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『けったいな町医者』/『痛くない死に方』
ドキュメンタリーとフィクション
在宅医・長尾和宏に関する2作品公開
末期患者を看取る医療に迫る

 兵庫県の尼崎在住、60代の医者が主人公の作品『けったいな町医者』(2020年)と『痛くない死に方』(19年)が、ほぼ同時に公開される。『けったいな町医者』はドキュメンタリー(毛利安孝監督・撮影・編集、116分)、『痛くない死に方』はフィクション(高橋伴明監督・脚本、長尾和宏原作、112分)である。1人の医師をドキュメンタリーとフィクションの両面から追う、医療と死の在り方を考えさせる傑作だ。

  この2作品の主人公である長尾和宏は、1958年生まれ、尼崎市在住の在宅医(訪問医)。1984年東京医科大学卒、大阪大学医学部第2内科に入局、1995年尼崎市で開業。以降、複数の医師とともに、年中無休の外来診療と在宅診療を続け、現在に至る。
2500人を看取った長尾和宏は『痛くない死に方』を実践する町医者で、ドキュメンタリー『けったいな町医者』では、その活動に密着取材している。『痛くない死に方』の主演と『けったいな町医者』のナレーションは柄本佑が務める。
本稿ではまず、ドキュメンタリー『けったいな町医者』から取り上げる。

『けったいな町医者』
尼崎繁華街を行く長尾医師  (C)「けったいな町医者」製作委員会  ※以下同様

診察中の長尾医師

1人紅白コンサートで絶唱の長尾医師

病院での会議

車中からの指示

患者との談笑



長尾医師独自の信念

 長尾医師は阪大医局勤務後、1995年の阪神・淡路大震災の時に、市民病院の勤務医を辞め、長尾クリニックを開設。彼は既存の大病院の終末期医療に疑問を持ち、これが独立の1つの動機となる。
入院すれば、患者は管(くだ)だらけとなり、苦しみ、逝く。この現状を彼は変えるべく実践を始める。患者が、食べて、笑い、そして最後を迎えることを理想とし、モットーは「病気は歩くだけで治る」。裏を返せば、点滴や投薬は、病気を昂進(こうしん)させるだけであり、患者の看取りには何の役に立たぬ、とするのが彼の立場である。
それは、従来の医学を180度展開させるものだ。例えば、末期ガン患者を管ぐるみにし、点滴、投薬を施しても症状は良くならぬと、長尾医師は断言する。その理由は明快で、胃の腑にストンと落ちる。
ガンのエネルギー源は酸素である。そして、点滴のブドウ糖はガンの栄養源となる。治るはずのガンも、これでは逆にガンに養分を与え増殖させ、病気の進行を早める。よって彼は管や点滴を取り払い、自然に任す。
また、腹水がたまる場合でも彼は水を抜かない。それが逆に水分補給となるという。そして点滴をやめ、苦しまずに、枯れるように逝く。これが長尾流で、投薬による弊害の拒否である。彼は「枯れるように逝くこと」を理想とし、病院と製薬会社による薬漬けを、口を極めて非難する。
これまでの治療は、ガンに栄養を与え、患者を苦しませ、死なすことなのだ。例えば、従来どおりの薬漬けの治療では、患者に嘔吐(おうと)、意識障害が顕著となり、より一層、患者を苦しめている。この実情は、多くの患者を看取った彼にとり、耐えられぬことである。 
  


平穏な死

 人間には、仏教でいう「生老病死」(四苦)が付きものであり、永遠の生命はこの世には存在しない。死を受け入れるにあたり、痛みがなく安らかに眠ることが望まれる。
長尾医師が考える「平穏死の5つの要件」の1つに「最期を迎える場所が『患者本人の希望する場所』であること」がある。長尾医師の在宅患者は管もなく自宅で亡くなる。病院から自宅へ戻った彼の患者たちは、よくしゃべり、笑い、食べ、歩き、そして、この世に別れを告げる。
彼は、患者の生活環境を把握し、より一層、患者に近づくことを心掛けている。そして、患者は枯れるように亡くなる。死に際して、彼は「おめでとう」と、祝福する。
話は飛ぶが、ギリシャの巨匠、テオ・アンゲロプロス監督作品の中で、革命の同志との最後の別れの場で、生き残った仲間たちは拍手をもって友人を送り出す場面がある。「おめでとう」と同様の趣旨であろう。長尾医師には一般医師の持つ「死は敗北」との観念はない。



『痛くない死に方』
患者を看取る河田医師  (C)「痛くない死に方」製作委員会  ※以下同様

最後の花見見物、左寄り、余、柄本、宇崎、大谷

父の看病の智美

本多(右)と河田医師(左)

先輩医師・長野

父を見守る智美

診察中の長野医師

若い医者の苦悩

 
もう1本のフィクション『痛くない死に方』は、経験の少ない在宅医・河田仁が、末期ガン患者を苦しみ続け死なせた自分の未熟さを恥じ、先輩医師から自然死を学ぶ物語である。若い医者の苦悩が良く出ており、拙稿で触れた、『心の傷を癒(いや)すということ』(1月25日号掲載)を彷彿(ほうふつ)させる。
この主人公の河田仁役には、『心の傷を癒(いや)すということ』で主演した柄本佑を起用。医者モノに立て続けに出演し、俳優として、随分伸びた感がある。
新米の在宅医、河田仁は遅くまで患者回りをし、疲れ切った彼にとり、朝の目覚ましベルがつらい。急患の電話が入るが、なかなか起きられない彼、隣の妻が憎々しげに「早く起きなさい。楽だと思って在宅医になったんでしょう」とかわいげのない言葉を口にする。
若い夫婦の関係は完全に破綻している。この辺りの、アクの強い人間の描き方は、高橋伴明監督の演出方法で、彼の作品の面白さだ。彼は強い表現を前面に押し出すタイプで、これが彼の作品を見る楽しみだ。
車で担当の患者宅を訪れると、先の短い、死に体の父親を娘の智美(坂井真紀)が1人奮闘し看病している。サラリーマンの夫は彼女に声を掛けるだけで、助け舟は出さない。ここに、日本の男性の介護の在り方が描かれ、これも高橋監督の狙いと考えられる。
手術・検査を拒否する父親は、異常に暑がり、浴衣の胸をはだけ、紙おむつ1つの痩せこけた肢体は正視に堪えない。高橋監督のアクの強い演出がここでも見られる。
その患者は、最期まで苦しみ抜き他界する。河田医師は自己の未熟さで、人ひとり死なせた自責の念に苛(さいな)まれても、胸の内は「クレームが来なければいいのだが」と往生際が悪い。
ここで登場するのが、先輩医師で在宅治療の経験豊富な長野浩平医師(奥田瑛二/モデルは長尾和宏医師)。彼からいろいろとアドバイスを受け、河田医師は青天の霹靂(へきれき)の面持ち。今までの常識を覆すことばかりだ。長野医師は、点滴と投薬はガンに餌を与えるようなものであり、腹水な抜かないこと、モルヒネの正しい使い方をアドバイスする。
何よりも彼を驚かせたのは、患者との密な関係を作り上げるための会話の多さである。モニターの画像ばかり見て、患者の顔をロクに見ない医師の多い中、先輩、長野医師のアドバイスは新鮮なことばかりであった。これを機に、彼はモデルたる長尾クリニックの一員となり、痛くない死、苦しまない医療を目指す。
全体の話の流れとしては、1人の若い医師の成長物語で、その要(かなめ)に長尾和宏を持ってきている。医学界では異端とみなされる長尾流を知るため、そして、安らかに死ぬことを考える上で貴重な1作だ。
長尾和宏個人を知る上では、ドキュメンタリー『けったいな町医者』が秀(すぐ)れ、異能の町医者を知る上での参考になる。ラストの1人紅白コンサート、大勢の関係者が聞く中、茶髪のかつらを被り、舞台で1人カラオケを絶唱する姿は、彼の熱意と旺盛なサービス精神によるもので、楽しく、おかしい。しかし、ここまで患者や家族のために体を張る彼の姿に涙がこぼれそうになる。
1人の医者が一人前になる様子を描くフィクション『痛くない死に方』は、より人間性に富み、医者と患者の関係に焦点を当て、心が和む(もちろん、厳しい面もあるが)。ラストに歌手・作曲家でもある宇崎竜童扮(ふん)する患者、本多との掛け合いは、長尾医師が唱える「人間笑って毎日を送る」ことの重要さの表れだ。その本多が死に際に一言「先生、あの世とは良いとこらしいね。誰も帰ってこないしね」には笑わされる。
死ぬことは、矛盾するようだが生きることであり、このことを映画は、ドキュメンタリー、フィクションの2段構えで伝える。




(文中敬称略)

《了》

『けったいな町医者』2月13日からシネスイッチ銀座ほかで全国順次公開
 
『痛くない死に方』2月20日からシネスイッチ銀座ほかで全国順次公開


映像新聞2021年2月8日掲載号より転載

 

中川洋吉・映画評論家