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『サンマデモクラシー』
沖縄本土復帰前の知られざるエピソード
民主主義を巡る闘いが構成の骨子
1人の女性が米軍相手に裁判

 1972年の沖縄本土復帰前、住民の民主主義獲得の知られざるエピソード「サンマ裁判」を扱うドキュメンタリー映画が『サンマデモクラシー』(2021年/監督・プロデューサー 山里孫存、沖縄テレビ放送製作〔TBS系列〕、99分)である。当時のドキュメンタリー映像を多用し、沖縄の歴史秘話などを得意とする、「うちな〜噺家 志ぃさー」(以下、志ぃさー)がナビゲーターとして物語を引っ張る手法を採っている。

うちな〜噺家 志ぃさー(ナビゲーター)  (C)沖縄テレビ放送  ※以下同様

3人の主要人物、玉城ウシ(右)、下里恵良(中)、瀬長亀次郎(左)

キャラウェー高等弁務官

玉城ウシ

下里恵良

瀬長亀次郎

下里恵良と談笑する瀬長亀次郎

沖縄の戦争犠牲

 太平洋戦争で沖縄は、本土防衛の捨て石のように、圧倒的な武力を誇る米軍と対峙させられる。米軍は1945年3月26日に慶良間諸島、4月1日に沖縄本島に上陸すると同時に、日本の行政権と司法権の停止、そして占領の開始を宣言する「ニミッツ布告」を発令する。
米軍は上陸後、日本軍と地上戦を繰り広げ、多くの沖縄住民が犠牲になった。310万人の死者のうち9割が1944年以降とされ、もっと早く日本政府、軍が敗戦を受け入れれば、犠牲者を出さずに済んだはずだ。
その上、沖縄戦では、住民を守るはずの日本軍が逆に彼らを虐殺した。その事実は、三上智恵・大矢英代共同監督の労作ドキュメンタリー『沖縄スパイ戦史』(2018年)に詳しい。 
  


米軍統治

 当時の沖縄の政治状況を知る上で、政治体制の構造を述べる。この戦争で生き残った住民のほとんどは、米軍が各地に設置した民間人収容所に入れられる。米国統治は、本土復帰の1972年まで、27年間の長きにわたった。
1952年、「サンフランシスコ講和条約」が発効、日本は主権を回復した。だが、沖縄は引き続き米国の施政権下になり、米軍部が沖縄に設置した琉球列島米国民政府(USCAR)の下部組織として、琉球政府が設立された。権力支配の二重構造である。
琉球政府は、全琉球統一機構として設置され、司法、立法、行政機能を備えた組織である。しかし、米国民政府は琉球政府の上に位置し、沖縄政府の決定を破棄できる特別な権限を有し、沖縄自体の自治権は、当然ながら制限された。



サンマ裁判とその概要

 
1人の沖縄女性、玉城ウシ(1899−1980)が、サンマに掛ける税金は不当なものとし、1963年に訴訟を起こした。南国の沖縄と、寒い地方で獲れるサンマは場違いの感がある。もともとサンマはマグロの餌であった。それを、戦後の食糧難の時代に、安価で手ごろな食材として目をつけられ、冷凍した魚が住民の食卓にも上るようになる。
戦後の沖縄では、男性は戦争に動員されたため、女性が労働の中心となり、復興に大きな役割を果した。頭にカゴを乗せ、商品を運搬するのが女性たちで、彼女たちが荒廃した沖縄の食卓を支えた。そのカゴの中にサンマも入っていた。
訴訟を起こした"ウシおばぁ"は魚卸商の娘で、冷凍サンマを頭に乗せ運んだ1人。彼女は沖縄一の漁師町、糸満に生まれ、幼いころから母親に仕込まれ、魚屋となる。後に、那覇に進出し、商売を拡大。彼女の冷凍サンマの輸入量は、当時の沖縄全土の15%を占めた豪商である。ウシ自身も肝っ玉おっかぁと呼べる豪快な人物と伝えられている。
ウシおばぁが活躍した「サンマ裁判」は60年前の話で、沖縄ではほとんど知られておらず、沖縄生まれの山里孫存監督も友人から聞くまで知らなかったとのことだ。
脱線になるが、筆者は本稿の資料探しのために、東京・有楽町の大手本屋に出向いた。米国統治下の沖縄について、日本史年表など何冊も見たが全くと言っていいほど記述がなかった。これは、米軍統治下の沖縄への関心の薄さを表わしている感がある。



高等弁務官に刃向かうウシおばぁ

 このウシおばぁが起こす裁判には前段がある。1961年、琉球政府の議会に当たる立法院で、ある与党の政治家の質問が発端となる。質問したのは、口八丁手八丁の地元の弁護士でもある下里恵良で、大口を叩くことで有名な彼は「下里ラッパ」と呼ばれていた。
下里恵良は「本土同様に沖縄でも庶民の味として親しまれているサンマに、関税をかけるのは違法だ」と立法院で質問し、これがサンマ裁判のきっかけとなる。
当時、沖縄は米軍統治下であり、本土からの輸入品に対し関税をかけていた。何とも沖縄住民を馬鹿にしきった話である。だが、その魚類輸入関税リストにサンマは入っておらず、「関税をかけるのはおかしい」と下里恵良はかみつく。
この関税リストは、統治国の長たる第3代高等弁務官キャラウェイの布令によるもので、最も強硬な直接統治で有名な彼は、本土復帰を熱望する沖縄住民に対し、「自治は神話」であると発言したことでも知られている。
彼は、米国の民主主義は米国人のためにしか存在しないことを知らしめた人物である。琉球政府への圧力として、立法院で成立された法案を次々と闇に葬る強権政治を押し通した。



ウシおばぁと下里恵良

 ウシおばぁの裁判で原告側の弁護士は下里恵良であり、「下里ラッパ」と言われる彼は保守党の大物政治家である。この彼は、米国の高等弁務官に正面から闘いを挑んだ左派の政治家、瀬長亀次郎とは左右の立場を越えた、盟友同志と不思議な縁でつながる。
裁判は、米軍側も虚を突かれた形で、ウシおばぁの勝訴となる。還付額は46900j(当時のレートで約7000万円)と巨額である。



沖縄の民主主義を巡る闘い

 ウシおばぁ、下里恵良、そして本作では、米軍が最も恐れた政治家瀬長亀次郎(通称カメジロー)の当時を再現する数々の映像が挿入される。特に印象的な場面は、体を張って闘いを挑む「カメジロー」の姿である。
彼が立法院の議員時代、米国の統治下の議員たちは、米国への忠誠の宣誓を求められ、彼らは全員立ち上がり賛意を表わすが、最後尾の小柄な1人の人物だけが座ったままで、宣誓を拒否する。彼こそカメジローである。
その後、彼は沖縄民衆の反骨のヒーローとなり、絶大な人気を博す。この彼を描いた『米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー』(2017年/佐古忠彦監督)に詳しい。
小柄で、ほおがくぼみ、眼光鋭いカメジロー、ウシおばぁ、そして下里恵良と、気骨溢れる人物が米国に立ち向かい、自治権をかけて闘った。彼らの闘いが、構成の骨子となっている。
また、海岸での野天高座で一部始終を語る落語家、志ぃさーの名調子が作品を盛り上げ、資料の少なさを補っている。
人々には忘れ去られた60年前のサンマ裁判、生存者もほとんどおらず、作品製作には多大な苦心があっただろう。
このドキュメンタリー作品は、沖縄米軍統治時代(本土復帰まで)の過程を描き出し、取り上げる人物像も興味深い。沖縄を知る上で、貴重な1作である。





(文中敬称略)

《了》

7月3日より沖縄・桜坂劇場にて先行公開
7月17日 ポレポレ東中野ほか全国順次公開

映像新聞2021年6月28日掲載号より転載

 

中川洋吉・映画評論家