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『ぶあいそうな手紙』
ブラジル発のヒューマンドラマ
視力を失いつつある独居老人と若い女性
手紙の代読により深める交流

 南米ブラジルの『ぶあいそうな手紙』(2019年/アナ=ルイーザ・アゼヴェード監督、共同脚本、123分)が公開される。日本における南米映画の公開本数は少なく、なじみが薄いが、この風潮に風穴を開けられそうな1作である。宣伝のキャッチコピーは「人間、最後の最後までわからない。」であり、まさに、この言葉を地でいく作品だ。「最後までわからない」の意味は多様だが、中身では人生の滋味がきっちりと描かれている。

 
舞台はブラジル最南端のポルトアレグレ。南米の東海岸は大国のブラジルとアルゼンチンがメインで、この両国に挟まれる小国がウルグアイである。ほとんどの人がウルグアイ寄りの港町、ポルトアレグレの位置を知らないが、ヨーロッパ移民が多く、大都市とは異なるたたずまいを持つ、人口100万以上のブラジル10番目の都市で、海に面する美しい町だ。
この港町、欧州で活躍する天才サッカープレイヤー、ロナウジーニョの出身地であることでも知られる。

ビア(左)とエルネスト(右)    
(C)CASA DE CINEMA DE PORTO ALEGRE 2019 ※以下同様

隣人とのチェスのひと時

昔の恋人ルシアとの再会

犬の散歩のお手伝い

1人食事をするエルネスト

息子(左)とエルネスト

昔の写真に見入るエルネスト

マテ茶を準備するエルネスト

エルンストとは

 物語の主人公、78歳のエルネストは、もともとはウルグアイ出身であるものの、ポルトアレグレ市在住46年と、人生の大半をブラジルで過ごしている。
なぜ異郷暮らしなのかは作中説明されないが、1973年の軍部クーデターによる軍事政権の難を逃れるためのブラジルへの避難と思われる。それは軍部によるアカ狩りで、多くの知識人、左翼、学生が虐殺された事件であり、その間の事情は本紙の映画評論欄の『ムヒカ』(2020年4月6日号)に詳しい。
冒頭、エルネストの息子でサンパウロ在のラミロは、父親の住むアパルトマンを売りに出し、買い手を室内に案内する。エルネストは妻を失い、その後、ずっと1人暮らし。その父を見兼ねたラミロがサウパウロ住まいを勧め、そのための買い手案内である。
息子の心配に対し、父親は全く聞く耳を持たない。落ち着いた街並み、港町独特の気候の良さ、日常生活の不便さは全くなく、引っ越す理由はない。おまけに父親は生来の頑固者で、息子も彼にはほとほとあきれ、手の打ちようがない。築100年以上と、古びてはいるがしっかりした建造物で、わが国とは事情が違うようだ(もちろんブラジルには地震がないメリットもあるが)。 
  


1通のレター

 エルネストの強がり人生にも盲点はある。彼はほとんど視力を失い、文字が読めなくなっている。彼の隣人で、ブエノスアイレス出身のハビエルは、日常顔を突き合わす仲で、互いに冗談を言い、仲良く隣人付き合いをしている。彼も、エルネスト同様、アルゼンチンの軍事政権の左翼狩りで故国を追われてのポルトアレグレ暮らしらしい。この辺りも2人の馬の合うところのようだ。
いつものように、ハビエルが郵便物を届けに来るが、その中に女性文字の1通の手紙を発見、興味津々で「読んでやろうか」とからかう。しかし、頑固者のエルネストは拒否。彼のささやかな矜持(きょうじ)だ。この手紙が、本作『ぶあいそうな手紙』のメイン・ストリームとなる。



ビアとの出会い

 
老人ばかりの集団では、華やかさに欠ける。そこが作り手の思案のしどころで、23歳のブラジル娘ビアを登場させる。若く陽気で利発な彼女の存在が、瞬く間に作品を明るくする。そして、美人で大きく丸い瞳のビア役のガブリエラ・ポエステルは、ブラジルの期待の若手女優とされている。
ビアのショートヘアは、ゴダール監督の有名な作品『勝手にしやがれ』(1959年)に登場する、女主人公のジーン・セバークの髪形、セシルカットを思い起こさせる(ジーン・セバークは、57年の映画『悲しみよこんにちは』にヒロインのセシル役で出演。彼女のショートカットは「セシルカット」として流行した)。
エルネストは住居の玄関前で、犬を連れたビアとすれ違う。その時、犬が彼に飛びつき、テイクアウトの彼の夕食は台無し。彼女は彼に謝罪に来て、エルネストからお茶をご馳走される。これが2人の出会いである。
老人にとり若い娘とのご歓談、エルネストはご機嫌の様子。この利発な彼女、バイトで同じアパルトマンに住む老婦人の愛犬4匹の散歩係。フリーターで食べているようだ。
ビアは魅力的な娘だが、ちょっと手癖が悪く、鍵や小銭に手を出す。エルネストは最初、物があるべき場所にないことをいぶかり、ビアの「おいた」とすぐ見抜き、逆に札をわざと見えるところに置き、彼女を試す。そして彼女の手癖の悪さを百も承知で、手紙の代読を有料で頼み込む。ビアも彼の眼の悪さに気付き、協力を約束する。



ルシアからの手紙

 手紙の内容は、ウルグアイに住む旧友オラシオの妻ルシアから、夫の死去を伝えるものだった。やっと手紙の用件が分かり、ひと安心のエルネストだが、ルシアから愛情のこもる手紙を前に、「拝啓」と返事を書き出そうとすると、恋文には強い若い女性のビアは、固い文章に大反対。結局、「親愛なるルシア」と書き出し、「彼(オラシオ)は死とともに連れ去った/彼の人生の中で/二度と修復できない大切な一部を…」と続ける。
この名文ぶりにビアは思わず「美しい」と口走る。エルネストは、もともとは官邸の写真師であり、大変な文学青年で、有名作家の小説を口にし、うんちくを傾ける。さして教育があるとは思えないビアだが、エルネストの文学論、詩には結構ついていける。好奇心旺盛なのだ。
ルシアからは何通もの手紙が届くようになり、エルネストも心待ちにしている様子。決まった住居のないビアは悪い男に脅かされ、思わずエルネストに心情を吐く。「孤独を感じると、人は大事にされたいもの、例え一瞬でも」と。これが偽らぬビアの気持ちだろう。心にしみ入る言葉だ。
ある時、エルネストから空いている息子の部屋を提供されたビアは、夜中、エルネストのベッドに潜り込み、手紙を読もうと彼をせかし、一晩中掛けて1通の手紙を読む。その後、ビアのアドバイスによる返信はルシアを喜ばせ、ビアもご満悦。
ビアはエルネストが、なぜここまでルシアの手紙に執着するのか、興味津々の体でいろいろと質問を浴びせる。彼は、オラシオとルシアとは同窓で、それ以来の付き合い。やがてオラシオとルシアは結婚する。男性2人、女性1人の間柄ではよく起きることだが、どうも2人が結ばれ1人が余るケースのようだ。この場合はエルネストがルシアに言い出しかねて、悪いくじを引いたと想像できる。
老エルネストは、若き日を思い出し、ルシアの存在が日々に重くなる。そして、ウルグアイ行きを決意。長年の隣人ハビエルは老妻の突然死で、1人で死ぬのは嫌だと、あれほど忌み嫌っていたアルゼンチンに戻ることとなる。
旅立つエルネストを見送る宿無しのビアに、住居のカギを渡し「いつまでもここを使ってくれ」と言い残し去る。何とも粋な別れである。





人生の味わい

 
大変良くできた物語だ。老人の間を若いブラジル娘が、元気はつらつと飛び回る、心躍る光景だ。若いビアは素敵だが、エルネストを始めとする老優の存在感が、それ以上に素晴らしい、見事なアンサンブルである。
ひとコマひとコマが人生の一面を丁寧にすくい上げ、生きる良さをしみじみと味わせてくれる。見るべき1作だ。






(文中敬称略)

《了》

7月13日よりシネスイッチ銀座他にて全国順次ロードショー

映像新聞2020年7月13日掲載号より転載


中川洋吉・映画評論家