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『スズさん 昭和の家事と家族の物語』
家族の視点で追う昭和の生活
激動の時代を生き抜いた1人の女性
貴重な記録映像と娘の解説で構成

 明治から昭和を生きた1人の女性「スズさん』の生活史『スズさん 昭和の家事と家族の物語』(2021年/監督・撮影・編集、大墻〈おおがき〉敦、ドキュメンタリー、86分)が上映中である。日本人の昭和の生活を1人の名もなき専業主婦、「スズさん」の来(こ)し方を通して語る貴重な1作だ。
 
東京都大田区南久が原にある「昭和のくらしの博物館」は、ほとんどの方々がご存知ないはず。戦後、1951年に建てられた18坪の木造2階建ての仕舞屋(しもたや)で、なんの変哲もない「昭和のくらし」の缶詰のような存在である。「いつの時代も、最も残りにくく、かつ軽んじられるのは一番身近なはずの庶民の暮らし」との思いから、ここが設立された。
館長は、この家の元住人である小泉一家の長女、小泉和子である。同家の家財道具が昔のまま展示され、庶民の昭和が再現されている。お茶の間、台所、書斎、縁側などを実際に巡りながら、昭和20年代、30年代前半の庶民の暮らしが体感できる。
一家の住まいがそのままの博物館には、小・中学生が昭和の暮らしの有り様(よう)を知るために、遠足のように集団で訪れる。館長・小泉和子の母(小泉スズ)が本作の主人公「スズさん」だ。

スズさんと子供たち 
(C)映画「スズさん」製作委員会  ※以下同様

長女の小泉和子

縫い物をするスズさん

ちいさなおうち(現博物館)

漬物

博物館の中

家族写真

スズさんと和子、妹の3人

B29による空爆

大墻監督

女中奉公

 「スズさん」は、明治43年(1910年)横浜市鶴見区の農家に生まれる。13歳(大正12年)の時に高等小学校を卒業し、和裁の修業を経て、松戸徳川家の藩主徳川武定邸へ女中奉公に出る。
ご主人の武定は殿様と呼ばれるが気さくな人柄で、「スズさん」にとっては、居心地の良いお宅であり、縫い物担当としてそこで働く。武定は後に海軍技術中将を経て、東京帝国大学工学部教授となる。彼女は終生「殿様、殿様」と慕い、武定に親しみを抱いていた。
彼女は裁縫の腕が立ち、奉公先では働きぶりが認められ、最初15円の給料が3年後の辞めるときは18円となる。この女中奉公、行儀見習いともいわれ「スズさん」にとり、ハクをつける契機となる。 
  


作品の組み立て

 本作は3部構成を取り、第1章「生い立ちと横浜大空襲」、第2章「ちいさなおうち」、第3章「昭和の家事の記録」となっている。
映像は残存するフィルム、小泉和子の解説、絵柄のない場面はアニメを使用している。残存するフィルムは、当時の記録映画や写真であり、大墻監督は2020年始めに彼女が撮影した記録映画「昭和の家事」を見て、素材の良さと時代性に注目し、映画化を思い立つ。
この「昭和の家事」は字義どおり、家事の1コマ1コマを実写するもので、それを苦にすることなく、日常の仕事として黙々とこなす「スズさん」の働きぶりが、今の時代、大変新鮮に映る。



記録映画について

 
生活史の研究家である小泉和子は、ある時「スズさん」の家事を記録することを思い立つ。友人で岩波映画の時枝俊枝監督に相談し、協力を得る。
この家事の内容が実に詳しい。主たる項目は「着物を解(ほど)く」、「洗濯をする」、「おはぎ」、「強飯(こわめし)、「お正月の支度」などと、興味深い。特に「スズさん」が得意とする縫い物は、正座しながら、実に手際の良い手慣れた様子が映し出される。



生い立ちと横浜大空襲

 明治43年生まれの「スズさん」は、殿様徳川武定邸の女中奉公に出た後、1932年に22歳で見合い結婚をする。その前年の関東大震災で実母を失くす。夫の小泉孝は、東京市役所勤務で建築課の職員、後に出世し、待望の建築技師となる。体が弱いが温厚な人物で、一家は3女をもうける。
男子として長男の実がいたが、急性の感染症の「疫痢(えきり)」により3歳で死去。1942年は戦時下であり、食糧事情は悪く、冷蔵庫もなく、衛生状態も今とは異なり、食中毒は珍しくない。当時疫痢、赤痢に罹患(りかん)する人たちが結構いた。
したがって、台所を預かる主婦は、生鮮食材はすぐに料理せねばならず、それが彼女たちの労働の負担を重くしたことは容易に想像できる。一家は5人家族で、狭い家ではあるが、家族以外に早稲田大学の学生の下宿人2人を置いた。
現博物館は、小泉家の住居であったが待望の家を持つまでに、一家は戦争で辛酸をなめる。それも、残存の記録映像から見て取れる。一番の打撃は、米軍の空襲である。米軍戦闘機が超低空飛行をし、パイロットの顔が見えるくらい近付く。そして大量の焼夷(しょうい)弾を落とし、地上は火の海となる。
本作で映し出される空襲は1945年(昭和20年)の終戦の年、5月29日未明の出来事だ。米軍のB29が517機で、43万3576個(2569.6トン)の焼夷弾を投下し、横浜市を焼け野原とする(中区、南区、西区、神奈川区を中心に)。ちょうど、関東大震災の20年後である。この空襲で、死者3650人、罹災者31万1218人の被害を出す(この数字はあくまで公式のもので、実際の被害者はもっと多いと思われる)。
戦時下の東京も打ち続く空襲で、横浜市神奈川区の叔父の家に疎開する。その時のエピソードには胸が締め付けられる。大家の叔父の家作の1つに入るが、時勢柄、食糧難、それに伴う主食がスイトン、体にはシラミが付くような酷い時代である。
ある時、「スズさん」は大家の庭になる果実を取ることを懇願するが、叔父夫婦は「住まわせてやっているのに、その上何事だ」と叱責。庭に土下座をした彼女はただただ謝るのみだ。この時代、金持ちや農民から屈辱的扱いを受けた多くの主婦の1人が「スズさん」である。悲惨な光景だ。
その後、横浜大空襲で家を焼かれた一家は、いとこのいる鶴見に引っ越すが、そこは牛舎と、散々な目に合う。そして、終戦となる。庶民の困窮は相変わらずである。



精神論の虚(むな)しさ

 戦時中、防火ずきん、女性はモンペ姿で、空襲時はバケツリレーでの火消し。これが焼夷弾の前では全くの無力。学童疎開では見送りの父兄たちの、虚勢を張るとしか思えない万歳三唱。軍部、政府の無為無策ぶりは、現在のコロナ禍を思い浮かべずにはいられない。犠牲になるのはいつも庶民という図式が見事に当てはまる。


昭和の家事の記録

 戦後、1951年に鶴見の牛舎から東京都大田区(現「昭和の暮らし博物館」)へと移り、待望の新居を建てる。
昭和30年代には、洗濯機、冷蔵庫、テレビの家電製品が普及し始め、主婦の仕事内容も大きく変わり、「戦後は終わる」と人々が思い始めたのが1964年の東京オリンピック後である。筆者世代の母親たちは、戦後も長らく不便な生活を強いられる。





さまざまな家事

 本作のハイライトは長女和子の記録映画の中で見られる「スズさん」本人が見せる家事の数々である。「スズさん」だけではなく、昔の主婦たちは「縫い物」をはじめ、すべて自分たちでやっていた。「おはぎ」の「こしあん作り」は職人肌で、中心にあんを入れ、ごはんで握った後、外側にたっぷりとあんで覆った、大きな武骨なおはぎは今では見られない。
昭和を生きた「スズさん」を通して、困難を乗り越え、当然のように家事をこなす女性の姿が浮き彫りにされる。本作を見て、世の中は女性を中心に回っていることが痛いほどよく分かる。貴重な昭和史だ。
なお、「スズさん」は2001年に91歳で他界した。






(文中敬称略)

《了》

11/6(土)よりポレポレ東中野ほか全国順次公開

映像新聞2021年11月15日掲載号より転載

 

中川洋吉・映画評論家