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『出櫃(カミングアウト)中国LGBTの叫び』
2組の同性愛者へのインタビューで構成
タブー視する社会と深い親子の情
親に真実を伝えて必死に説得

 中国の若手女性監督ボウ・マンマン(房満満)の短編ドキュメンタリー作品『出櫃(カミングアウト)中国LGBTの叫び』(2019年、日本/以下『カミングアウト』)は、中国社会からタブー視されるLGBT(性的マイノリティ)問題をインタビュー形式で描いている。カミングアウトとは、同性愛者であることの告白である。出櫃(しゅつひつ)とは、暗いところから外の世界へ出ることを意味する。

  現在の中国には、約7000万人の性的マイノリティが存在するとされる。生半可な数字ではない。その95%はカミングアウトをしていない。中国の人口抑制を狙った一人っ子政策(1979−2015年)の負の遺産ともいえる現象との指摘もある。しかし、この指摘、LGBTとの因果関係がいまひとつはっきりしない。

アンアンと母親  (C)テムジン  ※以下同様

グーと父親

アンアンとタンタン(パートナー)

グー

グーの父親

グーの母親の墓参り

「同性愛者親友会」の旗

作品の構成

 本作『カミングアウト』は54分と尺数こそ短いが、60分以上のいわゆる長編と比べ、内容的密度が濃く、長編と遜色(そんしょく)がない。作りは、2組の同性愛者へのインタビュー構成仕立てで、現代の中国社会の一面を反映している。
息子と父親、娘と母親の2組が主役である。息子はグー、娘はアンアンで、この2人が親を必死に説得するありさまが、まるでドラマを見るように展開される。相当な迫力と、素材の良さが目を見張らせる。しかし、2組は別々の家族で作中交差することはない。男性と女性の立場から、同性愛問題に立ち向かっている。 
  


中国の社会問題を追う

 監督のボウ・マンマンは、もともと中国人留学生で、留学後も日本にとどまり、ドキュメンタリー制作会社「テムジン」(NHKの『シルクロード』を手掛けた制作プロで、中国ものに特化〈ほかの作品も製作しているが〉し、同地に自社の特派員も置いている)の社員として、主にテレビ・ドキュメンタリー制作に携わっている。
本作はまさに、彼女にとり打って付けの企画と言える。彼女は1989年生まれで、今年32歳。既に中国国内問題である、政府と企業の癒着による環境汚染問題、教育現場におけるLGBTの人々の闘い、コロナ発生の地である武漢の実態などのドキュメンタリー作品を発表している。
彼女はバリバリの若手ドキュメンタリー作家であり、中国の社会問題を、日本という一歩引いた位置から観察し続けている、今後注目すべき存在と言えよう。



父と子の相克、グーのケース

 
今年28歳の若いグーは、LGBTの証言者である。痩身でなぜか片足を引きずり歩く彼は、真面目そうな容姿の持ち主である。
本作の舞台は、江蘇省(南西部の海に面した省。南京市などがある)で、監督、2人の主人公、グー、アンアンも同省出身。作品は、半年ぶりに帰省したグーが実家に戻る前に、2年前にガンで亡くなった母親の墓参りから始まる。
彼は、今度こそ父親にカミングアウトするつもりの帰省で、その決意を伝えるための、母親への墓参りであった。墓前で頭を地面に押し付けての拝礼は、グーの気持ちの表われであろう。中国式作法に、見る側は驚かされる。
実家に戻ると、伯母が6品の料理を作り彼を待っていた。広いアパートを見れば、彼が裕福な家庭出身であることが分かる。グーはカミングアウトを生前の母親に何度も伝えようとしたが果たせず、心残りであった。
いよいよ父親への直訴。実は、2年前にグーは父親の寝室の小机の引き出しにレターを置いたが読まれず、今回こそとのグーの強い気持ちが表われている。父親が注ぐワインを一気飲みし、ついに本番。口頭で言うよりはレターを読み上げる方が効果的と判断したのか、照れ隠しなのか判然としない。
今まで、グーの結婚話を口にしていた父親だが、思わぬカミングアウトで、顔色が変わる。まさに「息子がこのありさまなのか」の気分である。
彼は息子の発言を理解はするが、とても認められない心境である。そして、現在の中国でLGBTを受け入れる場がないと断言。2人の間に気まずい空気が流れる。息子の必死の言葉に、良い反応を見せない父親。これが中国の一般的風潮であることが嫌でも分かる。
中国の人口は14億人、7000万人のLGBTは確かにマイノリティである。この父子の対立が本作のハイライト場面である。しかし息子は、父親に本当の自分を受け入れ、自分の人生への参加を請う姿は感動的であり、底流に揺るぎない父子の愛情が流れていることは確かだ。



アンアンのケース

 次いで、カミングアウトの女性版が現われる。LGBTの娘アンアンと、母親の対立である。アンアンは32歳(撮影時)、19歳の時にカミングアウトしているが、母親は受け入れなかった。その時以来、2人は日常的には接点を持ち、毎日を送る。もちろん同性愛については、意識的に話題から遠ざけている。
アンアン自身、整った顔立ちの短髪で、がっちりした体格の持ち主。そのボーイッシュぶりがなかなか魅力的であり、現在は女性そのものであるタンタンと同棲中。その彼女はメイク・アーティストで、女っぽく、バランスのとれたカップルである。
アンアンは、幼いころ両親が離婚し、母親はいくつもの仕事を掛け持ちし、娘アンアンを育て上げた。そのため、この2人には同志的絆(きずな)があり、愛情が深い。しびれを切らしたアンアンの直談判が公園の一隅で展開される。メンツと世間体を気にする母親は、同性愛を絶対認めない。認めてもらいたいアンアンは仏頂面で、母親の話を聞いている。
2人の間の溝は深い。そこに中年婦人が割って入る。「同性愛者親友会」の組織の活動家で、アンアンの意をうけての介入である。中国には約50の同会の支部があり、LGBTの支援をしている。
「親友会」とは、ネーミングがいささかマンガ的だが、彼女、彼らにとり頼れる存在だ。中国では現在、彼らは「社会秩序を乱す」、「HIVになりやすい」と否定的な見方が圧倒的で、LGBTという理由だけで職場を追われる人々も少なくない。そのタブーにあえて挑戦する彼ら、この母子の対立シーンは、本作の第2のヤマ場であり、見応えがある。
もちろん、中国政府もメディアを統制し、マスコミや映画でもLGBTは取り上げられない。上映禁止、発刊禁止処分などのためである。
最終的には「親友会」の活動家の助太刀もあり、母親は「娘の同性愛の気持ちが変わらねば、自分は受け入れざると得ない」と、渋々娘の立場を認める。ただし、最後まで「どこかで男性を見つけて偽装の結婚式を挙げて欲しい。親類の手前もある」とメンツにこだわる。この辺りになると、もはや、お笑いの世界以外の何ものでもなく、当然、アンアンのカップルは拒否する。




終章

 男性グー、女性アンアンの悲痛な叫びの真意は、「本当の自分らしく生きる」の一点であり、これがいかに難しいかが、本作の伝えようとするところだ。また、中国社会の保守的傾向と、親子関係も見落とせない。親子の情の深さは、中国人の持つ資質であろう。
われわれ見る方も、日本でLGBT問題が起きたら(現実には起きている)、どう立ち向かうかを、ボウ監督は問いかけている。例え自身がLGBTでなくとも、見る価値のある1作である。





(文中敬称略)

《了》

1月23日から新宿K's cinemaにてロードショー

映像新聞2021年1月18日掲載号より転載

 

中川洋吉・映画評論家