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『ラスト・ディール』
謎解きの面白さで見る者を引っ張る
知的遊戯と家族間の確執が錯綜

 近代ロシア美術の巨匠イリヤ・レーピン(1844−1930年)という大画家の存在は、よほどの美術愛好家の間でも知られていない。そのレーピンの署名のない絵画をメイン・コンセプトとして、物語は構成されている。そのタイトルは『ラスト・ディール』(2018年/クラウス・ハロ監督、フィンランド、95分)である。日本から遠い北欧の小国フィンランド、特に首都ヘルシンキの風景がふんだんに盛り込まれ、作品に重厚感を与えている。

 
主人公は、ヘルシンキで小さな個人画廊を経営する老画商、オラヴィ・ラウニオである。彼は家族との連絡を積極的に取らず、1人暮らしで、美術にかかわることを生き甲斐としている。老画商の人柄はむしろ不愛想で、取っ付き難い。
この偏屈な老人役を、ヘイッキ・ノウシアイネンがこなし、これが実に感じなのだ。彼自身は、フィンランドの名優で、演劇畑で名を知られた存在であったが、数年前に引退し、劇映画やテレビドラマに軸足を移した。
72歳のオラヴィは、ここ数年、美術取引の世界からの引退を考えている。彼の画廊兼自宅は、女手のない家庭に見られるように、散らかったままである。大きなテーブルで1人食事を摂るが、毎朝、ヘルシンキ最古のベーカリー「エクベリ」(1892年創業、現在も営業中)でケーキを1つ求めるのが日課となっている。
ヘルシンキの中心部は、ロシア領時代の趣を残し、古色蒼然(そうぜん)としているが、並木道を走る路面電車や整然と立ち並ぶアパルトマン群と、古き良き時代の面影が残る大都市である。この街並みは見ものだ。

オラヴィ(右)と孫のオットー    (C)Mamocita 2018 ※以下同様

家族の食事

同僚たちと

エクベリのケーキ(ノルウェーチーズ−ヤイトストかけ)

画廊のオラヴィ

図書館での調べもの

2人の一休み

オラヴィと娘のレナ(右)

公園でのオラヴィ

オークション会場のオラヴィ

オークション会場 後方が『男の肖像画』

名画との出会い

 埋もれた名画に老画商が粘着
作法(さくほう)としては分かりやすい時系列で、話の焦点を謎の絵に絞り込む手法を用いている。絵以外にはオラヴィと家族を取り上げ、この2本柱で物語が進行する。製作のきっかけは、本作の脚本家のアナ・ヘイナマーの着想によるもので、謎解きの面白さで見る者を引っ張る仕掛けが施されている。
名画との出会い、ここが物語の発端となる。ある時、オラヴィはオークションハウスの下見会へ行く。いわば、仕入れである。通り一遍の下見であったが、彼は小さな1枚の、全く目立たない絵『男の肖像画』(大きさは31cm×41cm)に目を奪われる。
多くの美術関係者は、その絵の前を素通りするが、オラヴィには何か気になる1枚であった。直感的に「これはただの肖像画ではない」と思ったが、肝心の署名がない。出自がまるで分らぬ1品であり、ほかのガラクタ絵と同様扱いされている。
ひょっとして「埋もれた名画」ではあるまいかと、彼は職業的勘を働かせ、調べることとなる。画商の彼は研究者的一面があり、この素性の分らぬ肖像画にのめり込む。ここから、新たに家族の問題が浮かび上がる。物語の展開の運びが良い、こなれた脚本だ。 
  


娘、レアの依頼

 家庭を全く顧みないオラヴィには、1人娘レアがいるが疎遠で、彼女からの電話のメッセージもほとんど無視し続けている。世間では、時々家族に全く関心のない父親、あるいは母親がおり、オラヴィ一家もこの例に漏れない。
彼女の用件は、息子オットー(オラヴィの孫の高校生)の職業体験証明書に印鑑を押してもらうため、祖父の画廊で一定期間働かせてほしいとのことであった。
オラヴィは、ちょっと小生意気な少年を渋々預かることになる。窃盗の前科があるこの訳あり少年に、思い余ったレアが、頭を下げ父親に頼み込んだのだ。
何をやらせていいものか、全く頭に浮かばないオラヴィであった。ある時、彼は図書館で謎の絵の調べ物をしていると、オットーがやって来て、画廊の絵を定額より高く売ったので差額をよこせと要求。オラヴィは、この機敏な少年の商才に驚いたが、「使える奴」と踏み、毎日の図書館での調べ物に同行させ、2人はコンビを組む。



「男の肖像画」

 
調べる絵は『男の肖像画』であり、何よりもオラヴィが知りたいのは、この絵の出自である。
まず、絵の時代考証から始まり、その画風から、近代ロシア美術の巨匠、イリア・レーピンの作品とにらむ。オークションは後2日と迫り、彼らはレーピン関連の資料を片っ端から調べる。
オラヴィにとっては、引退前に自身の業績として、また、これでひと儲けの打算も加わり、『男の肖像画』の落札を決意する。彼の調べで作品は本物との確信を得て、オークションに臨み、見事に落札。しかし問題は、予定を上回る落札額で、中小画商の1人である彼には肩の荷が重すぎた。



レーピン自身

 レーピンとは、19世紀に活躍したロシアの画家で、同時期に名を馳せた文学のドストエフスキー、トルストイ、音楽のチャイコフスキー、ムソルグスキーらと並ぶ大物であった。
また、ロシアには「聖書を理解するための宗教画」のイコン(聖画)があり、芸術作品としてだけではなく、宗教画以上に絵自体が崇拝の対象とされていた(以上は、作家・中野京子の解説から引用。



金策

 落札したはいいが、問題は1万ユーロ(当時、ユーロは使われていないが、作品に沿って一応ユーロとする)の買値で、とてもオラヴィ1人の私財では無理であった。まずは、引退を心に決めた彼は画廊の絵や、身辺の金目の物を売るが、何としても4000ユーロの不足。友人たちは貧乏か、あるいは贋作を心配し、彼の力にならない。
最後は、娘のレアに泣きつく。そこで、オラヴィは初めて娘の苦労を知ることとなる。母子家庭の彼女、元夫の借金返済で、経済的に苦しい境遇にある。彼女の生活苦を知ることもなかった父として、娘レアからの借金を諦める。
ここが映画的なのだが、帰り際にオットーの貯金箱を目にし、「お金は投資しなければ死蔵財産となる」とたきつけ、少年を納得させ、最後の数千ユーロを手にし、何とか金策にめどをつける。
実は、この貯金箱はレアが息子の大学入学資金に充てる費用だった。もちろん彼女はカンカン。最後まで娘を苦しめるエゴイストな老人の性根は変らず仕舞いであった。
その後、一度購入を決めたスウェーデンの収集家がキャンセル、商談は挫折する。しかし、絵はオラヴィの手元に戻り、スウェーデンの美術館のキュレータ―から、レーピンの『男の肖像画』は本物とのお墨付きを得る。この作品、聖画の部類に入り、無署名のケースもあるとのことだ。
やりたいことをやり、周囲に迷惑をかけたオラヴィは、最高の絵を手にし、満足。その後、他界した。
1枚の絵の謎解きから物語は始まり、最後は満足しこの世から旅立った老人の一生が描かれ、何かホッとした気分にさせられる。知的遊戯と家族間の確執の錯綜(さくそう)が、本作に面白味を与えている。
日本ではあまり知られていないフィンランド映画であるが、監督のクラウス・ハロは同国を代表するそる存在である。脇を固める演技者も地味目で、主として演劇畑の役者を起用し、皆、それぞれ年相応の良い味を出している。





(文中敬称略)

《了》

2月28日からヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか公開

映像新聞2020年2月17日掲載号より転載

中川洋吉・映画評論家