔を隠し、いわば覆面歌手として投稿。最初こそ視聴回数はゼロの連続であったが、徐々に注目され、ブルカ姿で歌う「シークレット・スーパースター」と呼ばれ、テレビの人気者となる。
ある時、町で音楽賞のチラシを受け取った彼女は「ひょっとしたら自分も」と参加の道が頭をよぎる。
本作の製作・出演には、インド映画の「3大カーン」と呼ばれる、アミール・カーンが一枚かんでいる。最初、脚本にほれ込み、次いで製作・出演も買って出るほどだ。アミール・カーン自身は「インドの良心」と呼ばれるボリウッドの超大物スターであると同時に、慈善活動にも力を入れている。
この彼は、歌って踊ってのマサラムービーで知られている。しかし今回は、コメディー風にしつらえ、何かうさん臭く、ハッタリをかます女好きの大スターで、現在は若干落ち目の音楽プロデューサー、シャクティ・クマールを演じている。
ビラを見たインシアは、父親に出場を頼み込むが、女性の活動を極端に制限するインド社会の男性である父親は、彼女の要望を拒絶、その上、PCの破棄を命ずる。
この機器は、母親が大事にしていた高価なネックレスを売って娘に与えたものだった。PCを窓から投げ捨てさせられた上に、父親は「お前の教育が悪い」とばかり、母親に何度もビンタを食らわす。家庭内DVである。
この暴力沙汰を見ていた祖母は、インシアが生まれた時のエピソードを告白する。
インド社会では、男性が息子を授かれば一人前とみなす風潮がある。母親が妊娠した時、体内の赤子が女の子と分かり、身内の男性たちから殴る蹴るの暴行を受け緊急入院。その翌日、母親は病院から姿を消す。
そして、10カ月後に赤ん坊を抱いた彼女が姿を現す。その赤ん坊こそインシアであった。衝撃的なエピソードを聞き、インシアは絶対に父親と離れる決心をする。
音楽プロデューサーのシャクティは、インシアの評判を耳にし、彼女にコンタクトを取る。即刻、はるか遠くのムンバイでのレコーディングが決まる。
レコーディング・スタジオではシャクティが待ち受け、早速のテスト。しかし、課題曲は彼女に全く合わず、テストは不合格。諦めないインシアは、シャクティの昔のヒット曲を歌ってみせる。現代流のビートの効いた曲と正反対の、心で歌うしっとりした曲である。彼女の歌唱力に驚いたシャクティは、彼女との正式なレコーディングを承諾、インシアの歌手としてのレールがついに敷かれる。
そして彼女は、この機を利用し、両親の離婚についてシャクティに相談する。悪ぶっているが気の良い彼は、彼女の不幸な家庭に同情し、犬猿の間柄の女性弁護士に手続きを依頼。費用までも自分持ちと大変な入れ込みようである。
インシア一家は、仕事の都合でサウジアラビアへ海外転勤する父親について行くことになり、ムンバイ経由でリアドに向かう。離婚に難色を示していた母親も、すっかり愛想をつかし、インシアの夢に賭ける決意をする。
リアドで一計を巡らし、母娘と息子は父親をまくことに成功、晴れてムンバイ入り。後は音楽祭会場へシャクティの先導で乗り込む。ハリウッドの授賞式張りの豪華なセレモニーでいよいよ賞の発表。インシアの圧倒的な歌唱力を聴き、聴衆は彼女の最高賞を疑わなかった。
しかし、結果は別の女性歌手が栄冠を手にし、インシア一家やシャクティは落胆する。ここで、最後のドンデン返しが用意される。急きょ、女性歌手のおとこ気を出し栄冠を辞退、「彼女こそ最高賞に値する」と発表する。
何が何だか状況を把握できないインシアは、聴衆に促され壇上へ。勝利のトロフィーに目もくれずマイクを手にし、会場の母親に向かって「あなたが私を押し上げてくれた」と涙の謝辞。最後に感動の渦が巻き起こる。
この場面、客に見せる最後の作り手のサービスであり、娯楽性の極致である。お涙頂戴のこのラスト、情に訴えるインド映画の強さの秘密である。
分かりやすいストーリー、識者には馬鹿にされそうな、いささか臭い展開、それを百も承知でやってみせる作り手の力業。見ている方は、「参りやした」の一語である。
インド映画の底力を感じさせる1作だ。
(文中敬称略)
《了》
8月9日から新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国ロードショー
中川洋吉・映画評論家
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