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『モーリタニアン 黒塗りの記録』
米国同時多発テロ後の不当な拘禁を追及
囚人の獄中手記を基に映画化
人権派の女性弁護士が真相を解明

 米国で2001年9月11日に「同時多発テロ事件」が起こる。ちょうど今から20年前の出来事であり、米国の南北戦争を除き、常に他国で多くの人々の血を流させた同国にとり、青天の霹靂(へきれき)であった。実際に起きたこの事件を取り上げたのが『モーリタニアン 黒塗りの記録』(2021年/ケヴィン・マクドナルド監督、製作・イギリス、129分、原題「THE MORITANIAN」)である。
 
原作は、主人公スラヒの獄中手記で、日本ではモハメドゥ・ウルド・スラヒ著「モーリタニアン 黒塗りの記録」(河出文庫)として、既に出版されている。9・11事件の首謀者とみられる、原作者のモーリタニア人が過酷な拷問で名高い、キューバ・グアンタナモ収容所で経験した実話の映画化だ。
主人公スラヒを演じるのは、在仏の移民の子孫にあたるタハール・ラヒム(代表作『預言者』〈2009年〉、ジャック・オディアール監督)で、彼はフランスで一番力があるとされる、マグレブ人の若手映画作家集団の一員である。
当時、スラヒは裁判を受けることなくこの収容所に拘留されていた。手記の執筆を勧めたのが、彼の弁護を買って出た、ニューメキシコ州アルバカーキの人権活動家として聞こえた女性弁護士、ナンシー・ホランダー(ジョディ・フォスター)だ。
スラヒの出身地モーリタニアは、アフリカ北西部の海岸に面し、隣接する国々は、北アフリカ旧フランス植民地、アルジェリア、そして西サハラ、サハラ砂漠のマリ。正式国名はモーリタニア・イスラム共和国で、首都は大西洋岸にあるヌアクショット。この地名はほとんどの人が耳にしたことがない。
この国を米国はテロの拠点とにらみ、モーリタニア人を物語の主人公としている。

独房での面会、ナンシー弁護士(右)とスラヒ(左) 
(C)2020 EROS INTERNATIONAL, PLC. ALL RIGHTS RESERVED  ※以下同様

被疑者との面会、ナンシー弁護士(左)、テリー弁護士・助手(右)

政府側の代理人、スチュアート中佐

法廷での弁護団

収容所内の運動場のスラヒ

書類を手にするナンシー弁護士

収容所内のスラヒ(中央)

スチュアート中佐(左)とテロの犠牲者のパイロットの母(右)

収容所内のナンシー弁護士(左)

黒塗りの書類

グアンタナモ米軍基地

 なぜ、米国の基地がキューバに存在するのか、何人(なんびと)も疑問に思うはずである。その経緯(いきさつ)は、1898年の米西戦争(米国とスペイン)に由来している。
この戦争により1902年にキューバは独立するが、同国は後押しをした米国の内政干渉を受け、1903年に同国の東の突端、グアンタナモ湾に面した土地の永久租借権が米国に与えられる。この賃料は約4000jと破格の安さである。もちろん、この不平等の解消のためキューバのカストロ政権は返還を求めるが、米国の無視に合い、今日に至る。
最初に海軍基地、そして収容所(刑務所)が建設され、現在は9・11事件のテロリスト(国際世論は捕虜と呼ぶ)が収容されている。米国の狙いは、テロリストと目された人々を一網打尽にし、テロの組織を壊滅することにある。 
  


連行前のスラヒ

 グアンタナモ収容所へ連行される前のスラヒは、故国モーリタニアの海岸に1人たたずむ、普通の青年そのものである。グアンタナモ収容所行きなど考えもしない、波乱の人生の一瞬の平和な光景である。彼は友人の結婚式に招かれ、歌って踊っての楽しい一夜を過ごす。グアンタナモ収容所以前の平穏な日常を伝える一コマである。
しかし、結婚式の最中に、モーリタニア政府の人物(多分、公安関係)に呼び出され連行される。結婚式の大テントの外で、彼は母親に最後の別れを告げる。その彼女は、息子の釈放前に亡くなる。自国民をむざむざと米国に引き渡すモニタリア政府の弱腰は、何とも情けない。



人権派の弁護士

 
弁護士、ナンシーに扮(ふん)するのは、ハリウッドの大スター、ジョディ・フォスター。人権活動家である彼女は同僚の弁護士から、ある行方不明のモーリタニア人男性の消息を探る依頼を受ける。あまりに漠然とした話であり、彼女はその場では、はっきりとした意思表示を避ける。
しかし翌朝、ナンシーはあちこちに電話をし、モーリタニア人の消息を探し始める。昨日の段階では態度を明らかにせず、翌朝から早速動き出す。このナンシーの行動、最初から興味津々で、引き受ける心つもりであった。しかも無償で。
この描き方、話の運びのスピード感は、ドキュメンタリー畑が長いケヴィン・マクドナルド監督の手際の良さであり、短い場面ながら、目立つ。
ジュディ・フォスターは髪を銀髪にし、真っ赤な口紅とマニキュアと、ひと際目立つ装いだ。余談だが、フォスター自身の頭の良さは周知で、名門エール大学卒業、アカデミー賞を『告発の行方』(1988年)と『羊たちの沈黙』(91年)で2度受賞している。
その後、女優だけでは飽きたらず、監督業にも進出。筆者はカンヌ国際映画祭で彼女の記者会見に出席した折、アクセントのない流暢なフランス語を披露したのには驚かされた。彼女は現在、1年の半分はフランスに暮らす。とにかく並のウツワの持ち主ではない。



政府側の代理人

 米国政府から、スラヒを死刑第1号とする意向で送り込まれるのがスチュアード中佐(ベネディクト・カンバーバッチ、前作『クリエ』での彼とは思えぬ変わり方である。法の正義を守る信念を持つ実直な人間像を演じる彼の演技力、絶賛ものだ)。スラヒ側にナンシー弁護士、政府側にスチュアート中佐が付き、双方とも真相解明に努める。
ナンシーは、裁判もなしの拘留は法律違反との信念の持ち主、一方、スチュアート中佐は、スラヒが有罪なら死刑は当然、無罪であれば「軍が支配する無法国家は拒否」と、理を尽くしての解明の必要性を説く。至極真っ当な考え方の持ち主だ。



ウソの自白

 真相の解明のために、ナンシーは政府の記録用覚書の提示を求めるが、届いたのは黒塗りばかりの書類の段ボール20−30個。これでは話にならぬと、ナンシーは裁判所に黒塗りなしの覚書の開示を求める。それが受理され、今一度調べを進める。
その結果、驚くべきことに、スラヒは既に自白をしていることが判明。独房での面会で、常に無罪を主張する彼の弁明は「ウソ」ということになる。


過酷な拷問

 同じ書類には凄まじい拷問の記載がある。手錠、足枷(かせ)のオレンジ色の服を着た囚人たちへの長時間のスクワットを思わす姿勢の強要、水攻め、そして女性尋問官による性交拷問などで、スラヒは苦しさのあまり当局に迎合する。拷問は70時間にも及ぶ。
この後、やっと待望の裁判が開始され、スラヒはオンラインで証言をする。彼は「米国は正義の国と思っていた。ずっと証拠なしで裁判も受けず、有罪と言われ続けた。イスラム法にとり〈自由と許し〉は同義語であり、これにより、自分は平静を保てた」と現在の心境を証言している。
一見信じられない発言だが、ここに彼のイスラム的信念があるのかもしれない。





その後

 ナンシーの強力なバックアップにより、8年間待ち続けた裁判に勝訴したスラヒは2016年に14年ぶりに釈放、政府も彼の起訴を断念する。帰国したスラヒは、18年に米国人女性弁護士と結婚、一児をもうけ、現在は家族と共に暮らせる受け入れ国を探している。
イスラムへの報復のための長期拘留、非人道的な囚人の待遇、そして良心派の努力はあるが、当初779人が拘留され、有罪は8人で、うち3人は再審で無罪となる。現在でも40人が拘留されており、オバマ大統領の閉鎖の宣言は棚ざらしになっている。
自由とは何か、その実現のための少数派の努力を描く一方、さらなる闘いが必要なことが最大のメッセージとする、良心的なヒューマンドラマの傑作である。その上、サスペンスものを思わす痛快さがある。






(文中敬称略)

《了》

10月29日よりTOHOシネマズ日比谷ほか全国ロードショー

映像新聞2021年10月25日掲載号より転載

 

中川洋吉・映画評論家