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『マルモイ ことばあつめ』
日本統治時代に朝鮮語を守る運動
官憲の弾圧の中で辞書作り

 戦前、朝鮮半島(主として現在の韓国)が日本に占領された時期に、失われていく朝鮮語を守り、朝鮮語の辞書を作ろうとする一部の知識人グループがいた。母国語を残そうとする人々の間で起きた一種の文化保存運動であるが、占領軍の出先機関たる日本の朝鮮総督府は政治問題として、この運動に介入し、人命が失われる悲劇を作り出した。その朝鮮語辞書の編纂(へんさん)を目指した朝鮮語学会と、日本の官憲の弾圧を描いたのが、『マルモイ ことばあつめ』(以下、『マルモイ』)(2019年/オム・ユナ監督、韓国/135分、韓国語作品)である。

 
「マルモイ」とは、タイトルどおり「言葉を集める」ことである。その本質は政治問題でも、弾圧を重ねた日本占領軍の武力的介入でもなく、純然たる文化運動である。
植民地政策は、支配手段として、往々にして文化まで根こそぎにする傾向がある。北アフリカのアルジェリアのフランス支配が一例といえよう。占領軍(宗主国フランス)は、アルジェリア人の主食たる小麦栽培を、フランス人の食卓には欠かせないブドウ酒のためにブドウ畑に変えさせ、現地住民の主食を奪った歴史がある。まさに収奪式の植民地経営手法だ。日朝関係も、このアルジェリアのケースと似ている。

公聴会に拍手で迎えられるリュ代表    
(C)2020 LOTTE ENTERTAINMENT All Rights Reserved. ※以下同様

負傷した代表を介護するパンス

子煩悩なパンス

書庫のパンス

識字者となったパンス

リュ代表から書類を渡されても何も分からぬパンス

冷酷な総督府の日本人官僚

地方方言採取のため刑務所仲間を招集するパンス

パンスの娘、スンヒ

パンスの息子、ドクジン

朝鮮語の保存グループ

 時代は1940年、舞台は日本軍占領の首都京城(けいじょう=日本統治時代のソウルの呼称)、登場人物は「マルモイ」の朝鮮語学会の人々、運営は知識人たちの小さなグループの面々。
彼らは、有志の寄付で細々と言葉集めの作業をする。ほとんどがボランティアで、研究者や教員たちの、いわゆる識字者である。一方、字の読めない非識字者は、当時の朝鮮半島には多数存在した。
日本政府は、朝鮮の民族精神消滅政策を推し進め、その先兵となったのが、朝鮮総督府である。彼らは、朝鮮語の使用を禁止し、国語の時間は日本語を教えた。 
  


物語の構成

 本作『マルモイ』は、光州事件(1980年)チョン・ドファン大統領による、光州における軍事クーデターを、一介のタクシー運転手の眼を通し描いた『タクシー運転手 約束は海を越えて』(2017年)の脚本家、オム・ユナの初監督作品である(『タクシー運転手』の主演は、顔が大きい、独特の朝鮮人的容貌(ようぼう)を持つソン・ガンホで、彼の存在感なしではこの作品は語れない)。
本作の構成スタイルは、リュ・ジョンファン(ユン・ゲサン)が代表を務めるアカデミックな「マルモイ」の知識人グループ(識字人)の朝鮮語学会と、非識字グループで泥棒を生業とするキム・パンス(ユ・ヘジン)の2つの対比と融合を通して、韓国近現代史の重要な一面を描いている。
出会うことが全くないはずの2人が1つの目的のため、時に対立しながらも信念を押し通す、極めて骨太な政治的側面を『マルモイ』は有している。ドラマとしては、ユナ監督の前回作(脚本)『タクシー運転手』と同様に、主人公パンスのコミックな味を最大限、正面に押し出している。



主人公パンス

 
深刻な政治問題に大衆性を加味
泥棒グループのリーダー、パンスは、例えていうならば山田洋次監督の「寅さん」的人物である。二枚目とはほど遠いパンスは、ヤクザのように突っ張り、偉そうに振る舞う。けんかをすれば、すぐにノックアウトされるが、弁が立ち、口から出まかせタイプだ。
パンスに扮(ふん)するユ・ヘジンは、「たこの八ちゃん」張りの喜劇にはうってつけの容貌(ようぼう)の持ち主。喜劇役者としての演技は絶品で、『タクシー運転手』のソン・ガンホと同様、『マルモイ』もユ・ヘジンの存在が極めて重要である。
冒頭、映画館の切符もぎりをするパンス、やたら態度がデカく、何やら怒鳴る先には、粗末ななりをした少年たちが、縮こまっている。多分、映画のただ見を企んだ悪ガキの一連であろう。この場面のパンスの柄の悪さ、並みではない。とにかく笑える。
官憲の暴力的介入に対し、最初はただの怒る人間であったパンス。口だけ達者な、突っ張りへなちょこヤクザの彼は、識学者となり「マルモイ」に命を懸ける人物への生まれ変わりが、本作の見どころの1つだ。
雑役係として、場違いな朝鮮語学会入りをしたパンス。最初は、インテリで育ちの良いリュ代表から全く信用されず、2人はむくれ合い状態であった。だが、ある日、憲兵に暴行され、いち早く仲間のために手を打ったパンスの行動が、リュ代表に感謝された。
さらに、2人の結び付きを強めたのは、事務所に置かれた1924年に刊行された玄鎮健(ヒョン・ジンゴン/1900−43年)の短編小説『運の良い日』である。本書は国語の教科書にも載る、韓国では誰もが知る有名な小説だそうだ。
物語は貧しい車夫(人力車を引く人)が、重病の妻を残し町中を走るが、その日はとりわけ客が多く、帰りが遅くなる。彼は妻の喜ぶソルロンタン(スープ)を買い求め帰宅すると、妻は息を引き取っていた。これが「運の良い日」の結末であり、当時の庶民の実情がよく分かると評価された。
今では字が読めるパンスは、この小説を読み涙する。そこに、外出から戻ったリュ代表はそれを見て、識字者と非識字者の心が結ばれる。この場面、「マルモイ」活動が決して一部の識字人の間にとどまらず、広く、大衆を巻き込む状況が読んでとれる。話として非常に優れ、胸を打つ場面だ。



パンスの活躍

 朝鮮文化消滅を目指す、日本政府ならびに総督府は、何としても朝鮮語辞典の発行を阻止するために、武力で公聴会を急襲し、破壊の限りを尽くし、虎の子の辞典用原稿の奪取を図る。
学会の人々は扉に閂(かんぬき)を掛け、演壇いっぱいの原稿を袋に入れる。銃剣の憲兵が迫る仲、リュ代表は仲間を裏口から逃がし、残る彼とパンスは風呂敷包みの原稿を抱え、右と左へ別れ全力疾走で追手から逃げる。
この危険な役目を自ら買って出たパンスは、憲兵の追跡を逃れるが、最後は憲兵の凶弾に倒れる。これで最期と思いを決めたパンスは、民家の中に包みを投げ入れる。リュ代表も捕まり重傷を負い、包みは没収されるが、中身は何と枕であった。パンスは命がけで書類を守ったことになる。
ここで非識字者の彼は、辞典刊行のため、朝鮮語学会の立派な一員入りを果たす。いい加減な、映画館の切符もぎりの"あんちゃん"が、祖国の文化を守るために命を捧げたのである。
この義挙に対し、多くの人が感銘を受け、映画は300万人の観客を動員した。命がけの「マルモイ」活動は、日本占領後、100年以上経った今も、韓国の人々は忘れていない証(あかし)である。
深刻な政治問題をユナ監督は分かりやすく、その上、パンスの存在を生かし大衆性を加え、大勢の人々に訴え掛けたのだ。基本的には脚本の良さと、ユ・ヘジンの芝居で見せる、現代歴史活劇の手法が成功している。
映画評論家の佐藤忠男氏が指摘するように、日本人にとっては、しんどい内容であるが、それを上回る熱さと、過去を忘れぬ作り手の思いがあふれている。なお、辞典は13年かけて戦後刊行された。






(文中敬称略)

《了》

シネマート新宿&シネマート心斎橋他、全国順次、近日公開

映像新聞2020年5月18日掲載号より転載


中川洋吉・映画評論家