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『オフィシャル・シークレット』
英国のイラク戦争参戦の不正行為を暴露
重厚かつ歴史的事件を俯瞰

 国家の論理と個人の倫理の狭間に立たされる人間の在り方を問う傑作『オフィシャル・シークレット』(2018年/ギャヴィン・フッド監督、共同脚本、英国、カラー、112分)が近日公開される。イラク戦争(2003年3月20日開戦)への英国参戦を巡る、国家権力の介入と個人との裁判闘争を取り上げる、重厚かつ歴史的事件を俯瞰(ふかん)視する一助となり得る作品だ。

法廷前広場のキャサリン    (C)OFFICIAL SECRETS HOLDINGS, LLC. ALL RIGHTS RESERVED. ※以下同様

メールに見入り、驚きのキャサリン

人権派弁護士ベン・エマーソン

GCHQ(英諜報機関)の同僚と

スクープ記者マーティン・ブライト

新聞社内のスタッフ

戦場でのマーティンの同僚ピーター

キャサリン(左)と夫のヤシャル(右)

法廷でのキャサリン

エマーソンの法律事務所での会議

スクープ紙を買い求めるキャサリン

リーク書類を投函するキャサリン

改定前に夫と電話するキャサリン

イラク戦争

 2003年3月に始まったイラク戦争では、米英軍の圧倒的戦力の前に、イラク軍は6週間で降伏した。戦闘自体は短期決戦であったが、イラク国内の治安悪化が問題となり、戦争は11年12月の米軍の完全撤収まで続き、イラク側の死者は65万5000人(03年−11年の累計)を超えるとされている。
一般市民の死者数の統計は、歴史上、常に推定であり、概数の域にとどまっている。米軍の死者は4487人(03−11年累計)となり、米国はその犠牲を強調するが、イラク側の被害とは比べものにならない。英国に至っては179人(03−09年累計)と少ない。
戦争とは、大国の死者は圧倒的に少ないのが常である。ベトナム戦争においては、米軍は約5万8000人が戦死した一方で、ベトナム側は民間人を含め300万人以上が犠牲になったといわれている。このように、大国の犠牲は少なく、戦敗国のそれは多大である事実がある。戦争は、多くの女性、子供の命を奪うものであり、人道上、何としても避けねばならない。 
  


戦争前の英国の政治環境

 米国は2001年9月11日の同時多発テロ事件以降、報復としてイラクのフセイン大統領の大量破壊兵器(いわゆる化学兵器)の所有を理由として、イラク戦争を企てた。米国のブッシュ大統領はイラク叩きに執念を燃やし、同盟国英国に参戦を持ち掛けた。
当時の英国首相は労働党のトニー・ブレア(在任1997−2007年)で、米国の言うことはすべてのむタイプの首相であった。ブレア首相の意に反し、イラクへの参戦反対は世論の70%を超えていた。



イラク戦争の発端

 
女性諜報員による倫理的な行動
本作の主人公、英国の最高諜報(ちょうほう)機関GCHQ(政府通信本部)の中国語分析官のキャサリン・ガン(キーラ・ナイトレイ)は、ある時、1通のメールを目にする。米英がイラク侵攻を強行するために、国連安保理事会のメンバーに対するスパイ活動を指示するものである。
送り主は米国諜報機関NSA(国家安全保障局)で、イラク侵攻の工作活動の根拠たる大量破壊兵器所有を各国に認めさせる意図の内容であった。米英は、国連安保理のお墨付きを得ての参戦を狙い、理事国の動向に探りを入れるものだ。この一件を何とかリークし、表ざたにしたいキャサリンの名を取り、「キャサリン・ガン事件」と名付けられた。



メディアとのコンタクト

 冒頭、自宅で朝のニュースを見ているキャサリンは、ブレア首相の「イラクとの戦争は不可避」との、いわば宣戦布告を目にする。正義感の強い彼女には到底納得できるものではない。彼女は、国の存亡をかけた戦争は国益のため容認する場合も考えられるが、多くの人、女性、子供が犠牲になる戦争には絶対反対の立場であり、イラク戦争は到底受け入れられるものではない。
そこで彼女は、田舎で暮らす女友達で反戦活動家のジャスミン(マイアンナ・バーリング)を呼び出す。メディアにこのメールをリークしてもらいたい旨を頼むが、もしもの時にはスパイとして逮捕される可能性が高く、当初難色を示した。しかし、最終的に折れて、ジャスミンは彼女の頼みを受け入れ、「オブザーバー紙」のマーティン・ブライト記者(マット・スミス)にメールのコピーを渡す。
ここから、事件の核心に入る。物語の展開は、オーソドックスな時系列であり、フッド監督の狙いである、緊張感と権力の、目に見えない恐怖が伝わる。この出だしは快調だ。



社内論議

 コピーを受け取ったマーティン記者は、上司やスタッフの面々を相手に記事の掲載を説く。この時期100万人規模のデモがロンドンで起き、英国参戦に抗議する声が高まる。新聞社内でも、このメールの真偽について激論が交わされる。権力側の常とう手段で、証拠は偽物と断じ、否定することは目に見えている。
しかし、文面を精査し、英国と米国語の専門用語の使い方は正しい表現方法であることが証明され、やっとのことで記事にするゴーサインが出る。キャサリンが友人に依頼してから、1か月後に記事が一面を飾る。「米国の汚い手段によるイラク戦争参戦の不正行為を暴露」と大々的な見出しだ。



キャサリンの告白と逮捕

 GCHQはリーク犯探しに躍起となり、1人ひとりの個人面接が開始され、公安事件ではつきものの個人情報をも含め根掘り葉掘り、ねちっこく追及する。中国語専門のキャサリンも例外ではない。
現在の彼女はパートナー、ヤシャル(アダム・バクリ)と一軒家で生活をともにしている。クルド系トルコ人の彼は、移民受け入れ規制の昨今、なかなか居住権が下りず、国外退去処分の危険にさらされている。移民問題は厄介であり、一般的に言えば2等国民扱いで、テロリスト呼ばわりの社会的風潮の中、2人は正式に結婚する。
彼女の同僚たちは、ことの次第は熟知していながら全員容疑を否定する。しかし、キャサリンは、同僚が疑われることに責任を感じ、自らがリーク犯と名乗り出る。潔い、筋の通った態度である。
そして、彼女は逮捕され、今度は警視庁の刑事の尋問を受ける。彼女の容疑は公務員秘密法への抵触である。GCHQの職員は秘密の遵守義務がある。この容疑を打ち砕くハードルは高く、高名な人権派弁護士ベン・エマーソン(レイフ・ファインズ)登場となる。
公務員秘密法違反、そして時折、夫ヤシャルの強制送還をチラつかせながらの取り調べで、刑事から「有罪か無罪か」と心証を問い詰められる。この場面こそ、本作のハイライトである。
化粧気はなく、背筋を伸ばしたキャサリンは厳然と「無罪」と自身の所信を述べる、「政府は変わる。私は国民に奉仕している」(政府は意見を変えるが、政府職員は公僕であり、国民に寄り添わねばならぬの意)と。あくまでも自身の名誉のため、人命を守るために戦争反対の態度を貫く。
このキャサリン役のキーラ・ナイトレイ芝居の強さは見ものだ。その後、拘留なしで保釈されるが起訴され、6カ月後の法廷を待つこととなる。





意外な結末

 ラストの法廷場面、罪状認否について、あらゆる勇気を絞り「無罪」と言明。だが、検察側は、予想外の起訴取り下げ。驚く弁護人。その理由を問い詰めても、検事は曖昧(あいまい)な答えを繰り返す。この逆転劇、国連決議なしの米英の参戦、国際世論の批判をかわす米英の臭いものへの蓋(ふた)とも受け取れる。
イラク戦争は根拠がなく不法であり、多くの犠牲を生み出す事態を防ぎたいとする、自らの正義に従ったのがキャサリンの意志である。そして、公務員秘密法の適用は見送られる。1人の女性の勇気ある告発が、多くの共感と行動を生み出した現象は重い。民主主義
と理のある正義の観念が、立派に生きていることを証明するのが本作である。






(文中敬称略)

《了》

TOHOシネマズシャンテほかにて近日全国公開

映像新聞2020年5月11日掲載号より転載


中川洋吉・映画評論家