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『淪落(りんらく)の人』
車椅子の中年男と出稼ぎメイドの交流
全編に優しさ漂う人間ドラマ
新人女流監督が描く香港的情緒

 香港から『淪落(りんらく)の人』(2018年、オリヴァー・チャン監督・脚本/英題「STILL HUMAN」)が公開待ちである。「たとえ経歴が異なっても縁あって出会った以上、その縁を大切にすべき」とする、中国的(香港的)情の世界を描く傑作である。この作品が、なぜ今まで話題にならなかったか、不思議に思える。今年32歳の新進女流監督オリヴァー・チャンが脚本も担当し、人の気持ちの温かさ、思いやりを吸い上げるみずみずしさが、見る側の感情を柔らかに包み込む。見終わっても、もっと見ていたい気分にさせる作品だ。

 
主人公2人の出会いは、香港市内のバス停である。1人は中年の車いすに乗った男性。人待ち顔である。そこに、若いフィリピン女性がバスから降りてくる。男性は、建設現場で事故に遭い身障者となったリョン(アンソニー・ウィン)。若く細身で少し地黒の女性はエヴリン(クリセル・コンサンジ)で、メイドの仕事のため彼の元へやって来る。
リョンは、広東語(香港の日常語で中国語と全く違う)とカタカナ的英語を操る。彼は男性の照れもあり慢性的に不機嫌で、にこりともせず新しいメイドを迎える。
エヴリンは、フィリピンからの出稼ぎで、広東語はまるで分からないが、フィリピン人らしく英語は堪能だ。一言でいえば、エヴリンは気立ての良いタイプ、片やリョンは気難しい中年おやじ。最初の出会いからギクシャクしている。この2人の対比が話の芯(しん)となる。

リョン(右)とエヴリン(左) NO CEILING FILM PRODUCTION LIMITED (C)2018 ※以下同様

リョン

エヴリン

散髪

フェイ(左)と

撮影中のエヴリン

廊下のリョン

メイドの仕事

 香港はフィリピン人女性にとり身近な稼ぎ場であり、同国人も多い。彼女たちの多くは故郷に送金し、家族の生活を支えている。リョンのように英語の弱い人間に対しては、PC、スマホを駆使し、互いの連絡手段としている。電脳の恩恵である。
彼女たちの仕事は家事全般、食事、そして足の悪いリョンの下(しも)の世話と、ほぼ生活全体の面倒を見るため、多忙を極める。市場への買い物では、量目をごまかされ、反論できずに悔しい思いをすることもある。食事はリョンの場合、原則的には別々に取る。親しくなってからは、同じ食卓を共にすることもある。
雇い主である香港人に対し、メイドは確実に一段落ちる階層であることが見て取れる。2等市民扱いで、そこを本作はやんわりと突いている。  
  


メイドの休日

 週1回の楽しみは、同じフィリピン人メイドたちとのおしゃべり。気候の良い香港では、海岸の遊歩道で3、4人が集まり、話に花を咲かせ、情報を交換する。
ほかに彼女らの会話で、メイドから金持夫人となったカルメンの名前が頻繁に出てくる。面白いのは、プライバシー確保のため、グループごとにダンボールで仕切りを作り、話の筒抜けを防ぐ。
先輩格の1人は、メイドたるものはバカを装えと説く。言葉が分からぬふりをし、仕事を減らす手口である。エヴリンは根が生真面目(きまじめ)なのか、バカを装うことには釈然としない。



リョンの家族

 
不機嫌な毎日を過ごすリョンにも家族がいるが、数年前に離婚し、妻と1人息子は米国で暮らしている。息子は医者志望で、大学で勉強中。その息子をリョンはかわいがり、いつもSkype(スカイプ)を使って話をする。頻繁に連絡を取り、元気を確認し合う。妻とは、うまくいかないリョンだが、息子との意思の疎通はよく、彼は満足している様子。彼の夢は息子との家族旅行だ。
このように、普通の市民の日常がさりげなく描かれ、見る側も安心して身を委ねる心地良さが全編にあふれている。とても新人監督の脚本とは思えない運びの良さである。
気難しいリョンには、1人だけ心を許す若い友人ファイ(サム・リー)がいる。どうやら昔の仕事仲間で、若いころのリョンの親切を忘れず、独身の彼のためにスープを差し入れ、時にエロフィルムを持ち込む。リョンにとってフェイは、弟のような存在である。



家庭内事故

 ある時、リョンは就寝中にベッドから滑り落ちるが、エヴリンを起さず、朝まで床に横たわったままであった。朝になり、異常に気付いたエヴリンが、「なぜ、私を呼ばない」と怒りをぶつける。
そこで、リョンは建設現場で身障者になった経緯を、初めて彼女に話す。彼女は「滑り落ちたのは、あなたが悪いのではない」と彼を励ます。この1件で2人の距離は近づき、「だんな様と呼べ」と威張っていた態度を軟化させ、彼女も彼の名「チョンウィン」と呼ぶようになる。
そして、数日前にリョンがスカイプで息子の将来について話す伏線の場面が生きてくる。息子の夢のついでに、リョンからエヴリンへ「夢は」と話題を振られ、彼女は「写真家になりたい」と答える。それを聞いたリョンは「メイドごときが写真家とはおかしい」と即座に否定。このやりとりが、一般的な雇い主とメイドの関係であることを嫌でも見せつける。



エヴリンの夢

 写真家志望のエヴリンであったが、家庭の事情で夢を諦め、メイドとして香港へ渡った。しかし、リョンのベッドからの滑り落ちた出来事以来、威厳を保ちたいリョンの横柄な態度が変わり、エヴリンに謝罪し、その上、大きなサプライズを彼女のために用意する。
それは本格的カメラのプレゼントで、彼女は大喜び、生き生きと香港の街を撮りまくり、1冊のアルバムを作り上げる。この辺りから物語は「硬」から「軟」へと転調し、人情や思いやりが前面に押し出され、内容に膨らみが出てくる。
この脚本の展開と演出で、見る側はチャン監督のペースに乗せられる。並みの手腕ではない。本作、2018年の香港最大の映画祭「第38回香港電影金像奨」で新人監督賞、主演男優賞、助演女優賞と、主たる賞を総ナメしたのも当然だ。



エヴリンの事情

 エヴリンはフィリピンで結婚していたが、大金を使い離婚が成立し、香港に来た。しかし、故郷の母親からの無心や、大家族の世話にために帰国を促される。今や彼女は、メイドから玉の輿で金持になったカルメンをうらやむこともなく、他人に言われるより自己の意志で動く人間になりたい、そして、夢を後押ししてくれる人の愛を受け入れたいと、自立志向を持ち始める。
そして、夜中、ガスのつけっ放しに気付いた彼女は、急いで台所へ駆け付けようとするが、滑って動けなくなる。異変に気付いた足の不自由なリョンは、とっさに車いすから立ち上がり、彼女を腕に抱え救い出す。もはや2人は完全に信頼し合う間柄となる。2人の間には愛が芽生えたことを感じさせる。しかし、彼らは自制し、ただただ見つめ合うだけだ。美しく、切ない場面だ。





コンテスト

 写真の腕を上げ、周囲の勧めもあり、エヴリンはコンテストに自作を出品、見事に1等に入選。発表会場では、彼女の才能を見込んだ主催者の米国婦人から声を掛けられる。
また、美しい中年婦人からお祝いの言葉を贈られ、「私も7年前はメイドだった」と話す。彼女こそ噂のカルメンであった。
この時期に、米国の大学を卒業したリョンの息子は香港に帰国する。一方、エヴリンはコンテスト主催の夫人の引き合いで、写真の勉強のため米国に留学する。娘のように彼女をかわいがったリョンは、車いすでバス停まで笑顔で見送る。
一種のシンデレラ物語であるが、夢の実現のために前へ進むエヴリンと、彼女を支援する周囲の人々の義侠(ぎきょう)心と思いやりが心に響く。身分差、経済的問題、男女の出会いと別れ、全編に優しさが漂い、傑作と呼べる作品であり、香港的情緒が快い。






(文中敬称略)

《了》

2020年2月1日から新宿武蔵野館、他全国順次公開

映像新聞2020年1月20日掲載号より転載

中川洋吉・映画評論家