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『太陽の子』
実話を基に描く「日本の原爆開発」
若い研究者が戦争に向き合う姿
時代に翻弄される青春群像劇

 戦時中の京都大学物理学教室における、原子核爆弾(原爆)開発に取り組む一研究学徒と、彼の周辺を取り巻く人々を描く『太陽の子』(2021年/黒崎博監督・脚本、111分)が公開される。若い研究者、石村修(柳楽優弥)の青春を背景とし、否定せねばならぬ戦争にいかに向き合うかを、日本人全体の問題として問い掛ける。
 
太平洋戦争末期、1944年9月の京都が舞台で、物理学徒修の研究室と彼の家庭を中心に物語は展開される。
海軍は、日本物理学の第一人者、荒勝文策教授(国村隼)の京都大学物理学教室に原爆開発を命じる。もちろん密命で。この教室では10人余りの研究者が研究委託に没頭する。原爆を開発すれば「歴史に名を刻まれる」との一念で、この研究は極秘に始められる。
元はといえば、アインシュタイン理論を具現化することであるが、一方で世界を滅ぼしかねない恐れを持ち合わせている、この諸刃の剣のような危険性をはらむ原子力の開発。研究者たちはその矛盾に対峙せねばならない。

石村修(左)、朝倉世津(中)、石村裕之 
(C)2021 ELEVEN ARTS STUDIOS / 「太陽の子」フィルムパートナーズ  ※以下同様

研究室の修

海辺の3人

自宅に戻る裕之

出征前、裕之(右)、母(左)

研究室の荒勝教授(左)

討議中の研究室

出征する弟を見送る家族と世津

ウラン原材料探し

 冒頭シーンで、主人公・修が大きなリュックを背負い、清水寺方向へ上っていく。そして、一軒の家の前に立つ。中は真っ暗、ただ炉の火が燃え盛っている。陶芸工房である。
1人の不愛想な老人が「また来たか」との表情で、紙に包まれたビンを10本くらい渡す。中身は黄色い粉末で、陶芸用の色付け原料である硝酸ウランだ。これを研究室に持ち帰り、遠心分離器で1%にも満たないウランを取り出し、核分裂を調べる。
海軍の密命の研究でありながら、肝心のウランは提供されず、修が伝手を求め、入手した貴重な原材料である。ただ命令を下すだけの軍の体質、補給体制を無視するインパール作戦(1944年、死者3万人)と酷似している。国民の命を大事にしない政治風土は、現在のコロナ禍までつながっていると思わざると得ない。研究室では、このわずかなウランを「未来を作る」ものとして各人が研究に励む。 
  


石村家

 修の家庭は、大きな邸宅で母親フミ(田中裕子)との2人暮らし。父親は既に無く、弟の裕之(三浦春馬=大変な美男子だが美形すぎ、全体の中では浮いて見える。ここが美男子起用の泣きどころ/昨年7月に自死)は、軍人だった父親の跡を継ぎ出征中。どうも特攻隊らしい。
その一家に、幼なじみの朝倉世津(有村架純)と祖父が離れに同居する。祖父雄三に扮(ふん)するのが、映画監督の山本晋也(ナンセンス・ピンクで名を馳(は)せ、彼の『未亡人下宿』シリーズ〈1975~76年〉は、あまりのばかばかしさに、笑うよりほかない珍品中の珍品)。若い世津の存在で一家はぐんと明るくなる。彼らは修・裕之兄弟とは幼少のころからの遊び仲間で、世津は修のお嫁さんと目されていたようだ。
この彼女、勤労動員で工場に駆り出され、モンペに日の丸入りの白いハチマキと、精神主義を鼓舞するいで立ち。なんとも滑稽(こっけい)だが、一億総洗脳の時節柄、笑うこともできない。この精神主義を振りかざす指導者の下で、300万人の命を失った事実、暗たんたる気持ちにならざるを得ない。



研究に対するそれぞれの反応

 
研究室の内部でも若手の学生たちの間には、何人もの人が死んで行く戦争に対し、「机の前に座り、研究なんかしている場合か」との主戦論者がおり、激論が交わされる。今こそ戦場に馳せ参じて戦うべきと、若者たちの1人は教授に食って掛かる。
若い研究者たちの疑問は、科学者たちの内面に兵器づくりに対する疑問が大きな比重を占めることだ。この疑問に対し、荒勝教授は、原子力研究は50年後、100年後を見据え、単に目先の原爆製造だけが目的でないとする。最大の研究目的はエネルギー問題の解決であり、その確保であると説明する。
もともとは、海軍の密命を発端とするが、教授は、原子物理学の長年にわたる研究の第一人者であり、海軍云々よりずっと以前から、エネルギー問題としてとらえている。原子力の平和的利用の論理である。
しかし現代において、福島の原発の惨事は人災であり、原子力平和利用の論拠は破綻している。そして現在は、原子力利用を否定する流れとなり、一応は封印ということで様子見状態だ(原発の再稼働は例外)。
この議論を経て修は、自分の知らない所へ科学は連れて行ってくれる意見で、研究を進める気持ちが強い。研究者の心情としては不思議ではない。ただし彼は、原子力研究は先述のように諸刃の剣であることを理解しての行動ととらえている。



世津の認識

 修、一時帰省の裕之、そして兄妹のように仲の良い3人の若者は、母親フミの計らいで海水浴へ行く。帰りのバスがエンストし、3人は野宿を余儀なくされる。夜中、弟の裕之がいないことに気付く修は、世津と共に慌てて海岸へ飛んで行く。案の定、裕之は海に入っていく。入水自殺だ。修は彼を陸へ引き上げ大事には至らなかった。
裕之は修と世津に向かい、涙ながらに「怖いよ。でも俺だけが死なんわけにいかん」と告白。一般の人の持つ本音である。この時、世津は「戦争なんか早く終わればええ。勝っても負けても構わん」と言う。これも本音だ。彼女は、「戦争が終われば学校の先生になる」と宣言。彼女だけが、戦後の生き方を見据えている。一番真っ当な感覚である。
大日本帝国の枠に押し込まれた三者三様の戦争への反応である。他方、この枠外にも戦争に反対する日本共産党の存在があることも付け加えておく。共産党自体を国家の敵とする中、治安維持法で多くの若い活動家たちが逮捕される、異論を徹底的に排除する公権力の姿勢であり、国民は沈黙するか、従うことのみが許される。



広島への原爆投下

 1945年8月6日、広島へ原爆が投下される。荒勝研究室は、米国に先を越され大いに落胆する。目の前の大きな目的は、世界で一番早く原爆を開発し、力によって世界を安定させる意図が、木っ端微塵(みじん)となる。研究室の面々は早速教授を先頭に爆心地入りをし、惨状を目の当たりにする。修も志願し、特別に調査に加わる。研究者たちは、人体に及ぼす原爆の影響を調べ始める。
修は、この原爆投下が研究の実態であることを理解するが、研究を止めはしない。第2期の実地踏査班が編成され、修も教授に参加を願い出るが、広島へは飛ばず、次の投下地候補と噂される京都にとどまる。実際に爆発の瞬間を見るためだ。そして、比叡山の山間に観測器具を設(しつら)える。出発にあたり、母親フミは赤ん坊の頭ほどの白米のお握りを持たす。


敗戦後の食糧事情

 当時、一般国民は大変な食糧難に直面し、白米のおにぎりどころではない。わずかな米の入った薄いおかゆ、配給のサツマイモやトウモロコシの粉を食べ、飢えをしのぐ。多分、母親の息子への愛情でおにぎりは大きくなったのであろう。
京都は今や安全な場所とは思えず、修は母親に郊外への避難を勧めるが、彼女は家族の心をよく読んでおり、「家族を逃がし、自分は見物、科学者はそんなに偉いのか」と厳しく諭す。





黒崎博監督について

 今回の『太陽の子』は映画であるが、NHK所属の黒崎博監督はドラマのディレクターである。NHKに入局後、教育番組担当を経て、1996年からドラマ番組部に所属。朝ドラ3作品をはじめ、現在放送中の大河ドラマ『青天を衝け』のチーフ演出を担当する。ほかにドキュメンタリーも制作している。
彼が、若き科学者が残した日記の断片を目にしたのが本作の発端で、構想10年の意欲作である。
本作は、戦後75年目の昨年8月15日にNHK(地上波、BS4K・8K)で放送された黒崎博の作・演出による同名ドラマをベースとした映画版であり、ドラマ版とは異なる視点で描かれている。戦争に対する各人の反応から、その実態に迫るのが製作意図であり、現在のわが国の状況まで視野に入れる力作である。






(文中敬称略)

《了》

〈補足〉
黒崎博監督が仕事で訪れた広島の図書館で、ふと目にとまった資料集に収録されていた日記の断片から、京都帝国大学(現・京都大学)の研究室での実話に基づくフィクションとして、『神の火』のタイトルでシナリオを執筆。改稿を経て、2015年の「サンダンス・インスティテュート/NHK賞」にNHK推薦として出品され、「特別賞」を受賞。その後、『太陽の子』と改題し、10年以上もの構想の末に20年にテレビドラマ化、21年に映画化となった。

 

8月6日から全国公開

映像新聞2021年8月2日掲載号より転載

 

中川洋吉・映画評論家