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『弟とアンドロイドと僕』
風合いが異なる阪本順治監督の新作
自身の内面を描くことが主眼
豊川悦司が陰気な小心者を演じる

 今や日本映画の巨匠と呼べる阪本順治監督の新作『弟とアンドロイドと僕』(2020年/脚本・監督、阪本順治、94分)の公開が待たれる。今までの阪本作品とは風合いがかなり異なり、そこが面白みとなっている。

 
当年63歳の阪本監督は意欲作を手掛け、テーマも多岐にわたる。今から32年前に第1作『どついたるねん』(1989年)で監督デビュー。このデビュー作の主役は「浪速のロッキー」と呼ばれる元ボクサーの赤井英和で、タレント、俳優の傍ら大阪名物の串カツ店のオーナー、母校近畿大学ボクシング部総監督を歴任する。最近は引っ越し業者のCMでお馴染みだ。
『どついたるねん』自体はコテコテの浪速もので、東京と異なる文化性を持つ大阪を描く快作である。

主人公 桐生薫  (C)2020「弟とアンドロイドと僕」FILM PARTNERS

教室での薫

父親の臨終

弟の求(左)と薫

鏡を見入る薫

見ず知らずの少女への親切心



フィルモグラフィー

 阪本作品としては、深作欣二監督作品のリメイク『新・仁義なき戦い』(2000年)のような男性主体もの、女性版では藤山直美主演の『顔』(同年)がある。この『顔』で、阪本監督はキネマ旬報の日本映画ベスト・テン1位をはじめ、多くの映画賞を総なめする。そして、藤山直美もキネマ旬報の主演女優賞を獲得、阪本作品のフィルモグラフィーにおいても最高傑作と言える出来栄えだ。
また、社会派ものでは、金大中事件(1973年の韓国の野党指導者、金大中拉致を扱う作品)をベースとする『KT』がある。力のある1作だが、日本国内の評価は今ひとつだった。近作はコメディ『一度も撃ってません』(20年)である。 
  


豊川悦司の主演

 豊川悦司は、阪本監督の『傷だらけの天使』(1997年)、『新・仁義なき戦い』、そして本作で主演を務め、2人は公私にわたり親しいとのこと。この主演の豊川悦司(通称トヨエツ)の使い方が本作ではユニークである。
トヨエツはいい男の代表の感があり、一方、どこかおかしみを感じさせる役柄を得意としてきたが、本作では、陰気な小心者で、人前でオドオドする、今まで見たことのない役柄をこなしている。もちろん、セリフも最小限、おかしみもない人物である。役者とは、人間のいろいろな面を見せる者であることを、改めて認識させる。



自身(阪本監督)の内面

 
本作の狙いは、監督自身の内面を描くことが主眼である。主人公、桐生薫(以下、薫)は抜群のIQ頭脳の持ち主と設定されている。専門はロボット工学で、大学の准教授を務めている。
彼は子供の時から、自身の存在に実感を持てぬまま現在に至る。鏡に映る自身の像が、見えないレベルである。その彼、自分そっくりの人工ロボット、アンドロイド開発に没頭し、もう1人の自分を得ることで、ずっと続く他者とのコミュニケーション欠如の解消を図ろうとする。
さらに彼は、自分の意志と行動の乖離(かいり)に悩み、ひどい時は暴れたり物を壊す代わりに、片足をケンケンさせ、もう片方の足を引きずって歩く。一種の極度なヒステリー症状である。



冒頭の場面

 薄暗闇の中、大学内のエレベーターが止まると、大きなフードを被り、全身黒で固めた男が姿を現す。逆光で彼の人相ははっきりしない。雨の中、歩いて来たらしく、ずぶ濡れの男が教室へ足を向ける。准教授の薫の登場だ。
今までの豊川悦司とは全く違う印象で、いい男のトヨエツの面影はない。ちじれ毛で黒縁メガネの不愛想な男への変身で、ここに作り手の意図が読める。教室へ入る前に薫は急に片足をケンケンさせ入室。まるで心身のバランスを失ったかのように。
教壇に立ち、コートを脱ぎ、突然黒板に数式を書き出す。呆気にとられる学生たち。板書を終え「字が汚くてごめんなさい」と一言。薫の行動は他人とのコミュニケーション欠如から起こる障害であり、本人もその状態にいら立っている様子。



薫の変人振り

 物語全体に雨が降り、ダークで、どこかゴシックホラーの空気が漂う。ここが演出の狙いで、彼の精神状態を写す手法であり、今までの阪本作品とは全く比べものにならぬくらいの質感がある。
彼の心理状態を解き明かすのは、推測の域を出ないが、意図的な展開であることと踏む。



家族

 変人薫の家族もユニークである。まるで森の中の一軒家のような大きな洋館が彼の住居である。実はこの洋館、父親の病院であり、往時は地域の人々でにぎわっていた。今は廃墟同然で、1階の広いロビーは、2階へ通じる階段、そして暖炉が設えてある。ここだけが以前の面影をとどめている。
現在は薫の1人暮らしで、毎食、プラスチック容器に保存されているカレーとおぼしき料理を食べ、残りの時間は、等身大のヒト型ロボット、アンドロイドの製作に打ち込んでいる。
病院の主である父親(吉沢健)は、ある時、看護師の春江(風祭ゆき=1980年代の日活ロマンポルノの大スター)と駆け落ちし、母親は暖炉のそばで自殺を図る。病院は当然のことながら閉鎖、大きな洋館は薫の住居となる。
その父の危篤状態を知らせるのが、弟の求(安藤政信)である。彼は父親と春江との間に生まれた異母弟で、定職が定かでない。その彼は、時折父親とは縁切り状態の薫の元へ金をせびりに来る。孤立無援を甘受し、アンドロイドを偏愛する薫にとり、家族はどうでもよい存在で、彼のロボット熱は昂じるばかりだ。



薫の心変わり

 死期間近な父親の傍らの薫は、父親の死など枝葉末節なことで、「勝手にしたら」の態度を取り続ける。だがこの状況に来て「絶対に延命治療は必要」とし、周囲を驚かす。
人の死を間近にし、彼にも人の死、人の血の自覚が出て来たのだ。この辺りの心境の変化、動きやセリフが少ない本作の作りでは分かりづらい。それを承知で、阪本監督は人の心の動き、生についての難問を見る者へぶつけたとしか考えられない。この曲者(くせもの)が彼だ。
劇的構成として、豊川悦司の仏頂面芝居、終始、雨の中を動き回る数少ない人間たち、監督の思いどおりに筋が進行している。彼の作品の登場人物は、一般論としては造型がはっきりし、旺盛な生きる力感がある。今回は全く逆の人物造型を作り上げている。
監督業として、いろいろな手法を繰り出す快感、「どうだ、見てみろ」とのアプローチ、見る側が仕方なく受け入れざるを得ない。阪本順治の手になる「阪本順治論」であることに間違いない。






(文中敬称略)

《了》


2022年1月7日よりkino cin?ma横浜みなとみらい他にて全国順次公開

映像新聞2021年12月20日掲載号より転載

 

中川洋吉・映画評論家