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『天才ヴァイオリニストと消えた旋律』
35年前に失踪した友の真相に迫る旅路
優れた発想の音楽ミステリー
ホロコーストの傷跡を背景に描く

 2人の少年が初老に達するまでの友情を描き、忌まわしいホロコーストの傷跡を背景に織り込む『天才ヴァイオリニストと消えた旋律』(2019年/フランソワ・ジラール監督、英国・カナダ・ハンガリー・ドイツ製作、113分、原題「The Song of Names」)が公開される。本作は、いわゆる音楽(クラシック)ミステリーの範ちゅうの作品で、物語の発想の良さに惹(ひ)きつけられる。ノーマン・ブレヒト(英)の同名の原作の映画化で、フラッシュバック多用の手法は、見る者を混乱させるが、それが作品の凝りになっている。

天才ドヴィドル少年 
(C)2019 SPF (Songs) Productions Inc., LF (Songs) Productions Inc., and Proton Cinema Kft  ※以下同様

失踪後のコンサート

35年目の再会のマーティン(左)とドヴィドル(右)

父親との別れ

シナゴーグでのドヴィドル

2人の少年

焼け跡の2人

路上ミュージシャンに会うマーティン(右)

トレブリンカ絶滅収容所のマーティン

トレブリンカ絶滅収容所でのドヴィドル

終戦後のロンドンで

 舞台を英国・ロンドンに定め、時は1951年としている。冒頭場面、雨が降りしきるロンドンの音楽ホール、入場待ちの多くの観客が劇場前に詰めかける。
これから何かが始まると思わす、華やいだ雰囲気に包み込まれ、ワクワク感がみなぎる。これから天才ヴァイオリニストの初リサイタルが始まる。 
  


天才少年の父の贈り物

 物語は2人の少年の1人ドヴィドルが、あるお屋敷のサロンでヴァイオリンを独奏し、数人の男性が天才少年の独奏に満足気の様子が映し出される。その男性の1人、屋敷の主人シモンズは少年の才能に驚愕(きょうがく)し、彼を自宅に寄宿させ、本格的な音楽教育を受けさせることを提案する。
わざわざポーランドから少年に付き添うユダヤ人の父親は、シモンズの好意的提案を即刻受け入れ、妻と娘を残した故国へすぐ帰国する。別れ際、父親は息子ドヴィドルにヴァイオリンの弓用の松脂(まつやに)の包みを渡す。この松脂が消息探しの伏線となる。
こうしてドヴィドル少年は、シモンズの家族の一員扱いとなる。同家には同じ年ごろの少年マーティンがおり、よそ者が自宅に引き取られることに不満を持つ。一方、天才少年ドヴィドルは、自分の楽才をひけらかすような上から目線で、態度が尊大である。
最初は互いをけん制し、いがみ合う2人だが、そこは活発な男の子、自転車でのツーリングをはじめ、毎日いろいろな遊びに興じ、次第に打ち解ける。



最初のコンサート

 
ドヴィドル少年は音楽学校で学び、ますます腕を上げ、養父格のシモンズは彼のコンサートを企画する。レコードで彼の演奏を耳にしている人々の前評判が高く、生のコンサートの話が持ち上がる。
しかし、コンサート当日、定刻になってもドヴィドルは現れず、そのまま消息を絶つ。失踪の理由も分からないまま35年が経過する。



ドヴィドル探しの手掛り(35年後)

 初老に達した相棒のマーティン(ティム・ロス)が、ドヴィドルの消息を探し始める。ここから、舞台はロンドンを含め、ワルシャワ(ポーランド)、ニューヨーク(米国)へと移る。
成人し、父親の仕事を継ぐマーティンは、ある時、音楽コンクールの審査員を引き受ける。型通り進み、審査は最後の1人となり、ヴァイオリンを抱える少年が舞台に登場する。
彼は、まず弓に松脂を塗り(普通舞台で松脂塗はしない)演奏を始める。まるで、往時のドヴィドルと同じ仕草である。この一連の所作に驚くマーティン。そして、翌日、その少年ピーターが彼の自宅へやってきて、「私の師匠を紹介する」と、ロンドンの街中へ連れ出す。
出会ったのは、ホームレスのような路上ヴァイオリニスト。過去に彼は、ドヴィドルを思わす少年に週2度レッスンをするが、ある日、突然姿を消し、それきりとなる。レッスンを受けるはずの少年は、遺灰となった死者の霊を慰めるため、音楽に身を捧げる意を語ったことを知り、マーティンは、その少年こそ若き日のドヴィドルと確信する。
松脂がピーターに渡る経緯は、作中明示されない。このあたりが本作の分かり難さの一因となっている。
ドヴィドルは、ポーランドのトレブリンカ絶滅収容所へと向かう。そこで『名前の歌』を草野原で奏でる。
35年後、マーティンはポーランドに飛び、彼はそこでアンナというポーランド女性と知り合う。彼女は近隣の住人で、幼いころからドヴィドル少年を知る間柄であり、2人は、トレブリンカ絶滅収容所へも一緒に行く。
その後ドヴィドルは、ヴァイオリンから何もかも彼女のところに残し、1人でニューヨークへと旅立つ。ワルシャワ時代のドヴィドルの最後を知るのがアンナだ。



再会の2人

 いよいよドラマは佳境に入る。フラッシュバックの多用で追い難い作りであるが、ラストに差し掛かり興味が一段と湧き上がる。この辺り、演出の工夫であろう。
八方手を尽くし、ようやくニューヨークで妻子と暮らすドヴィドル(クライヴ・オーウェン)を見出す。マーティンは、いかに父親が彼のことを心配したかの思いの丈をぶちまける。
画面は、1951年ドヴィドルのコンサートの日へと戻る。リハーサルの後、本番待ちの間の空き時間を「女と寝ては」とマーティンにけしかけられ出掛けるが、ここからが本作のハイライトとなる。このコンサートの日から、ドヴィドルは35年間の長きにわたって消息を絶つ。
再会したドヴィドルは、35年間の空白を埋めるように、語り始める。
コンサートの時間に間に合うよう、お金のない彼はロンドン名物2階建てバスに乗る。日ごろの練習疲れからか、不覚にも彼は居眠りをしてしまう。見知らぬ街角に降り立ち、多くの露店が立ち並ぶ繁華街で1人の商人に居場所を尋ねる。
この商人から聞かれるまま、自身はユダヤ系のポーランド移民で、家族はトレブリンカ絶滅収容所にいたらしいと話す。そこにユダヤ系ポーランド出身者がおり(映画的偶然とされる手法)、彼に同情した男は近くのシナゴーグ(礼拝所)へ行き、ラビ(ユダヤ教の聖職者)に会うことを勧める。


名前の歌

 礼拝中にもかかわらずラビは彼の窮状に同情し、家族の消息を調べるため過去帳に目を通し、ドヴィドルの家族名である「ラパポート」を見出し、『名前の歌』を朗誦(ろうしょう)する。この歌は、死者の記憶のため歌にして名前をとどめる、ユダヤ教独特の作法である。歌自体は日本のご詠歌(えいか)に似ている。
この歌の中で、ドヴィドルは初めて家族全員がトレブリンカ絶滅収容所で亡くなったことを知る。一縷(いちる)の望みを絶たれた絶望の一瞬だ。
この時点を境に彼は、一度放棄したユダヤ教への信仰を再び取り戻し、残りの人生を神に捧げることを決意する。そして7日間喪に服し、新たに出発する。魂の変遷ともいえる行為だ。



新たなコンサート

 マーティンとドヴィドルは、35年ぶりに再会、喜びを分かち合う。マーティンは一家の貸しを返させることを口実に、ドヴィドルに初のリサイタルを提案する。もはや、プロの演奏家ではないドヴィドルは辞退するが、多くのファンがレコードで彼の演奏を知り、待っているとダメ押しをし、リサイタルは無事開催。後半、シナゴーグで朗誦された『名前の歌』を無伴奏で弾き、聴衆に深い感銘を与える。
無事コンサートを終え、マーティンは楽屋へ向かうが、部屋には1通の手紙が残され「自分は神と共に生きる。1人にしてくれ、決して探さないで」と認(したた)められていた。
作中、トレブリンカ絶滅収容所は直接には現われない。だが、ユダヤ教の強さ、ホロコーストの残影が今もって人々を苦しめる状況の描き方には力がある。また、ミステリー調の物語展開もよく考えている。
忘れていけないのは、『名前の歌』の音楽をはじめ、ブルッフ、バッハ、ベートーベン、パガニーニと贅沢な音を楽しませてくれることだ。
単なる力作に終わらぬ奥行きの深さを併せ持つ作品だ。





(文中敬称略)

《了》

12月3日より新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ有楽町他全国公開

映像新聞2021年11月29日掲載号より転載

 

中川洋吉・映画評論家