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『クーリエ:最高機密の運び屋』
米ソの核戦争を回避したスパイの活躍
「キューバ危機」の裏舞台に迫る
作品の密度が高く配役も絶妙

 今から60年前、米国、ソ連(現ロシア)が激しく対立し、あわや核戦争一歩手前と、全世界を震撼させた事件「キューバ危機」(1962年)があった。その両者の対立を描くスパイ・サスペンスが『クーリエ:最高機密の運び屋』(2021年/ドミニク・クック監督、米・英製作、112分)である。

2人のスパイ、ウィル(右)、アレックス(左) 
(C)2020 IRONBARK, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.  ※以下同様

CIAエージェント、ヘレン

MI6本部で英国諜報部とアレックス(前・左)

最初のモスクワでのランチ ウィル(左)、アレックス(右)

ウィル

ロンドンでのウィル

空港のウィル

ロンドン行きの機内のウィル

ロンドンの路上でのウィルとCIA諜報員2人

米ソの対立

 冒頭は、フルシチョフ第一書記の大演説の場面から始まる。彼は、ソ連の優位を解き、核兵器の威力を誇示し、敵国の米国を挑発する。会場の大ホールは、彼の熱気に呼応し盛大な拍手を送る。1960年8月の出来事である。
その4カ月後、ロンドンのMI6(英国秘密情報部)のオフィスに1人のCIA(米国中央情報部)の女性エージェント、ヘレン(レイチェル・ブロズナハン)が訪れる。 
  


CIAリスト

 ヘレンは書類を持参し、MI6の担当者ジェームズにそれを手渡す。ソ連の情報を取ることに躍起だった米英の諜報機関は、お目当ての情報の運び屋を探しており、書類の中に1人の中年英国男性ウィル(ベネディクト・カンバーバッチ)の名前が挙げられている。
彼は東欧、チェコやハンガリーなどにお得意さんを持つ、旋盤などの工業製品を売る民間会社のセールスマン。彼らが白羽の矢を立てた人物がウィルで、ごく普通の実直なセールスマンタイプの役柄を、カンバーバッチが演じる。眼光は鋭くなく、才気走らず、妻と幼い息子を持つウィスキー好きのセールスマンが、実にサマになっている。
いかにも策略にたけたCIA逆転の発想であり、製作も兼ねるカンバーバッチのうまさに舌を巻く。普通の中年男をスパイに仕立て、ソ連の外交、諜報関係者、KGB(ソ連国家保安委員会)を煙に巻くアイデアが、作品の最初の魅力となる。



難色を示すウィル

 
CIAとMI6の2人は、早速仕事にかこつけ、ウィルとのコンタクトを開始する。東欧の工業事情を聞きたいという口実を設け、米英諜報チームは「われわれはソ連の動きに関心があり、東西冷戦時の今日、お国と世界に貢献しないか」と、婉曲にスパイになることを要請する。
説得側は「この任務に少しでも危険があるなら頼んだりしない」と、ご立派なことを言い、実直なセールスマンを籠絡(ろうらく)させる。ソ連担当のスパイであれば危険な仕事であり、命を狙われてもおかしくないはずだが、そこは、うそ八百、口から出まかせの諜報部員の口車に渋々乗せられるウィンであった。



スパイ合戦の発端

 本作の冒頭、暗いモスクワの街の中に、1人の男の姿が浮かび上がり、コンサート帰りの米国人の若者に1通の封書を大使館に届けることを依頼する。これがスパイ合戦の発端となる。
渡すのはGRU(ソ連軍参謀本部情報総局)の大佐であるオレグ・ペンコフスキー(通称アレックス/メラーブ・ニニッゼ)で、封書の内容は「核戦争勃発の危機を封じる手助けをしたい」としたためられ、それがCIAの手に渡る。
アレックスはソ連側の窓口となり、後に核関連情報を流し、重要な役割を果たす。これがスパイ合戦の発端であり、当事者は核兵器とは無関係な英国セールスマンと、核戦争を恐れるソ連の諜報関係者との出会いとなる。



スパイ初日

 英米諜報機関の依頼により、新規顧客開拓の名目でウィルはモスクワ入りし、早速、ソ連側とコンタクトを始める。
まず、型通り科学委員会でプレゼンを済ませ、代表であるアレックスとランチを共にする。キャビアにウォッカのソ連式高級コースでご歓談。互いの腹の探り合い、夜はフルシチョフ第一書記も列席のボリショイ・バレエに招かれる。
帰途、ヘレンから渡された連絡係の目印であるタイピンを目にしたアレックスは、自身の正体をほのめかす。スパイもの本番への序である。互いの身の上が明らかになり、次なる展開への興味がそそられる。


諜報部の真の狙い

 ウィルはロンドンで、スパイになることを言葉巧みに勧誘され、「お国のため」の殺し文句で陥落するが、これほど簡単に、この「お国のため」の枕詞(まくらことば)で一角(ひとかど)の人物がおちるのかと、首を掲げざるを得ない。
しかし、わが国でも、戦時中このセリフで300万人の人々が命を落とすが、為政者の愛国心の悪用と、お国の人々の持つお得意の同調圧力に、自ら進んで乗る精神状況の成せるワザであろう。どうも、人の命を操る人間は口がうまく、腰が低い。この手は用心したほうがよい。
ウィル自身は単なる情報の運び屋と考えたが、実は、核情報の入手が彼を操る諜報関連者の狙いである。それには、それなりの背景がある。当時の世界は、1960年代初頭までは米国が覇権を握り、一強支配を続けてきた。そこへ、ソ連が風穴を開けたのだ。
強国となるソ連の意図は、米国と対等な力を得ることであり、両者の覇権争いはエスカレートの一途を辿る。その有力な武器が核で、2強は、相手の核保有状況と基地機能の確認に凌(しの)ぎを削る。
その意図を後から知らされるウィルであるが、モスクワでの活躍の緒に就いた後であり、彼は、ソ連側の窓口たるアレックスとの秘密の接触で、ロンドンに軍事情報を5000通ぐらいは持ち出したとされる。セールスマンで実直そうなオジさんが、これほどの運び屋であることに、誰も気づかずじまいであり、CIAの狙いはまんまと成功する。
その間、2人の中年男は交友の度を深め、ロンドン出張の折に、アレックスはウィル宅のディナーに招かれるほど互いに好感が持てる間柄となる。この2人の友情が本作の別筋で、ギスギスのスパイ活動の傍ら、人間味という骨肉が保たれている。いわゆる「ホン(脚本)がしっかりしている」ということだ。
スパイ・サスペンスに女性ではなく、オジさんの友情を持ち込む当たり、心憎い仕掛けだ。





米ソの和解

 ギリギリの局面で、米ソは手を打ち、核を用いる第三次世界大戦は回避される。ソ連が、キューバのミサイルの撤去を譲歩する。ここで、アレックスの核戦争停止の理想は実現する。しかし、この措置「ああ、平和が何より」とはならない。後遺症が発生する。
本来ならば救国の英雄として、2人は表彰状ものである。ソ連では、各資料の内部からの流出が判明し、コンタクトがあるアレックスが逮捕される。在モスクワ時のウィルも逮捕され、獄中につながれる。
CIAの女性エージェントは、何とかウィルの亡命の道筋をつけようとモスクワへ向かうが、すべてを知るソ連当局にこれまた逮捕。しかし、彼女は外交官ということで、24時間以内の国外退去処分となる。
スパイ合戦は、双方の国々が敵側のスパイ逮捕リストを用意し、1人が捕らわれれば報復逮捕に出て、政府機関の人間(CIAが該当)であれば、国外追放処分となる。上層部は安泰で、実行部隊の現場組はトカゲのシッポ切りの憂き目にあう。多分、高額の報酬で釣り上げるのであろうが、スパイなどはやらないほうがよい。
ウィンは逮捕から1年目にほかのスパイ釈放と交換、追放となり帰国。その後は元のセールスマンに復職、定年まで勤めあげる。アレックスは5000通以上の書類を流し処刑、残された家族は平穏な生活を保障される。
大変に良くできたスパイ・サスペンスであり、作品の密度も高く、全体によく手が入っている。その上、作品の出来を左右する配役が絶妙だ。ウィルの実直なセールスマンの地味さ加減、アレックスの思慮深く、義に厚い諜報部幹部、2人の醸し出す味は、作品にヒューマンな側面を与えている。






(文中敬称略)

《了》

2021年9月23日よりTOHOシネマズ日比谷ほか全国ロードショー

映像新聞2021年9月13日掲載号より転載

 

中川洋吉・映画評論家