『コンプリシティ/優しい共犯』
社会問題を背景に描く人情
見応えがある藤竜也の無言の芝居 |
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普通とはちょっと違う設定の作品『コンプリシティ/優しい共犯』(2018年/近浦哲監督・脚本・編集、日本、116分/コンプリシティとは共謀、共犯の意)は、一見洋画と見まがうタイトルだが、立派な日本映画である。ただし、インサート的に中国での撮影がふんだんに取り入れられ、スタッフの半数以上は中国人で占める。舞台は東北の大石田(山形新幹線停車駅、尾花沢の手前。木造建築で有名な温泉街、銀山温泉の入口)。そこは、ひと言でいえば素朴で田舎らしい東北の穀倉地帯で、同時にそばが名物。決して派手な作品ではないが、見応えは十分だ。
冒頭場面が異様。金庫荒らしの現場、暗闇の中、1人の男がネジ回しとおぼしき工具で、必死に金庫破りを試みている。迫る時間、男は未遂のまま退却する。
その背後に、現在話題の外国人の技能実習生制度が顔をのぞかせる。この制度の欠陥を突くのが本作の動機付けである。記録のある2013年から技能実習生の失踪は、5年間で2万6000人に上るとされている。
つまり、正規の技能実習生の多くが自ら不法滞在者となり、日本に暮らしている。それは、低賃金労働に対する彼らの不満の表れで、それを利用する派遣業なる日本人たちの搾取の対象となっている。
業者の甘言で失踪し、より高いはずの賃金を得るために、若い技能実習生は不法労働者の道を選択する。そして日本社会に潜り込むために、高い偽パスポートを買い、別人の名を借り、より稼げる職に就く。
本作の背景として、日本における不法滞在の存在を、先ず頭に入れておかねばならない。
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チェン(左)と弘(右) (C)2018 CREATPS / Mystigri Pictures ※以下同様
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蕎麦打ち中の弘
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3人で囲む夕食
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弘とチェン
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葉月のアトリエ
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チェンと葉月
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そば畑で
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窃盗団
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葉月とチェン
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そば屋で働く不法滞在の中国人青年
金庫破りの実行犯の若い中国人青年チェン(ルー・ユーライ)は、偽パスポートを手に入れ、別の中国人になりすまし、東北のそば屋に就職する。本名だと面の割れる恐れがあるからだ。
この制度、形だけで、安価な労働者供給の元となっている。低賃金、長い労働時間と、技能実習生たちが不満を持つのは当然で、逃げ出す要因をわが国が作り出している一面がある。国際協力の名目でわれわれは協力していると、お上は主張するが、これは「役人のアリバイ」作りだ。
お国の方々には、アジア人に対し言われなき優越感を振りまわす傾向があり、この実習生制度にも日本人のアジア観が垣間見える。
中国人の主人公はチェン、彼が紹介されたそば屋の主人が80歳手前の弘(藤竜也)。妻を早く失くし、今は娘のカオリ(松本紀保、弟が松本幸四郎)と2人で、地元の人気そば屋を営んでいる(山形の大石田は「そば」で有名)。
不愛想な弘は、あまり口をきかない。この彼の態度がチェンを悩ます。とっつき難いのである。カオリは接客担当をし、客の間を行き来し、忙しく立ち働く。日本語がままならぬチェンに対し、何かと気を遣う。彼に対するさり気ない親切心は目立たぬが、印象深い役柄だ。
そばの知識ゼロのチェンは、取りあえず、お盆をもってそばを客に出すお運びさん。
口数の少ない弘、経験のない若者に対し、彼は先ず配膳をさせる。そして、出前もやらせる。西も東もわからぬチェンは、渡された住所を頼りに、緑の畑の野路を汗だくで走り回る。ある時、地理に疎い彼は注文主宅へ辿り着くが、そばは既に配達済み。黙って配達をした弘は、ひと言彼に「そばには寿命がある」と諭す。
チェンは接客中にめんつゆをこぼし、客に迷惑をかける。そこにカオリが駆けつけ、彼を台所へ行かせ客に謝り、その場を収める。次いで客に詫びを入れに来る弘、藤竜也の貫録の芝居、さすが年季が入っている。
とにかく、口数が少なく、大声で叱ることなく、彼をカバーする2人。もはや家族の一員扱いだ。この様に、冒頭の窃盗団を除き、周囲は善人ばかりという人物設定を近浦監督は施している。そして、最後にドクをまぶす。脚本構成上悪くない。
劇的構成として、本作は2つの柱で支えられている。1本目の大きな柱は日本で、2本目の柱は中国である。その中国編がユニークだ。
チェンは一獲千金を夢見て、祖母が必死に働き貯めた金のおかげで来日。一応技能実習生となるが、単なる安い労働力として扱われ、1年後に大金を手に帰国の夢が危うくなる。そして、脱走し、そば屋に厄介になる。現在の状況では故郷への送金は全く無理で、八方ふさがりの状態。
そこで手を差し述べるのが弘親子。チェンには頻繁に中国から電話が掛かる。祖母は「ちゃんと稼いでいるか」と問い詰め、母は「しっかり」と彼を励ます。現在の辛い立場の彼は、中国側の期待と日本での苦しい生活の狭間で悩むが、偽パスポートの身で、誰にも相談できない。いつも優しく接する弘にも告白できず、悶々と毎日を送る。
言葉の通じない異国での生活、気の滅入る毎日だが、少しばかり楽しいこともある。市内のはずれの深い木立の丘の家へ、そばの出前でエンコラと長い階段を上る。そこには、若い女性が1人で抽象画のようなものを描いている。
その女性、葉月(赤坂沙世)は開口一番「階段が長いでしょう」とチェンを面食らわす。画家の卵で、北京留学希望の彼女は、片言だが中国語を話し、チェンと言葉を交わす。そして、村の祭りに行く約束をする。日本の祭りが何であるかも知らぬ彼は、ただ葉月の言うがまま。恋の予感を感じさせる。
そば屋へ警察からチェンの在留資格違反の問い合わせが入る。応答に出た弘は、怒りを込めて即刻否定するが警察は諦めず、翌日3人で店にやってくる。この警官の来訪で、チェンのありのままの姿を知った弘の行動が作品のハイライトとなる。
まず、出前先の2つに折った住所の紙を渡す。そこは無地である。「ここから離れろ」の合図である。そして、カバンに路銀のお金を入れる。弘は別れ際に、「自立しろ」と励まし、無理矢理追い出し、今や親子以上で、北京でそば屋を開く夢を語り合う2人であったが、この絆(きずな)を泣く泣く断ち切ろうとする。
この場面、藤竜也の無言の芝居が見ものである。彼は芝居をせず、藤竜也という役柄を演じている(高倉健が彼自身の役柄を演じているように)。
無口でおとこ気あふれる芝居に、藤竜也は良い味を出す。これだけ年配になり、今までの積み重ねた実績が噴出するくらいの迫力がある。この1点で、藤竜也は弘役を引き受けたと想像する。
実習生の失踪という社会問題、弘とチェンの親子を思わす淡い絆、娘のカオリや葉月との交友、脚本のセンスが極めて良い。今年43歳の短編映画出身で、本作が長編1作目の近浦哲監督は、脚本が書ける新進監督として期待してよいのではないだろうか。
(文中敬称略)
《了》
2020年1月17日より新宿武蔵野館にてロードショー
映像新聞2020年1月6日掲載号より転載
中川洋吉・映画評論家
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