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『由宇子の天秤』
フリーディレクターが主人公
生臭い人間社会の中で揺れる正義感
複層となる物語の構想が効果的

 今週は、作り手の強い思いが伝わる骨太な作品を紹介する。それが『由宇子の天秤』(2020年/春本雄二郎監督・脚本・編集・製作、日本、153分)である。スタッフも、監督、製作、撮影の主要部分は日本大学芸術学部映画学科出身者で固める、コテコテの「日芸」もの。内容的に、人間の職業的良心の揺れに触れる傑作だ。
 
物語の主人公はフリーのテレビ・ディレクター、木下由宇子(瀧内公美)である。冒頭、娘を自殺で失ったパン屋を営む中年男、長谷部に対し、彼女が河川敷でインタビューする場面から始まる。
無事にロケが終わり、由宇子は、仕事仲間のプロデューサーと局へ戻り、撮影したVTRをチェックする。ここで主人公、由宇子の存在が明らかになる。
扱う事件は、ある地方の高校での先生と女子生徒、広美(長谷部の娘)との交際問題である。先生と女子生徒との関係に焦点があてられるのは、よくある話である。しかし名前の挙がった女子生徒が自殺し、話がややこしくなる。
学校側は会見を開き、われ関せず的声明を出し、責任逃れに終始する。そして、その対応が問題で、多くの人の知るところとなり、テレビも乗り出す。事件が報道されるや、渦中の先生、自殺した女子生徒に心ない中傷や非難が殺到、いじめの可否、先生と女子生徒との関係が疑われる。
さらに事件を複雑化するのは、当の先生の自殺であり、潔白を主張する遺書には、メディアに対する抗議がつづられている。それほど難しい事件ではないが、メディアへの非難に対し、局はあたかも報道が人間を殺した事件という印象を避け、編集と構成の練り直しを求める。
要求を出すのは、制作の全権と予算を握る局プロデューサーであり、由宇子は渋々局の要請を受け入れる。春本監督の助監督時代の悔しい体験が下敷きであることは、想像に難くない。

父・政志(右)を詰問する由宇子 
(C)2020 映画工房春組 合同会社  ※以下同様

テレビ・ディレクターの由宇子

自殺した教師の姉・志帆

インタビュー中の由宇子(左)

自室の萌

萌の父・哲也(中央)

局内の由宇子(右)

萌ににじり寄る哲也(中央)

哲也から首を絞められる由宇子

由宇子(右)と萌(左)

由宇子の家庭

 ここまでが序で、次いで由宇子の家庭へと話が移る。彼女の手掛ける制作中のドキュメンタリーは、教え子の自殺と、その後の若い先生の自殺を第1層とすれば、もう1つ層が登場し、物語が複層となり、話自体が複雑化する。
テレビ局の仕事を終え家に戻る由宇子。彼女は父子家庭で、第2層も同様に若い女性の存在を挟み込む。この脚本の構想が効果的だ。
由宇子の父・政志(光石研/実直で気弱そうな普通のオヤジの役どころ。脇役で名を上げた彼は、本作でまた一段とうまくなっている)は、中高生対象の塾の経営者で、自宅も塾内だ。夜は由宇子が講師として父を助ける。
彼女が帰途買い求めたドーナツ20個は、生徒への差し入れ。もう一軒、中華料理店に寄り、チャーハンと餃子、大盛りのサービスで出前を頼む。これが父娘の夕食である。父は、経営が思わしくない塾の閉鎖を彼女に相談する。そこで彼女は「自分が助ける」と父を励ます。
この塾の生徒には、悪ガキのような男子、そして、最近入塾したばかりの萌(めい)(河合優美)がいる。彼女の家庭も父子家庭で、母親を以前にガンで亡くしている。この萌の父子家庭と由宇子が後半部の中心となる。
構成は小ネタを挟む運びで、春本監督の着想と演出が冴(さ)える。この辺りが、作品の骨組みを極める工夫である。 
  


萌の体調不良

 塾のテストで萌がカンニングしたことがバレるが、由宇子は別に叱るのではなく、自分がカンニングをし、父親が皆の前で叱ってくれた体験を屋上で、夜空を見ながら話してやる。この場面が重要で、その後、同じ父子家庭育ちであることが共通点となり、2人は、塾の師弟を越えた間柄となる。
その萌が倒れ、由宇子が看護することになる。重い生理症状のようだ。そして由宇子は、どうも父の政志が一枚かんでいる印象を受ける。苦しむ萌を家に送るが、雑然とし、ちらかった家の中は、萌の暮らしぶりを否応なく見せつける。
そこへ萌の父、哲也が戻ってくる。彼には定職がなく、今は駅前でティッシュペーパー配りを生業(なりわい)としている。この父子関係も良好とは言えない様子だ。



主人公の人物設定

 
それぞれの家庭のシチュエーションを見せる着想の良さと同時に、主人公たる由宇子の人物像の掘り下げが作品に厚みをもたらせている。
由宇子はある地方都市で活躍するフリーのテレビ・ディレクター(多分、地方テレビ局周辺の制作会社の一員)。本作では、女子高生の自殺をテーマとする番組を担当する。
テレビ界では元請けがテレビ局で、実際に動くのは下請けの制作会社であり、本作もこの構図に当てはまる。そこは、テレビ局優位の社会で、企画、テーマについてはテレビ局の力が圧倒的に強く、本作でも由宇子が押され悔し涙にくれる。
男社会に生きる彼女、仕事の場や家では男言葉を使い、自己主張をする。プロデューサーや、何やら後ろめたそうな父・政志を詰問する場面がすごい。彼女はスマホを相手に向け、発言を写し撮る。こうやって、相手をタジタジとさせる。
一方、年少の萌、自殺する女子高生の遺族やインタビュー相手には、世話好きな姉さんのような気づかいを見せる、おとこ気さえ発揮する。
この彼女の二面性の描き方には、納得させられる。脚本の練りと、由宇子役の瀧内公美の存在が作品に強いコシをもたらせている。特に、彼女は凛(りん)とし、意志の強さが顔に出る。そこが強みとなり、まるで韓国の女優を見ているようだ。この役、彼女は自ら春本監督に直訴したそうだ。



残る難題

 由宇子は自殺した高校教師、矢野和之の周辺のインタビューで、矢野の母、姉とコンタクトを始める。この事件をことさら大きくしたのは、彼の教え子の広美の自殺であった。その後、自分の潔癖を訴える遺書を残し矢野も自殺。マスコミはいじめ、責任逃れの学校側の対応に対し追及の度を強める。
その上、ネットでは被害者の家族、自殺教師への中傷が加わる。由宇子は報道が2人の死を招いたとする視点で、取材を始める。しかし、調査を進めるうちに予期せぬ事実が現われ、犯罪被害者の本当の声を伝えようと意気込む彼女の意図がぐらつき始める。そこがタイトルの「天秤」となる。
先生と生徒の自殺とそれを追うマスコミの在り方に一石を投ずる狙いに、破綻が生じる。まさに天秤の揺れである。
同じころ、自殺した教師・矢野の姉から、インタビュー内容の放映拒否の電話を受け取る。自殺した矢野の遺書は、姉、志帆が弟の面子を保つために書いた事実が判明する。その上、病床の萌の体調の悪さについても、事実を知る由宇子に萌の父・哲也は逆上し、彼女の首を失神寸前まで締め上げる。
自己の考える真実、正義と相反する事態の進行の狭間で苦しむ由宇子、彼女のジャーナリスト観が、ガラガラ崩れるありさまのハナシの展開の激しさは圧巻である。作り手は矛盾を二層構造の形で描き出している。
事実(自殺、周囲からの非難・中傷、テレビ局の社会的テーマに、臭いものにフタをする体質)と、個人の優しさ、情の間の落差のすさまじさ。脚本の目の付け所には相当頭を使っている。
人間が生きる社会の生臭さ、それに抗(あらが)う揺れる正義感を描き出す、力のある作品である。







(文中敬称略)

《了》

9月17日(金)渋谷ユーロスペース他全国順次ロードショー

映像新聞2021年9月6日掲載号より転載

 

 

中川洋吉・映画評論家