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『シュヴァルの理想宮 ある郵便配達員の夢』
1人で33年かけ壮大な宮殿を建てた実話
滲み出る自己に課した使命感

 『シュヴァルの理想宮 ある郵便配達員の夢』(2018年、ニルス・タヴェルニエ監督、フランス)は、19世紀後半にフランス南東部オートリーヴ村において、郵便配達員がたった1人で壮大な宮殿を建てた実話の映画化である。武骨で無口の主人公シュヴァル(ジャック・ガンブラン)の半生を描く伝記ではあるが、彼の身を粉にしての働きと、一途な思いを作品の芯(しん)としている。個人の努力が1つの宮殿を生み出した珍しい偉業は、20世紀に入るまで知る人はほとんどいなかった。

宮殿を訪ねてきた建築家
 (C)2017Fechner Films-Fechner BE-SND-GroupeM6-FINACCURATE-Auvergne-Rhone-Alpes Cinema ※以下同様

郵便配達員シュヴァル

完成した宮殿と家族

フィロメーヌ(妻)

シュヴァル夫妻

アリスを抱くシュヴァル

手押し車で石を運ぶシュヴァル

内装の石を見入るシュヴァル

病床のアリス

小さな村の美しい景色

 フランス南東部ドローム県のオートリーヴ村は、美しい山並みを誇る山岳地帯で、地図上では、フランスの古都リヨンの南に位置する。本当の田舎で、今でも19世紀がそのまま息づいている。世界的タイヤ会社ミシュランがドライバー用に編纂した観光案内書には毎年、数行の記載がある。ミシュランと言えば、むしろ食のガイドとして有名だが。
オートリーヴ村は、パリから540Km、リヨンから85Km、グルノーブルから77Kmに位置し、レストランも1軒だけの小さな村だ。ここを有名にしたのが「シュヴァルの理想宮」であり、今や村の観光名所となっている。地図上では見つけられぬほどの村で、かなり辺ぴな所だ。
しかし、景色は素晴らしく、山並みが続き、森や木々の緑、周辺一帯はワインどころとして知られるブルゴーニュである。美しい山並みをバックとして、1人の男が夕陽に吸い込まれるように歩く冒頭シーンは、まさに、フランスに数々ある、普通の村の美しさそのものである。  
  


宮殿の規模

 主人公シュヴァルは、1879年から1912年の33年間、郵便配達の途中に拾い集めた石ころをセメントで積み上げて、延べ9万3000時間を費やし、宮殿を築いた。東西26m、北14m、南12m、高さ10mという巨大なスケール。よく見られる遊園地のミニチュアの宮殿ではない。
そこには、古今東西のさまざまな建築様式やモチーフが混在し、いろいろな装飾が施され、内部も凝っている。その中の1つの象の装飾を見た彼の幼い娘アリスが、本物の象が見たいと駄々をこねる一幕もある。
シュヴァルは、自然の中で見つけた石を木製の手押し車に乗せ、自宅前の宮殿建設予定地まで人力だけで運ぶ。建築や石工の知識は皆無の彼の発想源は、雑誌や絵はがきである。彼の趣味を知る郵便局長は、あて名の読めない絵はがきを彼のために取っておいてくれたりする。



知る人ぞ知る

 
彼の宮殿、地域の人々は変人の趣味と片付け、まるで注目されなかった。20世紀に入ると、見物人は1日50人程度になる。一見、少人数と思われるが、山また山で足の便が悪いオートリーヴ村としては驚異の数字である。今では年間17万5000人が訪れるほど、有名な存在となった。
シュヴァルの死後(1924年没)、シュールレアリズムの旗手アンドレ・ブルトンをはじめとする文人たちに「素朴派唯一の建築物」と評価され、1969年にはド・ゴール政権下、文化大臣アンドレ・マルロー(作家としても有名)の尽力で政府の重要文化財に指定される。
このように、シュヴァルの名前はほとんど知られず、約50年間、人々の耳目を集めることはなかった。マルロー文化相の指定前にも、ピカソがこの建築に注目した事実もある。
建設途中、地元のジャーナリストや著名な建築家が現場に足を運び、「どのようにして建てたのか」と質問すると、彼は「独学」と述べ、専門家たちを驚かせた。決まった設計図もなしに、どうして高さ10bの宮殿を支えているかについての疑問も、シュヴァルは同じ返事を繰り返すのみであった。



シュヴァルの評判

 地元オートリーヴ村の住人は、終始彼を変人扱い。彼は住人たちの偏見を一切無視し、建設に傾注した。変人で頑固者、人嫌い、社交嫌いのシュヴァルだが、家族には恵まれた。
残念なことに、最初の結婚で第1子を授かるが、わずか1歳で死去。その妻も15年後に亡くなる。さらに愛娘(まなむすめ)、息子、愛妻と相次いで夭逝(ようせい)している。家族との別れが、彼の人生の節目となったと思える。
2番目の妻フィロメーヌ(レティシア・カスタ)は終生彼を支え、愛娘のアリスは、宮殿建設の大きな動機となる。宮殿建設の最初の意図は、アリスの遊び場のつもりであったことは有名である。
前妻との第2子となる息子シリルは、前妻の死でパリの親戚に引き取られたが、成人後、洋服職人として故郷に戻り父親を助ける、しかし、彼も宮殿完成の年に早逝している。



変人の鎧

 シュヴァルは感情を表に出さない内気な性格で、常に仏頂面で愛想が極めて悪い。前妻の葬式の時でも、埋葬に立ち会うことに難色を示す。そのため、彼に目を掛ける郵便局長が引っ張り出すほどであった。
彼の変人ぶり、元来の人嫌いから発している。結果論だが、この仏頂面の鎧(よろい)をまとうことで、大事業を1人で完成させたともいえる。ほかの挟雑物(きょうざつぶつ)を排する有効な手段でもあった。
また、シュヴァルに扮(ふん)するジャック・ガンブランのメーク、若い時から壮年に到る老いの表現は、まるで同じ人物とは思えない変貌ぶりで、これは見事である。



シュヴァル自身

 愛娘の遊び場から始まった構想
本名ジョゼフ=フェルディナン・シュヴァル(通称ジョゼフ/1836−1924年)は、オートリーヴ村近くの農民の子。初めはパン職人となり、パン粉こねが彼のできる唯一の家事で、後は全く無頓着。31歳の時、郵便配達員に職を変え、60歳の定年まで働き続ける。郵便物を手に山道を歩き、1日32`b、29年間で22万2720`b(地球5周分)を踏破する。
理想宮の着工が43歳。これには面白いエピソードがある。野山を歩く彼は、ある時、大きな石につまずき谷に落ちる。そのつまずいた石の奇妙な形に興味を持ち、石を積み上げることを思いつく。
1879年の愛娘アリスの誕生も動機となっている。シュヴァルはアリスを目の中に入れても痛くないほど、かわいがるが、生来の照れもあり態度に表せない。そのため、アリスの遊び場作り程度の考えで宮殿建設を始める。最初から大建造物を作る意図はなかったようだ。
そのアリスも15歳で夭逝。しかし、生涯の夢である宮殿建設の意志は揺るがなかった。彼は、この作業を76歳の1912年まで続け、宮殿を完成させる。退職後も作業をコツコツと進める。その間彼を支え続けた妻フィロメーヌは、宮殿完成の2年後に死去。この時期が、宮殿完成の節目となる。
不運の連続だが、この家族の喪失が、いっそう宮殿作りの意欲をかき立てた。




大事業の完成

 とてつもない宮殿の建設、外面だけでなく内部装飾も凝っており、それも映画セットのような書割(舞台用美術)ではないところにも、彼の宮殿建設のすごさがある。この大事業、ただの石ころを積み上げた物には違いないが、1人の郵便配達員の自力によるもので、そこにはシュヴァルの自己に課した使命感がにじみ出ている。
まさに、「なせば成る、なさねば成らぬ何事も」のことわざを地で行く行為である。最初は愛娘の遊び場が段々と構想が膨らみ、その思いが、自身の使命へと昇華したとも言い換えられる。
本作から、人の一途な思いは、志を持ち続ければ必ず成就するものであることを教えてくれる。無名の一郵便配達員の大きな夢の実現と同時に、人としての生き方を教えてくれる。われわれの日常生活の中で、思わぬ格言に出会ったような気分だ。






(文中敬称略)

《了》

12月13日から全国公開

映像新聞2019年12月2日掲載号より転載


中川洋吉・映画評論家