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『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』
ソ連繁栄の謎を暴く若き英国人記者
力感あふれる作風で見る側を圧倒

 極めて骨太な、ポーランド女性監督、アグニエシュカ・ホランドが実話を基に描いた新作『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』(2019年/ポーランド・ウクライナ・イギリス、118分)が公開される。同監督作品は、ポーランドの大監督アンジェイ・ワイダの諸作品の陰に隠れ、わが国ではわずかしか紹介されていない。彼女の代表作に『僕を愛したふたつの国/ヨーロッパ ヨーロッパ』(1990年)、『ソハの地下水道』(2011年)などの秀作がある。現在71歳のホランド監督による、物事の本質にグイグイ迫る力感あふれる作風で、見る側を圧倒する。

 20世紀前半、ロシア(ソ連)を29年間支配したヨシフ・スターリン(1878−1953年)の圧政に身を挺(てい)して闘った、英国人ジャーナリスト、ガレス・ジョーンズ(ジェームズ・ノートン)が主人公である。ガレスはロシア語が堪能な、ケンブリッジ大学卒業の秀才であり、1933年時点で27歳であった。
彼は、同じウェールズ出身の元英国首相ロイド・ジョージのお眼鏡にかない、外交顧問に抜擢される。20代の青年の抜擢の理由の1つに、台頭しつつあったナチスのアドルフ・ヒトラーへ直接インタビューした実績が挙げられる。

ウクライナ取材のガレス
 (C) Photo by Robert Palka (C) 2019 Film Produkcja All rights reserved ※以下同様

ニューヨーク・タイムズ モスクワ支局長デュランティ

飢餓の少年たちと話すガレス

ガレス

ガレスとエイダ

デュランティとエイダ

ウクライナのガレス

ソ連兵

ソ連の闇

 ロイド・ジョージの特例的推薦状を手にした若き日のガレスは、かねがねソ連に対し疑問を持っていた。1922年に成立したソ連は、第二次世界大戦後の冷戦時代には西側諸国とにらみ合いを続け、1991年に崩壊するまで謎めく大国であった。彼にとり、この疑問の解明のためには、モスクワ入りは不可欠であった。    


不可解な繁栄

 ガレスは1933年、ロイド・ジョージ外交顧問として早速行動を開始した。彼の目的は、何としてもスターリンとのインタビューの実現だ。彼の切り札は、ロイド・ジョージの推薦状と、ヒトラーとのインタビューの実績のみであった。
彼自身は反ソ連ではなく、ファシズムの浸透を防ぐため、英国とソ連とは手を組むべきとの考え方である。しかし、1920年末から世界的恐慌で各国は財政問題を抱え、苦闘中。その上、なぜソ連だけが繁栄を謳歌しているのか、疑問は尽きなかった。



モスクワ入り

 
最初の足掛かりを求めてのモスクワ入りであるが、当時のスターリン治下は報道管制が厳しく、絶えず監視人に見張られていた。
ガレスは、旧友の同国人ジャーナリストと連絡をとり、ニューヨーク・タイムズ・モスクワ支局長ウォルター・デュランティ(ピーター・サースガード、彼の権力べったりのジャーナリストの演技は絶品)に会い相談する。
しかし、彼は、ガレスがソ連の財政問題を探ることに難色を示す。さらに、ガレスが連絡を取ったジャーナリストは、ソ連政府関係者によって殺害されたと告げる。



エイダの好意

 八方塞がりのガレスは、デュランティの部下の若い女性ジャーナリスト、エイダ(ヴァネッサ・カービ−)に直接会い情報提供を請うが、身に危険が起きる可能性があり、彼女は言を左右する。2人とも互いに好意を持ちながら、なかなか思い切れない。
この辺り、ホランド監督の演出が冴(さ)える。2人の関係から男女間の匂いを消し去り、職務の遂行のみとし、ほかの枝葉を刈り込むやり方で、ソ連の閉鎖的な体質がはっきりと浮かび上がる。最終的に、エイダは一言「ウクライナ」の言葉を遺(のこ)す。




現地の惨状

 判明したウクライナの大飢饉
とにかく、一刻も早くウクライナへ行くため、列車に乗り込むガレス、車窓は荒涼たる雪原が広がる。ウクライナは本来、ソ連有数の豊かな穀倉地帯で知られ、そこで何が起きているのかを実地に見るのが、ガレスのジャーナリストとしての使命であった。
列車内のコンパートメントには、監視人らしき男性が乗り込み、2人は食事を共にする。この男性、フルコースの料理にグイグイとウォッカをあおり、ご機嫌の様子。政府関係者の役得であろう。また、次のウクライナの大いなる伏線ともなっている。
物語はここからクライマックスへ突入。ロンドン、モスクワ、そしてウクライナと舞台は変わるが、物語の構築が堅固で無駄がない。
先輩であるアンジェイ・ワイダ監督の存在は大きいが、ホランド監督の作品構成力は、彼と並ぶものがある。
ガレスは、1人ご機嫌で飲み食いする男性を置いて、トイレを口実に席を立つ。




飢餓の地獄図

 隣りの貨物列車をのぞけば、暗い車内には多くの人がうずくまっている。ガレスが捨てた、一片のオレンジの皮に群がる人々の様子は尋常でない。さきほどの豪華な食事とは対照的だ。
停車駅では大勢の男たちが布袋を肩に担ぎ運搬している。ガレスが中身を問いただすと、モスクワ行きの小麦であった。1932−33年に、ウクライナは大飢饉(ききん)に襲われる。しかし、ソ連政府は、国民の飢餓をよそに穀物の徴発を続け、飢餓の発生を無視し、人々を餓死へと追い込んだ。その数は300万人ともいわれ、人肉食も横行する悲惨な状況であった。




ホロドモール

 「ホロドホール」とは、ウクライナ語で「飢餓による殺害」を指す。1924年にロシア革命の指導者レーニン没後、政権を握ったスターリンは、1920年末から経済計画「五カ年計画」を導入し、ソ連の工業化と近代化を推し進め、これがあたかも経済発展をもたらすかのように国内外に喧伝された。
モスクワは一見繁栄を謳歌しているように見えたが、ガレスが疑ったように、ウクライナの大飢饉を無視し、穀物を中央に吸い上げ、何ら救済策を取らず仕舞いで300万人の死者を出した。飢餓対策をしない政府は、前述の徴発をやめず、備蓄穀物を放出せず、外貨収入獲得のための穀物輸出を続けたのであった。
結果的に飢餓が人為的に引き起こされた、政府の意図的無策による人災である。また、ウクライナ人に対する民族を標的とした大量虐殺で本質的にユダヤ人に対する、意図した「ジェノサイド」(大量虐殺)と変わらない。




諸外国の対応

 モスクワ駐在のニューヨーク・タイムズのデュランティは、徹底したソ連支持派である。おまけに、本国、米国では1932年にピューリッツァー賞を得ている大物ジャーナリストである。
1933年に足で歩き回りまとめたガレス・レポートは、西側世界では「やっぱり」とばかり、大きな反響を呼んだが、それ以上の反応はなかった。当時、西側諸国の最大の関心ごとはファシズムであり、例えば、米、英はソ連と緊密な関係を築く考え方が大勢であった。そして、デュランティは自紙に「ガレスの記事は作り話」と攻撃した。
彼は、1933年11月に米ソ国交樹立の立役者とされている。時の政府は、政治的・外交的配慮のもと、理不尽な行動を辞さず、また、それに使える人間を手持ちの駒とする常とう手段を臆面もなく用いた。




ホランド発言

 自作『赤い闇』について、興味ある発言を監督自身語っている。「まず、歴史の闇を呼び起こし、検証すること」、「真実を伝える勇気が必要であること」の大切さを強調している。
極めて真っ当な意見である。また、映画的には緻密な調査を元に、正面から添加物を加えずに押す力業が光る。それ故に、ガレスとエイダの関係も恋愛話にしなかったと推しはかれる。
蛇足ながら、ガレスはウクライナ後、取材で満州へ渡る。そこでガイドを装ったソ連スパイの手により射殺された。29歳であった。






(文中敬称略)

《了》

8月14日から新宿武蔵野館、YEBISU GARDEN CINEMA ほか全国公開

映像新聞2020年8月10日掲載号より転載

 

中川洋吉・映画評論家