『ファイター、北からの挑戦者』
北朝鮮を逃れた1人の女性の新たな人生
韓国の社会問題と「家族愛」
ボクシング・ジムを舞台に描く |
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韓国の現代を写し撮る、興味深い社会派作品が上映中である。それが『ファイター、北からの挑戦者』(2020/ユン・ジェホ監督・脚本、韓国、104分)だ。ユン・ジェホ監督は、1990年代初頭から顕在化し、大きな社会問題となっている「脱北者」に焦点を当てている。映画界でも「脱北者もの」と呼ぶジャンルがある。
脱北者とは、北朝鮮での食糧難や生活苦から逃れるため、主として中国を経由し、同じ民族の韓国へ密入国する人々を指す。現在、韓国では約3万1500人(2018年統計)の脱北者がいる。その全体の7割を占める女性は、人身売買、性被害を受けるも、届け出れば北朝鮮への強制送還されるため、泣き寝入りのケースが多い。
彼らは亡命者扱いで、合法的な定住者として扱われる。経済力が弱く、学歴もなく、韓国社会で幅を利かせるコネもなく、しばしば二等国民扱いを受ける。
過去における脱北者の受け入れ方は、1980年代まで、特に独裁政権下では「脱北者」イコール、スパイとする状況があり、彼らを苦しめた。だが1997年の法律により、脱北者を支援するシステムが出来上がる。その後、彼らは一般市民と変わらない生活を送る。
ただし、2005年に政府は、彼らに対する入国審査を厳しくし、ハードルを上げる。これは年々増える脱北者支援が同国の財政を圧迫し始めているためといわれる。
一般的に韓国政府は、北朝鮮からの脱北者受け入れは人道的立場から、同胞として迎えることは当然と考える国論が形成されている。だが、政府の支援はあるが、生活苦の彼らに対し、国民の中には「できたら居てもらいたくない存在」とする差別・偏見もある。
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館長(左)、ジナ(中)、テス(右)の3人
(C)2020 Haegrimm Pictures All Rights Reserved ※以下同様
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ジナ
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母親
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ジナ
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ジナ
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ジナ
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スパーリング
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ジナ
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館長(右)とテス
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館長
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テス
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主人公の女性リ・ジナ(イム・ソンミ)が部屋探しで不動産屋に案内される。彼女の新居探しである。大金を払い中国経由でやっとたどり着いたソウルであるが、すぐ仕事を見つけねばならぬ経済状態であるジナは、とりあえず食堂で働く。同じ朝鮮民族ではあるが、南北では訛(なま)りが違い、彼女の最初のハードルとなる。
政府からは一応支援金は出るが、それだけではとても生活できない。そのわずかな支援金を狙う詐欺にも事欠かず、5人に1人はその被害にあっているそうだ。どこにも貧乏人を食い物にする悪いヤツはいる。
1カ所だけの仕事ではお金が足らず、ジナはもう1つの仕事を探す。それが、表を歩いている時に見つけたボクシング・ジムだ。
もともとジナの役柄は、ボクシング歴がある設定で、話の大きな流れとしてこのスポーツを作品の中心に据える経緯があり、ボクシング・ジムに彼女をはめ込む。このボクシングから種々の話を繰り出す作りになっている。
ジナは、ジムに雑用係として雇われ、掃除、洗濯、炊事を受け持つ。
一方、このジムは、館長(オ・グァンノク)とトレーナーのテス(パク・ソビン)のたった2人で切り盛りされている。男2人の極小世帯で、館長は独り身の様子。寝室の小机の上には焼酎のビンが何本も並べてある、相当な酒好きのようだ。
この彼、およそボクシングとは縁のなさそうな?身(そうしん)の初老の人物で、人柄の優しさがにじみ出ている。過去は訳ありと思わす風体だが、いい味が出ている。例えていうならば、異能のダンサー、田中泯を思わす感じだ。
若いテスは腕に大きなタトゥーを入れ、到底堅気とは思えないが、気の善い、人の良さが出て、芝居に好感が持てる。この訳ありの男世帯に放り込まれたのがジナである。面白いトリオで、この3人を中心に話は展開される。脱北、ボクシング、面白くなりそうな素材だ。
主演のイム・ソンミは、典型的な韓国の女優との印象がある。若くて、ヤル気むき出しの30歳前の女性が彼女の役柄であり、とにかく仏頂面に秘めた気の強さが見もの。韓国の若手女優に見られる、顔に強い意思が現われるタイプだ。
館長は、スパーリングを熱心に見入る雑用係のジナが、ボクシングに興味を抱いていることに気付き、注意を向ける。
このジムでは女子ボクサーを養成しており、その中の1人が女番長格で、ほかの訓練生を仕切り、ジナをバカにしている。館長は、「何かやりそうな」ジナにボクシングを教え込み、その女子訓練生とのスパーリングの場を設ける。そこでジナは彼女に一撃を食わす。ボクサー、ジナの誕生である。
ジナの仕事は落ち着くが、帰宅の途中、アパートを紹介された不動産の若い男と会い、強引に誘われる。そこは腕っぷしが強い彼女、彼を押し倒し逃げるように帰宅する。彼はその後、ケガをさせられたと高額の治療費の請求書を持って自宅まで押し掛ける。
金のないジナは困り果て、既に韓国に来ている母親に借金を申し入れようと、脱北ブローカーに連絡先を聞いて訪れる。そこには、新しい家族と幸せに暮らす母親。ジナは怒りが沸き、金を受け取らず恨みの言葉を残し帰る。
ある時、テレビで、脱北ボクサーとして娘のインタビューを見た母親がジムにジナを訪ねる。前に会ったときは、うっ積した恨み言をまくしたて早々と辞去した彼女だが、今回はスパーリング中で逃げようがない。
そこへ外出から戻った館長が話の輪に加わろうとする。テスが目配せするが、館長は一向に気が付かず場を外そうとしない。このチグハグさが何ともおかしい。母親は次の試合を見に来る約束をし、この日は帰る。
ジナと母親は父親を残して別々に脱北し、中国経由で韓国・ソウルに入る。母親は韓国で結婚し、10代の娘(もしかして夫の連れ子)がいる、幸せいっぱいの3人家族である。
ジナは遅れて韓国入りし、自活する。12歳の時に置き去りにされた彼女にとり、「自分は捨てられた」との思いが強く、それが、母親に対する反抗的な態度となる。彼女の大きな望みは、現在中国にいる父親と早く一緒に暮らすことである。
彼女のデビュー戦後、観戦していた母親が現われる。近づく母親を振り払うつもりが、転倒し意識不明となり、救急車で病院送り。意識を取り戻した母親は見舞いの館長に「自分で転んだ」と、娘をかばう発言をする。彼女の娘を思う気持ちが、この場面の泣かせどころ。演出上、この緩急を付けるリズム感が作品に弾みを持たせている。
母親を病院送りにしたジナは、思い余り夜遅く館長を訪ね、テスも加わり、スルメをかじりながら一献傾ける。館長は、「泣きたいときは我慢せず思い切り涙を流せ」と慰める。この辺りからジナの心も和らぎ始める。本作のハイライトだ。
家族をテーマに描くユン・ジェホ監督によれば、家族の核は「愛」としている。韓国人は家族のつながりが強いとされ、実際、そのとおりである。その家族愛の濃さを照れずに、しかも愚直に押し出す韓国若手映画作家の力量は、韓国映画の強みであることは断言できる。
本作はその典型といえよう。その上、背景としての「脱北」も激辛の調味料の役を果たしている。見て損はない。お薦めの1作だ。
(文中敬称略)
《了》
11月12日よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国順次公開中
映像新聞2021年11月22日掲載号より転載
中川洋吉・映画評論家
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