『Our Friend /アワー・フレンド』
情の厚さに心打たれる実話の映画化
癌と闘う妻を支える夫と親友
オーソドックスで味わい深い作品 |
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オーソドックスで味わい深い米国映画を紹介する。『Our Friend/アワー・フレンド』(2019年/ガブリエラ・カウパースウェイト監督、ブラッド・イングルスビー脚本、製作・米国、126分)である。家族愛と友情について、じっくりと語る、実話の映画化である。
舞台となるアラバマ州フェアホープは、川沿いの緑豊かな町で、いわゆる白人・中流層の戸建て住宅の一帯。数百?南にニューオーリンズ、北側にアトランタ市が位置する。
主人公はマシュー・ティーグ(ケイシー・アフレック)で、本作の原作者、通称マット。彼の職業は地方紙記者、フェアホープ在で、妻のニコル(ダコタ・ジョンソン)と2人の幼い娘の父親でもある。作中では、彼が執筆した「Esquire」誌の記事が認められ、アトランタ市のNYタイムズ支局に引き抜かれる。
内容は、妻ニコルのガン闘病と彼女の死が大きな柱で、夫妻の親友デイン(ジェイソン・シーガル)の献身的な介護が併せて物語に加えられる。
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マットとニコル
(C)BBP Friend, LLC - 2020 ※以下同様
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デイン(左)とマット(右)
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ニコルの病床で、デイン(左)、娘(中)、マット(右)
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マットと2人の娘
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海岸でのひと時 ニコル(右)
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マットと2人の娘、朝食
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ニコルの子供宛ての手紙の束を眺める
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デインとの別れ
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マット、ニコルと下の娘
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2人の娘を両脇に抱えた妻ニコルに対し、夫マットはベッドの横に立ち尽くし逡巡(しゅんじゅん)の面持ち。いつかは、子供たちに母親のガンの告知を打ち明けねばならない。隣接するポーチでは親友デインが祈るように告知を待つ。親友といえども内輪の告知には、部外者としてのためらいもあるデインの思慮深さが感じられる。
冒頭のこの場面で、登場人物が一堂に会す。見せ方は常とう手段だが、これがラストの伏線となる。
時は2013年秋。子供たちは突然の告知で戸惑うが、事実として受け入れる。末の次女は事の成り行きがよく飲み込めない。
ここで、同じようなシチュエーションのスペイン、イザベル・コイシュ監督の傑作『死ぬまでにしたい10のこと』(2003年/サラ・ポーリー主演)と酷似することに気が付く。
本作は、ジャーナリストの雑誌掲載記事の映画化であり、ハリウッドの外国映画のリメイクではなく、実話ものである。しかし、似たような話というものは結構あるものだ。
主役の3人の出会いは13年前、舞台は華やかな都市・ニューオーリンズである。舞台女優のニコルが出演する舞台のスタッフを務めていたのがデインで、2人は芝居仲間であり、ニコルの知り合いの記者がマット。ここで3人が知り合い、ニコルとマットは結婚し、デインは2人の友人として交友関係を続ける。
その後、夫妻はアラバマ州のフェアホープに移り住む。舞台となるフェアホープは原作者である記者マットが生活していた地で、ロケも当地でなされた。多分、マットの地方紙勤務のためと思われる。
米国で新聞記者になるには、地方紙記者から、中央紙に引き抜かれるコースが一般的のようで、わが国の一斉定期採用は少なく、定員が1人抜ければ1人補充するシステムと思われる。この慣習的なリクルートでマットは大都市アトランタのNYタイムズ紙に引き抜かれた。
娘たちの成長を楽しみに過ごす夫妻に、大きな問題が発生する。2012年、娘たちにガンの告知をするちょうど1年前に、ニコルはガンを宣告され入院、化学療法を受けることとなる。周囲にガンを患(わずら)う人を持つ人々にとり、既に承知のことだが、薬の副作用で脱毛し、帽子が必要となる療法だ。
それから半年、マットは育児と介護に追われる超多忙な毎日を送らざるを得なくなる。友人の極限状態を知ったデインが見兼ねて、取りあえず、3週間の予定でマット宅に手伝いにやって来る。デインは故郷に恋人キャットを残したままで、ニコルが持ち直すまでと滞在を延期する。主として娘たちの面倒を見るのがデインの役割である。
キャットはデインと一緒に暮らしたく、彼の誕生日に自宅のカギを渡し、自身の強い希望を暗に伝えるが、デインはマットたちが心配で、いまひとつ踏み込めない。それを見てニコルは、「キャットが待っていることだし、あなた自身、もっと大人になりなさい」と病床から??咤(しった)激励する。
もはや3人の間柄は友人以上、仲間か同志の域に達し、単なる男女間の好意、男同士の仲間意識では測れない。ここが本作の大きな見どころである。
友人たるデインは、不器用で積極的に踏み込めないタイプ。彼を愛する、遠く離れた恋人に鍵を託されながら、いま一歩前に出ない。マットとニコルと共にする毎日が友人以上の人間関係をもたらし、居心地の良さを感じ始めている。
しかし、考えてみれば凄い心意気だ。スタンドアップ・コメディアンの夢を諦め、今は量販店勤務。生活のための職であろう。高学歴でも、高給取りでもなく一従業員として働き、その仕事を放棄してまで友人のもとへ駆けつける、デインの一途さは、恋人キャットにとり、まさに「自分がいるのに、信じられない」の心境であろう。
しかし、世の中にデインのような人間がいるからこそ「生きていることも悪くない」と思えるのである。デインの献身により、マット、そして2人の幼い娘は、どれだけ救われたであろうし、病床のニコルの支えになったに違いない。
2013年の春、余命半年と告げられるニコルは「死ぬまでにやりたいこと」を列挙する。あるスーパースターとのデュエット(これは実現せず)、そして、謝肉祭の地元の英雄を希望し実現する。パレードの山車の上からニコニコ顔の彼女が、通りを練り歩く。良い風景だ。
しかし、ニコルが一番やりたいことは娘たちへの手紙を書くことで、年ごろになった彼女たちへ、自身の尽きぬ愛情を伝えることである。逝く者の家族に対する、「あなたたちを遠く天国からいつまでも愛している」とのメッセージだ。
本作で気づかされたことに、女性からの積極的なコミュニケーションの取り方がある。一般的に女性からのアプローチの場は少ないが、それを本作で見せている。
鍵を渡すデインの恋人キャット、取材で忙しく世界を駆け回るマットの海外出張での、仲間の女性記者からの誘惑、迷いに迷うマットは、最終的にニコルを傷つけないために、やんわりと辞退するくだり、沈黙の誘惑、女性も粘る。
別の例では、自分の居場所に疑問を抱くデインは1人で山にトレッキングへ出かける場面である。途中1人の女性トレッカーが同行を申し出る。彼が自殺するのではないかとの疑問が走り、とっさに声を掛ける。
日本流で言えば、「たしなみ」の伝統で、女性から積極的に声を掛けることは難しい。そこには強い女権意識と、人に尽くす社会全般の意識の高さがみられる。
告知から2年、ニコルは逝去、米国流の自宅での葬式を兼ねた、親族、友人だけの集まり。デインも、ニコルが旅立ち、マットのもとを辞す。そこには自分の居場所、やるべきことを見出したようなデインの姿がある。彼も、同志と思えるニコルを見送った達成感を胸に、マット宅を後にする。この別れ、悲しくはなく、マットも親友デインを心よく送り出す。彼の新しい人生を祝うように。
作品の組み立ては、ニコルを挟み、3人の愛情(多分デインはマット同様、終生彼女への好意を心に秘める)と、友情、同志愛へ昇華する友への敬意の念の2本の太い柱を中心に話を回している。筋は興味を引き、しかも情の厚さに心打たれる物語の感銘は深い。
(文中敬称略)
《了》
10月15日より新宿ピカデリー、シネスイッチ銀座ほか全国ロードショー
映像新聞2021年9月27日掲載号より転載
中川洋吉・映画評論家
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