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『ミナリ』
在米韓国人移民の日常を描く
異国での現実的な生き方の一端
緑に囲まれた新天地で農業を始めた家族 |
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米国の韓国移民の生活を描く、ヒューマン・ドラマ『ミナリ』(2020年/リー・アイザック・チョン監督・脚本、米国、116分)は、世界中に散る韓国人の生き様の一端を描く作品だ。米国映画で、舞台は米国、監督を除くキャストの多くは韓国人と、あまり見ない素材である。日本人移民ものとは一味も二味も違う感触が、作品の特徴となっている。
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父(右)と息子 (C)2020 A24 DISTRIBUTION,LLC All Rights Reserved. ※以下同様
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新しい土地での家族
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祖母(右)と
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姉弟
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母と子供たち
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物語の中心は、韓国人の4人家族、後にソウルから祖母が一家に加わる。何の変哲もない家族で、中年に差し掛かった夫ジェイコブ(スティーヴン・ユアン)と妻モニカ(ハイ・イェリ)は、ほぼ同年代。長女アンは学校に通い、末っ子のデビッドは未だ親の手のかかる年ごろ。
彼らは、新天地に来る前は、10年間カリフォルニアで孵卵(ふらん)場に勤務して、ヒナの性別を見分ける仕事をし、豊かではないがそれなりに安定した生活を送っていた。問題は、亭主のジェイコブが、ヒヨコのケツを見ることに飽き飽きし、農業で一旗揚げることを1人で考えつき、一家は農地を求めて旅に出る。
いわゆる、どこにでもある「男のロマン」というヤツで、何の相談もなしの農民への転身に女房はブンムクレ。よくある話だ。この思い付きにも似た「男のロマン」、大体、具体性がなく、夫婦げんかの因となる。
妻モニカの運転する車で、カリフォルニアから遠い、南部のアーカンソー州に到着。家族の反応はさまざまだ。米国の農業州と言われ、貧乏州ともされている同地は、農業がメイン産業で、カリフォルニアのような都会の趣はまるでなし。よく言えば自然あふれる大地、悪く言えば、ド田舎といったところ。クリントン元大統領も同地の知事を務め、小売販売の大手ウォルマートの本社所在地でもある。
とにかく、緑に囲まれたアーカンソー州、面積は北海道の1.6倍と、とてつもない広大さを誇り、四季があり、農業にとり絶好の地である。都会育ちの2人姉弟は興味津々、新しい冒険の始まりだ。一家を支えるジェイコブはご満悦の態。土を手にとり、ここの土地は肥えていると、目を細める。
モニカが一軒家と思っていた住居は、古ぼけたトレーラーハウスで、鉄道の車輌の長さほどもある。道路事情からして、日本ではこの長さで公道を走ることなど不可能だ。
カリフォルニアへの愛着の強いモニカは、大はしゃぎの子供や夫と異なり、こんな場所に来たいわけではなかったと、不機嫌な表情。周りは畑だらけで、隣人の姿が見えない環境。「私がこの土地に満足するとでも思っているの」と言いたげだ。その揚句、「話が違う」とすごい剣幕。「カリフォルニアでのヒナの選別で10年間貯めた貯金はどうしたの」と夫に詰め寄る。
女性には勝ち論法の1つとして、昔のことを持ち出す奥の手があるが、まさに絵に描いたような展開だ。タジタジのジェイコブは「長男の俺は、今までの稼ぎは実家のため」と反論。最初から調子の悪い出だしだ。
この大げんかのせいもあり、モニカは「あんたが実家の面倒を持ち出すなら、私だって、母親をソウルから呼んでみせる」と対抗する。そして数日後に母親はやって来る。
米国の慣習的なイメージとして、枯れた心優しい老婆が孫たちにクッキーを焼くことが、祖父母、孫たちとの麗しき良き関係を現わすイメージとして定着しているようだ。
祖母スンジャ役のユン・ヨジョンは今年74歳の、韓国では長いキャリアを誇る女優として知られる。世間好きで、いささかやり過ぎの老婆役は、彼女に打って付けである。
この祖母スンジャ、炊事はまるで駄目、家事もあまりできない様子。得意なことは、日本製(おそらく任天堂製品か)花札遊びで、孫たちを仲間に入れ、「クソ、畜生」と子供に聞かせられない言葉を連発する。大変なお婆さんだが、劇中、彼女の登場する場面の1つが大きなヤマ場となる。
最初は、祖母スンジャを「臭い」と嫌がっていたデビッドも、段々と打ち解ける。ところが、悪ガキの彼、とんでもないイタズラをし、彼女を激怒させる。何とデビットは、水と偽り小便を祖母に飲ませるのだ。
おばあちゃんの一大事とばかりに両親が駆け付け、デビッドのお仕置きと相成る。父親の子供に対する折檻(せっかん)が独特で、たぶん純然たる韓国風のようだ。父親は幼い息子を叱りつけ、棒を持ってくるよう命じる。
デビッドは機転の利く子供で、細い枝を持ってくる。ぶたれても痛くない細い棒を持ってくるあたり、このチビッ子なかなかの知能犯だ。この間、祖母はその場を何とかとりなし、お仕置きに到らずに済む。
とんでもないものを飲ませたはずのデビッドは、その後、祖母とも打ち解け、2人で散歩を楽しんだりする。ある時、祖母はデビッドを連れ出し、森の奥の茂みへ行く。そこは泉のある湿地帯で、彼女は「ミナリ」(韓国語で香味野菜のセリ)を植え付ける。
「ミナリ」は、韓国人の好物の野菜の1つで、キムチ、チゲ、汁物に入れ食べるもの。
多分「ミナリ」抜きのキムチは、韓国人にとり考えられぬもののようだ。
米国人はこの「ミナリ」を食べないが、栽培が成功すれば、在米韓国人移民への売り込みが狙える。今では、海外における日本食材でミョウガ以外、手に入らないものはほとんどないが、1980年代「ミナリ」も米国の韓国人にとり、手に入りにくかった食材にちがいなかったはずだ。
祖母がソウルから持参した「ミナリ」が、一家の柱たるジェイコブの新しいビジネスチャンスとなる。
隣人たちが皆無のジェイコブ一家に、1人の中年白人男性ポールが雇われる。実直な彼には多分に宗教への思い入れが過度の趣がある。善良で独身らしい彼は、時々奇行に走る。
例えば、安息日に教会へ行く道すがら、ジェイコブ一家は、大きな木製の十字架を担ぎ、田舎道を歩くポールの姿を見つける。彼の宗教の求道的精神の表れが、アナクロの匂いもする。それを大真面目でやる彼も少しおかしい。また、野菜畑での苗の植え込みで、真剣に悪魔祓いをやって見せる。これもおかしい。
農業を背景とする平坦なファミリー物語で、祖母、ポールのような人物がアクをまぶす、演出的意図が見える。
本作の狙いは、米国社会での移民の受け入れられ方を描くところにある。ここで、米国生まれの韓国人監督は、彼ら特有の人間関係の濃さや、熱量の強い韓国人像を極力抑えることに注力している。割と普通の人に近く、激しさを見せない描き方をして、裕福な白人、貧しい有色系のアジア人移民労働者の比較は、極力避けている。(もちろん、マイノリティとしてのヒスパニック、黒人の存在はある)。
実際に、米国を動かし権力を握るのは白人という大原則は崩さず、有色人移民の1つの生き方が描かれ、そこが現実的であることを穏やかに伝える。冒頭の引っ越しに際しての激しい夫婦の口論の場面もあったが。
いわゆるファミリーものに属する作品で、在米移民たちの生き様が、ゆったりしたリズムで語られる。われわれ日本人には、あまり知られていない在米韓国移民の姿を知る上で、目新しく映る作品だ。
(文中敬称略)
《了》
3月19日からTOHOシネマズ等で全国順次公開
映像新聞2021年3月22日掲載号より転載
中川洋吉・映画評論家
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