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『夕陽のあと』
実母と育ての母との親権を巡る確執
妙案による和解に清々しさ

 世の中、実母と育ての母との親権を巡る確執は古くて新しいものだ。この問題を取り上げたのが、越川道夫監督の『夕陽のあと』(2019年、133分)である。悪くすれば、憎しみのあまり裁判ざたになる事例は珍しくない。憎しみと愛情を、どのように取り扱うかが見どころである。本作は、この難問に1つの解決策を与えている。

茜と豊和     (C)2019長島大陸映画実行委員会 ※以下同様

五月と豊和

漁港からの夕景

茜と豊和



五月

五月

豊和

祖母(右)と豊和

養父の優一

日野家の友人秀幸

舞台

 美しい漁港の町を舞台に描く
物語の舞台設定に工夫がこらされている。鹿児島の最北端、長島町(鹿児島県と熊本県にまたがる八代海の群島の1つ)であり、作品を見る限り、丘の麓(ふもと)から風光明美な漁港が見える。
島民は、この低い丘を駆け下り港へ向かう。このロケーションが本作で重要な役割を果している。島へは大きな橋が掛かり、連絡船を必要とせず、地続きとなり、トラックやバスが重要な交通手段となっている。  
  


主人公

 生みの母と育ての母が主人公である。1人は若い女性の茜(貫地谷しほり)で、もう1人はこの島で生まれ育った五月(山田真歩)。
1年前、いずこから来たのか分からない1人の若く、美しい女性、茜が長島町の食堂で働きだす。島民同士、顔見知りのこの島で、茜は部外者である。彼女は美人の働き者で、島の若い男たちのマドンナである。
根っからの島育ちの五月は、島のメイン産業である「ブリ」養殖業を継いだ夫、日野雄一(永井大)、義母ミエ(木内みどり)、そして7歳の少年豊和(とは)と幸せな家庭を築いている。
一人っ子の豊和は聡明な少年で、一家全員にかわいがられている。彼は里子で、児童相談所から日野家で預かり養育している。一家はなるべく早く彼を正式な家族の一員として迎えるために、特別養子縁組の申し立てをしている。



日野家

 
豊和を養子にすることを切望する一家だが、それには理由がある。五月も子供を望んだが授からず不妊治療を行った。不妊とは、一般的に女性に出産能力がないとされているが、最近の医学では、不妊の原因の半分は男性にあることが分かってきている。昔なら、子供が出来なければ、「産まず女(め)」と言われ、身体欠陥者扱いで、婚家から離縁される話は珍しいことではなかった。
つまり、不妊の理由は女性にだけ負わされる現実があった。近年、「精子の質の低下」による男性不妊に対する認知が進んでいるが、その要因は喫煙やアルコールの摂取といった生活習慣の悪化だけでなく、心理的ストレスも大きいとみられている。
本作では、不妊の問題も取り上げている。この治療は費用が高い。五月は、医療費の高さと家業の「ブリ」養殖業もあり、手いっぱいの状態で、妊娠はあきらめざるを得なかった。高級魚「ブリ」養殖ならば、不妊費用の捻出はそんなに難しいこととも思えないのだが―。これは筆者の想像である。



特別養子縁組

 本作で、2人の母親の問題に絡めて、法的根拠たる制度を持ち出すあたり、ちょっとした着想だ。この制度は、家庭裁判所管轄であり、児童の人身売買防止を第一としている。別の言い方をすれば、出産した子供の親権は、問題が起きた場合裁判所に決定権がある。従って、子供を養子にすることの手続きが厄介である。
フランスの例を挙げると、アジア(多くが旧植民地の仏領インドシナ)の孤児の養子を希望する場合、片親が現地に数カ月、あるいはもっと長く住むことが条件となっており、大変時間が掛かる。フランス映画界の巨匠、ベルトラン・タベルニエ監督に、養子問題を扱う作品『Holy Lola』(2004年/邦訳『神聖なるローラ』)があり、養子縁組の大変さが描かれている。
実親と暮らせない子供と養親の間で縁組をする、特別養子縁組の対象年齢は原則6歳未満で、養親となる人に監護(嫌な響きの裁判用語だ)されている場合は例外(8歳未満)となる。生まれてすぐに引き取られた豊和の場合、問題はない。もう1つの条件として生みの実親の同意が必要で、ここで問題が起きやすい。



茜の場合

 豊和の生母、茜はもともと東京在住であり、彼女はある男と暮らし、子供をもうける。産後、絶え間ない男の暴力で、7年前にやむなく子供をネットカフェに置き去りにした過去がある。そして懲役1年、執行猶予3年の判決を受ける。
判決後、茜は八方手を尽くし、わが子を4年間探し続け、長島町で豊和の消息を知ることとなる。島では過去を隠し、食堂で働き、遠くからわが子を1年間見て過ごす。わが子を目にした茜は島に居つき、現在に至る。
彼女に関するエピソードとして、豊和を生み落し、乳房が張り、白い母乳をトイレでポタポタと垂らす場面は生々しい。
同じ島民として茜は五月と顔見知りになり、五月に豊和との経緯を話す。



五月の上京

 五月は、茜に島から出ることを言い渡すが、豊和をそばで見ていて、彼女にはとても離島は考えられなかった。茜は五月の親権停止申し立てをし、特別養子縁組手続きが暗礁に乗り上げ、手詰まり状態となる。
そこで五月は、詳しい事情を調べるために、夫を説き伏せ上京を決意する。東京では、事件現場のネットカフェ、茜が飛び降り自殺をしようとしたビル、彼女が働いていた縫製工場などを見て歩く。工場の責任者は、茜のことを「とてもよく働く子」だったと鮮明に覚えていた。




豊和の訪問

 五月が東京から戻ったある日、茜のところへ豊和が突然訪ねてくる。この訪問が2人の母の人間関係に変化をもたらす。幼い豊和は、茜に「お母さんと仲良くしてほしい」と頼む。子供心に2人の対立に心を痛めていたに違いない。彼の突然の懇願に驚く茜。ここから事態が変わり始める。



夕陽のあと

 茜と五月は、連れ立って港の夕陽の見える場所へ行き、話し合うことになる。
法律上、親権問題は暗礁に乗り上げ、膠着(こうちゃく)状態である。この動きそうもない難問に対し、双方悩み抜き、解決策を探しあぐねている。そこに妙案が1つ出される。この考え方に思わず手を打ってしまう。
長島町は橋で島同士がつながっているが、子供たちは沖縄のように、進学のため島を出る慣わしがある。豊和が島を出るまでは五月の家族の一員となる。
その後、島を離れる時に、茜が彼を引き取る。五月にとり、豊和を手離すことは寂しいが、両者の立場が立つ解決法となる。2人の母親は、漁港からの美しい長島町の夕陽のもと、和解したのだ。
互いに角突き合わせ、親権を主張することもあり得たが、軟着陸に成功した。ここは、脚本の素晴らしい着想であり、越川道夫監督の第2作『海辺の生と死』のような、沖縄の島の子の別れを思わす場面だ。プリミティフな情感が溢れ、ここが監督の持ち味ではなかろうか。
親権もので母2人が争う作りは普通だが、このような手もあることを教えてくれる。清々しい小品だ。






(文中敬称略)

《了》

11月8に日から新宿シネマカリテほか、全国順次ロードショー

映像新聞2019年11月18日掲載号より転載

中川洋吉・映画評論家