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『安魂』
日中国交正常化50周年に製作
大切な人に先立たれた人々の心の再生
人物造型の描き方に物足りなさ

 日中国交正常化50周年にちなむ日中合作作品が『安魂』(あんこん/2021年/日向寺太郎監督、原作:周大新「安魂」〈河出書房新社刊〉、脚本・冨川元文、製作・中国、日本、108分)である。中国の小説を原作とし、日本側が監督・脚本を担当。舞台は中国・開封市、スタッフ・キャストもほぼ中国人で固め、内容的には中国的色合いに染まっている。
 
舞台の開封市(かいほうし=西安、北京などと並ぶ8大古都、河南省東部に位置し、黄河が流れる都市)は、海のような大河の畔(ほとり)の古い都市。昔の中国の面影を現在までとどめている。
本作はファミリーもののジャンルに入る作品であり、これは中国映画が得意とする分野だ。原作者は周大新、中国人作家で、彼の同名小説の映画化である。
原作は、1人っ子政策の渦中に生まれた息子を若くして亡くし、その息子との魂の交流を綴る実体験を基にしている。夭逝(ようせい)した息子と彼を取り巻く家族、元婚約者が織りなす物語で、色付けとして降霊術者を登場させ、作品に変化を持たせている。

幼い日の父親と息子 
(C)2021「安魂」製作委員会  ※以下同様

張爽を自宅に迎える英健一家

病床の英健と婚約者張爽

張爽(右)と日本人留学生沙紀

インチキ降霊術者親子

降霊術者宅 大道(右)英健に瓜二つの息子(左)

英健の両親

大道(右)と降霊術者の息子(左)

考え込む大道

バス・ターミナルの英健(左)と張爽(右)

逆縁

 子供が親より先に没することを、仏教では「逆縁(ぎゃくえん)」と呼び、人生最大の不幸とされている。
本作では、大切な人を失くした人々の再生がメイン・テーマとなり、親子とは、死とは、魂とは、命のつながりとは―についての考察が全体の主調となっている。 
  


父親の存在

 冒頭、新進作家として文壇に登場する唐大道が、文学賞を受賞する画面が現われる。喜びに満ち、ちょっと得意気な彼のサイン会、作家として認知される大きな一歩を踏み出す。20年前の出来事である。
一方、1人息子の英健は、まじめで仕事熱心な好青年。父親を尊敬し、彼のようになることが望みである。



バス・ターミナルでの迎え

 
国土が広い中国では、バス網が発達し、住民の重要な足となっている。そのターミナルに人待ち顔の英健がいる。地方在住の婚約者、張爽が1台のバスから降り立ち、彼の元へ駆け寄る。2人は3年来の交際で、彼の両親の元へ顔を出すのが今日の重要な目的である。
彼は婚約者を早速自宅へ案内する。そこには母親、端英が腕を振るう料理が食卓いっぱいに並ぶ。初お目見えである息子のガールフレンド歓待の夕べとなるはずであった。
張爽は手編みの襟巻をプレゼントする。なかなかの気つかいだ。だが、父親の大道はなぜか料理に手を付けず、席を立ち、隣室へ英健を呼び「あの娘は農村出身で、万が一、彼女の身内に経済問題が起きても知らない」と婚約者との結婚に反対する。
思わぬ父親の横やりで、傷心の彼女は帰郷。バス・ターミナルまで彼女を送る英健。「僕がそちらへ行ってもいい」と言うが、あまりのショックで張爽の耳に入らない。
著名作家になった大道の独善的態度、そして、一般人の間での農村への蔑視の根強さには驚かされる。この偏見、中国全体の問題であり、都市住民の農民への差別意識は強い。
現在の中国の最大の政治問題は、都市と農村との経済格差と言われるが、若い2人に対する大道の態度は、まさに都市の農村蔑視の典型例であろう。



続く不幸

 愛する人との別れの後、英健はバス・ターミナルのベンチに座り込む。彼の前に若い女性が読書をしている。そこへ突然、隣の若者が彼女のバッグをひったくる。それを見た英建はドロボウとばかり若者を追いかけ、男からバッグを取り上げる。
しかし、そこで彼は倒れこみ意識を失う。バッグドロボウの被害者の若い女性は、すぐさま救急車を呼び、英建を病院へ送り込む。この若い女性、沙紀は日本人で中国に留学中である。
息子の一大事とばかり、両親はすぐ病院へ駆けつけ、なぜか英建の職場の友人の男性が、先ほど別れた張爽を伴い病院に現われる。救急車を手配した沙紀も心配し病室にいる。彼の病状ははっきりせず、意識が戻り次第検査ということで一応落ち着く。



父親への遺言

 独善的傾向のある大道は、ぐいぐいと息子を引っ張り、息子も尊敬する親に従い一生懸命ついて行く。手術前の英健は、父親の強い愛情を常に心にとめながらも、「僕への愛は、父親の心の中の僕」と、病床で訴える。自分で作り上げた架空の息子像を父親は愛していたのだ。
その後、病状は快方へ向かわず、29歳の若さで他界。葬式の光景、両親、途中から帰郷したはずの張爽、日本人留学生沙紀が参列。式後、黒の木製の箱を大事そうに抱える父親。中国の骨壺のようだ。
英健の正式の病名は脳腫瘍だった。物語展開は多少の起伏はあるものの、1本調子で感銘が弱い。
例えば、英健の婚約者への大道の拒絶と張爽の深い悲しみ、都市在住者は上級国民、農村出身者は下級国民とする中国自身が持つ社会的格差など、もっと深堀りしてもよい。テーマも良くウェルメイド(上質)の話だが、人物造型の描き方が物足りない。


降霊術者の出現

 傷心の家族、特に父親・大道の落胆ぶりは並ではない。彼は腑抜(ふぬ)けの人間のようになり、急に年を取り、往時の尊敬される作家先生の面影は失せる。
ある時、街の中のベンチに所在なげに座る父親の目の前に、英健に瓜二つの青年が通りかかる。ハッとする彼は青年の後を追い、家までついて行く。その時、彼の前に1人の中年男が立ちはだかる。
その家は降霊術者の診療所であり、彼は、中に入るには予約が必要と、大道を中に入れない。何かもったいぶっている感じだ。



家族の反対

 藁(わら)にもすがりたい大道は、少しでも息子に関する情報があればと降霊術者の元へ何度も訪ねる。だが、降霊術者のうさんくささに家族は最初から疑いの目で見る。
疑われ、打つ手が無くなる降霊術者一家は、亡くなった英健の生前の借金を理由に金銭を要求。この期におよび、降霊術者のインチキは決定的となり、この一家の英健似の息子は警察に自首。やがて、故英健一家に幸せが戻る。
中国語の原作を脚本家するのが冨川元文である。彼は今村昌平監督の『うなぎ』(1997年、カンヌ国際映画祭パルムドール〈最高賞〉受賞)などの脚本家として知られている。話全体にドクがなく、「大切な人に先立たれた人々の心の再生」を願うのであれば、もっと残された人々の心のヒダを見せてもらいたい。





(文中敬称略)

《了》

2022年1月15日岩波ホールほか全国順次ロードショー

映像新聞2021年12月27日掲載号より転載

 

中川洋吉・映画評論家