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『夏時間』
韓国の新人女性監督による見るべき1本
少女の視点から描く家族との関係
平凡な日々を穏やかに追う

 韓国から新人女性監督作品『夏時間』(2019年/ユン・ダンビ監督、105分)がやってくる。現在、勢いのある韓国映画にあり、『夏時間』も良く出できた1作だ。強い人間の直情径行的な生き様を描くことを得意とする同国作品の多い中で、流れるような異なるリズムを持つ本作は、見るべき1本(あるいは金を払って見る価値のある作品)であることは間違いない。

姉(右)と弟  (C)2019 ONU FILM, ALL RIGHTS RESERVED  ※以下同様

)姉(左)とボーイフレンド

庭で、祖父と野菜摘み

夏時間の夕景

勉強中の姉

祖父の誕生日、弟の珍ダンス(右)

暑い夏の夜の就寝

窓の外を眺める姉

お引っ越し

 家具もほとんどない家の中には、高校生らしい姉のオクジュ(チェ・ジョンウン)が、名残惜しそうにたたずんでいる。一家のお引っ越しである。父親の「もう行くぞ」の一言で、家族はいっぱいの荷物とともにミニバンに乗り込む。弟のドンジュ(パク・スンジュン)は、お気に入りの動物の縫いぐるみ(枕代わり)を首に巻いている。
一家は都会の自宅から緑豊かな、田舎の祖父の家へと向かう。父親ビョンギ(ヤン・フンジュ、『ファッションキング』出演)は、祖父ヨンムクに断りなしの押し掛けである。独居老人の祖父にとり絶好の同居人で、話し相手であり、彼らの突然の転居にも嫌な顔ひとつしない。 
  


新居

 祖父宅は、丘の上り口にある塀に囲まれた立派な住まいである。庭はさまざまな果物や野菜を栽培するほどの広さで、今までの都会の住まいとは大違い。窓を開ければ陽が燦燦(さんさん)と射す広い居間、2階の窓際に置かれた古びたミシン、日本の昭和を思い起こさせる懐かしさがある。
ゆったりと空気の流れる台湾映画や巨匠ホウ・シャオシェンを思わす悠長なリズムが満ちあふれ、夏の夕暮れの気だるさが伝わってくる。韓国映画らしからぬ描写だが、ここに同国人の新人女性監督(31歳)の感性が、見る者の心をゆったりと包み込む安らぎがある。
監督インタビューによれば、ロケに使う住まいがなかなか見つからず、仁川(インチョン)近くの古民家をやっと探したとのこと。ひと昔前の韓国風の趣がある。ちょっと、立派過ぎる感もするが。



家族

 
この一家には、母親の姿が見えない。それについての説明は省かれている。以前拙稿でも触れたが、韓国の映画学徒の多くがホン・サンス監督(作品『逃げた女』〔2020年〕、第70回ベルリン国際映画祭最優秀監督賞)かぶれだ。
彼の作品は起伏の少ない淡々とした話運び、そして最小限の説明で、若い世代にとっては、受け入れやすいのかもしれぬ。しかし、作り手の意図がつかみかねることもあり、「一体、何が言いたいのか」と考えてしまうこともある。
一家の長女オクジュは、背が高く、一重まぶたの端正なルックスの少女といった風情だ。彼女は監督が1枚の写真から見つけ、主役に大抜擢した。むしろ、キャストの中で一番著名なのは、弟ドンジュ役のパク・スンジュンであろう。日本でも人気の韓国ドラマ『愛の不時着』の天才子役である。天衣無縫な彼の存在には笑わされる。
祖父の誕生日祝いにオクジュはプレゼントを用意したが、気の回らぬドンジュは何もなし。そこで、思いついたのが珍妙なダンス。長めのパンツを肩まで上げ、でたらめな振りで踊る即興ダンス。これが珍品で大受けである。彼の勘の良さは並みではない。



父親・ビョンギ

 祖父は老齢で、ほとんど口をきかず、黙ってソファの定位置に座り、孫たちを眺めるだけ。一家の支柱は、押し掛け組の父親ビョンギである。定職を持たず、テキ屋の使い走りのような仕事で口に糊(のり)をし、何とか家族を食わしている。
ミニバンに運動靴を積み、路上での販売で、フーテンの寅さんのタンカ売りと変わらぬ。この運動ぐつ、一流メーカーものの箱に入っているが、どうやら偽物らしい。
そして現在は、生地屋がもうかりそうとばかりに、生地の販売に興味津々である。どうも、腰の定まらぬ、いい加減親父で、都会の家からの引っ越しも、商売の失敗らしいことが分かる。
本人は至って気の良い人物で、子供たちに昔の失敗談を語って聞かせる良き父親である。また、重機の検定試験を狙い、大汗をかきながらの受験勉強だが、さっぱり頭に入らない様子。


叔母の転がり込み

 一家以外に、亭主持ちの叔母が祖父宅に単身転がり込む。夫婦げんかが原因らしい。この女性、夜中に酔っ払って帰宅したり、オクジュに「恋は、たくさんしろ」とけしかけたりする。何か、昔の大女優、杉村春子が周囲の若い女優たちに「恋をしろ」とけしかけた逸話を彷彿させる。
叔母は気の強い、奔放な性格らしい。夜中に訪ねてきた亭主を大声で退散させ、翌朝、玄関に塩をまくほど、夫婦間はこじれている。



相続

 明日も分からぬ老人を抱える家族が思うことは1つ。家・財産の相続である。この家族にとり、隠居老人が残すものと言えば、大きな家である。祖父が入院し、父、叔母は早速動き出す。仕事の資金が欲しい父親、お金で新しい人生を求める叔母と、それぞれ思惑を秘めている。
そして葬式。家の処分に対し「死んですぐに家を売るなんて」とオクジュが猛反対する。そこに、夫に愛想を尽かし家族から去った母親が顔を出し、母恋しのドンジュを喜ばす。しかし、彼女は式後、足早に姿を消す。元の家族に戻った一家だが、日常は何事もないように、いつものように過ぎていく。


小風景の積み上げ

 全体に平坦な物語であるが、ダンビ監督は、小風景を重ね描き出す手法を取っている。韓国的なもの、古き良きもの、家族の絆(きずな)を柔らかくすくい上げている。
夏時間とは「ある一家の家族誌」である。平凡な普通の日々を穏やかに追うことで、作品は成り立っている。そのゆったりとした空気の流れが、いつもの生活を写し出し、普通の日常の良さを、見る者にかみしめさせる。
古い民家、緑いっぱいの庭の草木、すべてが懐かしい。そこに、日本の歌謡曲に似た主題歌『未練』が、我が身を重ね合わせるように流れる。
《何かひきつけられるそこに、恋しくたまらない人がいる。今はもう会えない。コスモスの道を歩きながら物思いにふける、悲しみにくれるわが心》―と。
当り前の日常の良さが前面に広がる。そして、失った恋を嘆く失恋の歌『未練』が、全体の雰囲気作りに貢献している。
多少レトロ気分のすべてが現実なのだ。日常の小風景、父親の小商い、祖父の老人ホーム送りと葬式、母親の出現などが、夏の気だるい時間に吸収される心地良さ。その染みわたるような日常の思い出が、すべてを包み込む。
このおおらかさ、いま一度、人生を振り返らせる。人と日常の豊かなかかわり合いこそ、本作の持ち味だ。「これがもう1つの韓国」とする、若い女性監督の視点が貫かれている。



(文中敬称略)

《了》

2月27日から渋谷ユーロスペースでロードショー、全国順次公開

映像新聞2021年2月22日掲載号より転載

 

中川洋吉・映画評論家