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『パリの調香師 しあわせの香りを探して』
嗅覚失った女性が香水業界で再起へ
粋で洒落ている心地良い作品に
貧乏な運転手との奇妙な関係

 香水をあまり嗜(たしな)まない日本人でも、「シャネル5番」くらいは耳にした覚えがあるはずだ。フランスと言えば香水を思い浮かべるほど、フランス人と香水の結びつきは強い。その香水を作る専門家を調香師と呼ぶ。その中の1人の女性を描くのが『パリの調香師 しあわせの香りを探して』(2019年/グレゴリー・マーニュ監督・脚本、フランス、101分)である。

  本作の主人公アンヌ・ヴァルベルグ(エマニュエル・ドゥヴォス)は、一時は名を馳(は)せた、鋭い鼻を持つ調香師である。このアンヌの役柄設定が興味深い。彼女は、以前ディオールの花形調香師であったが、香水を扱うものの命たる鼻が利かなくなり、今はフリーの立場である。
においを嗅ぐ力、嗅覚感覚は大変微妙で、体調不良やストレスで利かなくなり、多くの人々が香水の現場から離れる経緯がある。再起を目指すアンヌは、エージェントの女性ジャンヌへ再度香水作りを訴えるが、一度失った調香師の座を取り戻すのは難しい

アンヌ  (C) LES FILMS VELVET - FRANCE 3 CINEMA  ※以下同様

そりの合わぬアンヌ(左)とギヨーム(右)

ギヨームと娘

アンヌ

荷物を前のギヨーム

ディオール本社前の2人

医者(左)とアンヌ

海岸の父娘

人物の設定

 本作の面白さは、香水業界という、誰もが一度はのぞいてみたい世界を背景とし、設定される2人の男女のぶつかり合いであり、これが作品に弾みをつけている。
まず、主人公のアンヌだが、彼女の役どころがユニークである。彼女は、決して愛想が良く、フェロモンを振りまくタイプではない。一見、不愛想で、お高い調香師をエマニュエル・ドゥヴォスが演じるが、やることがチグハグで、その反面、アッケラカンと成り行き任せのところが面白い。彼女は性格の強い役柄に本領を発揮する。
元売れっ子調香師のアンヌは、多分、パリ16区か8区の高級住宅街の住人で、独身者。人とはなるべく話をせず、ひたすら香水の世界に没頭するタイプ。超売れっ子だっただけに、豪華住宅に住み、移動はハイヤーとなかなかの生活ぶり。
運転手のギヨーム(グレゴリー・モンテル)は、どこにでも居そうな実直そうなサラリーマンタイプ。まるで異なる世界の2人の出会いである。この2人の、時にケンカを交えてのギクシャクぶりがおかしい。
冒頭、10歳ぐらいの女の子を連れた中年男が自販機を揺らしている。男はギヨーム。お金のない失業者で、娘にスナック菓子を買ってやれない。
所変わり、裁判所の一室。ギヨームと元妻との離婚法廷で、親権を巡る対立となっている。裁判所側は、ギヨームが住む25平方bの小さなアパートでは娘の養育は無理と、親権は母親側へ。
貧乏なハイヤー運転手の彼は、翌朝事務所に出頭し、何とかその日の配車をしてもらう。そして、訪れた仕事先がアンヌ宅であり、建物のベルを押し「マダム…さんのお宅ですか」と尋ねれば、「マドモアゼル」と冷たく返答される。フランスでは未婚の女性はマドモアゼル、既婚者はマダムと呼ぶが、相手の既婚の有無が分からない時は、マダムの尊称で呼ぶのが無難な作法である。
「マドモアゼル」と言い直され、室内のたくさんの荷物を下まで下ろすことを命じられる。居丈高なアンヌの態度にムッとしながら、荷物をトランクに積め込む。現われた本人は、荷物を後部座席に移すよう命じ、自分は助手席に座る。今まで見たことのないハイヤーの客だ。
出発すれば「ヴァージニアのにおいがする」と言い出し、たばこは「ウィンストン」と当てる。そして「自分は禁煙だから」と、タバコを窓から外にポイ捨て、すべてがお高い、のだ。ここでムッとするのを我慢し、1日目は終わる。 
  


アルザス行き

 もうアンヌにはウンザリのギヨームだが、驚いたことに翌日、またアンヌからのご指名。彼女は「仲直りの仕事よ」とシレッと言う。
行先は北部のアルザス。なぜか、別のタクシーも呼ばれている。そのタクシーに荷物を運びこみ駅へ行き、高速鉄道に乗り込む2人。ギヨームはことの推移が分からず、ただ茫然。



物語のハイライト

 
アルザスの仕事もうまく行き、夕食の段になり、いつもは別々に食べる2人だが、その晩は初めての会食となる。
アンヌは無愛想にメニューを見て、下を向いたまま注文。それを見たギヨームは「においだけでは人間は分からい。髪を見て2語言えば」と提言。髪を見るとは相手を見ることで、2語は「ありがとう」(メルシー)と「どうぞ」(シル・ヴ・プレ)であり、今までアンヌが全く口にしない言葉である。
フランスにおいて日常使われる「メルシー」や「シル・ヴ・プレ」を全く使わず、アンヌが今まで生きてきたことが不思議としか言いようがない。彼の忠告でアンヌは小声で「メルシー」とウェイトレスに発するのであった。この2語の介在で、2人の気持ちは少しずつ近づき始める。



ギヨームの嗅覚

 以前よりも頻繁に話をする2人は、ある時、ギヨームに嗅覚の才能があることを見出し、においの問題を抱えるアンヌを助ける場面がしばしば登場する。まるで仕事仲間のように。
そして、会話の中でアンヌの全貌が明らかになる。彼女は4年前、あるメゾン(高級老舗店)の花形調香師であった。だが徐々に鼻が利かなくなり、メゾンの契約は破棄され、エージェントの紹介する高級ハンドバッグの異臭抜きや、工場から出る煙の悪臭の原因探しの仕事を任される。
鼻を使う仕事は香水だけでなく、日々の香料、日常の問題にも重要な役割を果すことが、彼女の行動から理解できる。しかし、アンヌは依然香水に執着している。また、彼女の仏頂面は人見知りのひどさから来ていることも分かる。




突然の入院

 仕事で疲れ果てたアンヌは、仕事帰りの車中で睡眠薬を服用し、仮眠をとる。しかし、仮眠どころではなく爆睡で、ギヨームは彼女を病院へ担ぎ込む。初めはただの睡眠薬のオーバードーズ(過剰摂取)と考えたが、どうも臭覚と関係がありそうと、かつて彼女を診察した医師に連絡し意見を求める。
結果は彼の予想どおりで、医師は「対処を誤ると嗅覚障害の再発あり」との見立てで、急きょ入院。医学的には鼻と脳が連携することを止めてしまう症状があり、アンヌにとっては一大事だ。
治療に専念し、徐々に正常な嗅覚を取り戻し始め、再び調香師の道へ戻れるめどがつく。この1件以来、アンヌはギヨームに忠告されたように2語を身に着け、人間関係も良好となる。




お仲間同士

 2人の距離は急速に縮まるが、ここで結ばれたら凡庸なラヴストーリーになるところだ。ここに作り手の知恵がある。2人はキスもせず、ファースト・ネームで呼び合わず、互いに励ますこともせずとも、一生の仲間、男友達、女友達として交遊を続ける予感をもたらす。この作りは粋だ。
アンヌ役のドゥヴォスは、ヌーヴェル・ヴァーグの後継者と言われるオリヴィエ・アサイアス作品のミューズである。今回は、口数が少なく、無愛想な女性の心の変わり様をうまく表現している。実直なギヨームと天才型のアンヌのコンビも生き生きしている。
このような男女の結び付きもありと思わす、味わいの作品に出来上がっている。粋で、シャレた、見て心地良い作品である。






(文中敬称略)

《了》

2021年1月15日より、Bunkamuraル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町にて全国順次ロードショー

映像新聞2021年1月4日掲載号より転載

 

中川洋吉・映画評論家