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『夢のアンデス』
1973年9月の軍事クーデター後のチリ
弾圧の歴史と現在の姿を追う
亡命監督によるドキュメンタリー

 最近は、邦画、洋画を問わずドキュメンタリーに秀作が多い。今回取り上げるチリ作品『夢のアンデス』(2019年/パトリシオ・グスマン監督・脚本、製作チリ、85分/英題:The Cordillera of dreams)も例外ではない。フランスに亡命し、チリ・クーデターの難を逃れた映画監督パトリシオ・グスマンの手になる作品である。
 
1973年9月11日、アウグスト・ピノチェト陸軍総司令官(以下、ピノチェト)が主導するクーデターが起きる。そして、当時の民主派の星、サルバドール・アジェンデ政権が崩壊し、以降ピノチェトが18年間独裁権力を握る。少し長くなるが、この重要な事件を説明する。
半世紀前、1970年10月にアジェンデが率いる社会主義政党の統一戦線である人民連合が自由選挙により第一党となり、アジェンデが大統領に就任した。この自由選挙でマルクス主義政党が勝利したことは、世界初の例として、当時世界的に注目を浴びる。
この左翼の勝利は、保守派候補の乱立に乗ずるもので、過半数を得られず、アジェンデ政権は少数与党となる。この政権の政策は、国民の生活の向上を目指し、年金の充実、医療費の補助など社会福祉の向上、チリの主要輸出品の銅の国有化など、社会改革を実行し、これらの政策は国民の圧倒的支持を得る。
この民主化方針に対し、それまでチリ経済に多大な影響力を発揮していた米国のニクソン政権の怒りを買い、同国はアジェンデ政権打倒へと動く。中南米を自国の庭として長い間属国のように考え、経済的利益も得ていた米国は実力行使する。
まず、経済封鎖、富裕層・中間層によるデモへの資金援助と、トラック所有者協会へも同様の資金を提供しストライキを敢行させる工作により、国内は流通のマヒ、物不足と、インフレを招き混乱する。
さらに、国民生活に打撃を与えるために、米国の対チリ政策は、CIAまで動員し、資金援助をはじめとする後方からの援護で国内はますます混乱するが、逆に国民の支持率は50%前後とアジェンデ政権を支持した。この米国の干渉を招いた原因は、結果論ではあるが、国民の大きな期待に応えるための性急な改革志向の政策が、アジェンデ政権の命取りとなった。
ピノチェトをはじめとする、1973年9月11日の軍部のクーデターは、米国の強力な援助によるところが大きい。アジェンデ大統領は降伏を拒否し、モネダ宮殿内で自動小銃による自殺を図る。ここで、自由選挙による世界で最初の社会主義政権は崩壊する。
その後、18年間ピノチェトの独裁政治が続き、左翼狩りを公然と執行。左翼やシンパとみられる人々はサッカースタジアムに連行され、処刑される。そこは、1962年のチリ開催のW杯でチリが3位になった、ゆかりのスタジアムである。
2004年のチリ政府公式報告では、約3000人が処刑、または行方不明とされたが、あくまでこれは官製の数字で、実際は数万人に上るといわれる。もはや、処刑ではなく虐殺である。また、100万人が弾圧を恐れて外国へ亡命する。

アンデス山脈の遠景 
(C)Atacama Productions - ARTE France Cin?ma - Sampek Productions -Market Chile / 2019  ※以下同様

映画・撮影監督パブロ・サラス

警官のバリケードとカメラ片手のサラス

アンデスの絵柄のマッチ箱

刑務所代わりのサッカースタジアム

デモのスローガン

アンデス山脈

銅を運ぶ多国籍企業の貨物列車

グスマン監督

 亡命者の1人が、本作の監督、パトリシオ・グスマンで、彼は1941年、チリのサンティアゴ生まれ、今年80歳である。
ピノチェトのクーデター後、彼は逮捕され、サッカースタジアムに2週間監禁され、脅迫、拷問を受けた後に釈放され、フランスに亡命する。その後、故郷チリには戻らず、本作製作のため、幾度か撮影のために一時帰国する。 
  


ピノチェト後のチリ

 ピノチェトは、裁判を経ることなく2006年に大往生。公式的には3000人を虐殺したとされるが、彼の死後、彼のシンパは政治、経済界に残る。現在も国家警察(DINA)には彼の息のかかった人間が多く、デモ隊と正面切って対峙するのは、この警官たちである。
彼の死後、普通選挙で、左右がそれぞれの大統領を2期4年ずつ務め、今日に至る。



貧富の差

 
アジェンデ崩壊後、ピノチェトは、シカゴ大学のミルトン・フリードマンを中心に形成されたシカゴ派(新自由主義)を経済の中心に据え、すべての政治・経済、芸術、文化の分野と多岐にわたり、利益最優先の価値観に添い、貧富の差を拡大させる。
例えば、チリの国家の主要産業である銅の、多国籍企業への売り渡しが好例だ。



継続するデモ

 独裁から民主化へと変わった現在でも、取り残された若者、女性、労働者、知識人たちは盛んにデモで抗議活動を繰り広げている。彼らを粉砕するのがDINAである。
作中、1人の女性が警察の棍棒で小突き回される場面で、「顔は殴らないで」と何度も絶叫するところは、印象的である。
当初、チリのデモ隊のスローガンは「拷問の共犯者に国を任せられるか」がメインであった。しかし、クーデターからほぼ半世紀後の今日では、政府の人権侵害、そして女性の権利や中絶、教育に対し矛先が向けられ、一般市民の主張がより具体的になっている。



証言者たち

 クーデター後、国外へ亡命せず、国内にとどまる知識人や反体制派のインタビューが作中に多く盛り込まれ、強いインパクトを与えている。
まず、映画監督でもあるカメラマンのパブロ・サラスの存在は無視できない。重いカメラを武器に、1980年代以降デモのたび、疲れを知らず撮り続け、ピノチェト時代と現代のチリの変動をとらえる。
現在のチリでは、サラスのような知名度の高いカメラマンは自由にデモの記録を撮ることが可能だが、これは特例なのだろう。貴重な、地に足がついた証言者だ。彼の実写場面は、作中多く挿入されている。
次いで、若い作家のホルヘ・バラディット。多くの著書の中で、近年のチリの歴史を振り返る、筆による証言者である。「クーデターで多くの国民の命を奪った人々は今でも正しいことをしたと思っているのか。事件の関係者は今もって温存されている」と、疑問を呈している。
さらに、女性歌手のハビエラ・パラは、幼い時に体験したクーデターの恐怖を、昨日の出来事のように思い出す。チリにそびえるアンデス山脈は、彼女にとり「母のような存在、姿は見えなくとも存在は感じられる」と語る。


アンデス山脈

 チリの背骨といえるアンデス山脈は、国土の南北4530?に伸び、7カ国にまたがる全長は約7500?の長さを誇る。アンデス山脈の最高峰はアコンカグア(6893b)で、アルゼンチンとチリとの国境付近のアルゼンチン側にある。カメラは冒頭から、これでもかと上空から山の姿を写し出す。
その壮大な美しさは4000b超の高さを誇るアルプス山脈を凌ぐものがある。厳しく岩が切り立つような斜面の鋭角的美しさは、見事の一語だ。この山々はチリ人の心の故郷であり、国民の心をしっかりつかむ象徴的存在である。
鉄と石の組合わせの彫刻を手掛けるフランシスは、国土の8割を占めるアンデス山脈を、その圧倒的な存在感、麓(ふもと)の美しい緑と共に、山々の音を耳にしながら彫刻を続ける。
同じく、山の採石場で石を彫る、彫刻家の巨匠ビセンテにとって、アンデス山脈はチリの文化的シンボルであり、自身はその風景の一部として溶け込んでいると、愛着を披歴している。
国民を常に見守るアンデス山脈は、ピノチェトのクーデターの証人であるとの共通意識が強い。半世紀前に起きた国民の虐殺の証人がアンデスであり、独裁政権の犯罪を記録し、自国の歴史を何度も記録して、忘れない努力を積み重ねるサラスは、生命を掛けて撮影する。彼の願いはただ1つ、「住みよい国のチリであってほしい」の一念である。
歴史を再構築し、現在を知らしめるドキュメンタリーであり、多くの人々に見てもらいたい作品だ。






(文中敬称略)

《了》

2021年10月9日より岩波ホールほか全国順次公開

映像新聞2021年10月4日掲載号より転載

 

中川洋吉・映画評論家